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96.話し合い(片桐side)
こっちだ。そう言って、父は俺を社長室の奥にある応接間へと案内した。
壁一面に並んだ書棚と、黒色の革張りのソファが置かれている。
「どうやら、お前の決意は決まったようだな」
ソファに腰掛けながら、父が言った。
こうして彼と対面して話すのは、一体いつぶりだろうか。
「…何も聞かないんですか?」
俺は彼の前のソファに腰かけて尋ねる。
「さっき言っただろう。彼からすべて話は聞いてると。だからお前たちの行動は把握しているし、お前が今考えていることも大方は理解しているつもりだ」
穏やかな表情で俺を見つめながら、育て親である父が話す。
「ちょうど高校へ入った頃か。突然家を飛び出したお前を心配した私が、彼に目つき役としてお願いしていたんだ。お前は以前から、既にその事に気付いていたようだがな」
父はそう告げながら薄く笑んでいる。
……黒崎のことか。
「お前たち兄弟のことをいつも陰ながら見守ってくれていた。中立な立場を保つのも大変だったろうに…。彼ともまた、近いうちに会ってゆっくり話がしたいものだ」
「……父さん。俺は雑談をしにここに呼ばれたんですか」
軽く眉を寄せながら言うと、少し面食らったような顔をした父が俺を見る。
俺は構わず、彼の目を真っ直ぐに捉えながら続けて口を開いた。
「あなたが俺を孤児院で拾ったのは、次期後継者が欲しかったからですね。そして俺も、今強くそれを望んでいます。俺たちの利害は一致してる。あなたの期待に応えることを約束します」
父は少しの間をあけて、頭を縦に頷かせる。
「……ああ、そうだ。お前と玲司をあそこで拾ったのは、巨大グループの中核を担う“2つの会社”を、それぞれお前たちに継がせたいと考えたからだ。特に、お前には確かに期待していた。
だがな壮太郎、それだけで私たちはお前たちを選んだわけじゃない。…お前は何か、勘違いをしているようだ」
特にリアクションを示さず続きを待っていると、彼は軽く息をついてから席を立ち上がった。
「…まあいい。本題に入ろう」
父は窓際に立ち、俺に背を半分向けるようにして話し始めた。
「この本社とは別に、私が長年守ってきた会社がある。表にはあまり出てこないが、業界内では確かな地位と繋がりを持っている――言わば、グループを支える二つの柱のひとつだ。それを、お前に託そう」
……ただ、ひとつ条件がある。確かな間を置いてから語る父に、一瞬嫌な予感が胸を過る。
「条件?」
頭の中で何となく浮かぶ内容を予測して、落ち着いた声で尋ねる。
「その会社を継ぐ前に、――海外に行ってもらう」
父の言葉に、ピクリ、軽く眉を動かす。
「具体的には、アメリカ、シアトルにあるグループ傘下の会社だ。そこで数年、現地の経営と実務に触れるんだ」
父は向こう側を向いたまま淡々と話し続ける。俺はただ静かに彼の話に耳を傾けた。
「私はお前のことをよく知っている。だが、周りの人間からすれば、お前はただの子どもだ。まだ知識も経験も足りない。あの場所で人を動かすということを、自分の肌で感じる必要がある」
俺は彼の話を聞きながら、視線を下に移す。
海外……。そう来たか……。
「……分かりました。それで、海外へはどの程度の期間行けばいいんです」
「最低でも2年。お前の場合、今すぐとなれば大学のことも考える必要がある。向こうで通えるプログラムを探す手もあるし、国内に籍を残して休学する手もある。そこは、よく相談して決めよう」
彼はひと通り話し終えると、俺の方へと向き直った。
穏やかな瞳で無言のまま見つめる父に気づき、俺は彼からふっと目を逸らした。
「――内容は理解しました。ただ…少しだけ、俺に時間をくれますか」
父は、分かった。とだけ言うと、再び窓の方へ体ごと向けた。
(……海外……どうしたものか。行くしか方法は無いが…)
「……壮太郎」
物思いにふけっていると、ふいに父の声がかかり、俺は顔を上げる。
「?はい」
返事をすると、彼は長い間口を閉ざした。
「……いや。何でもない」
彼はそれ以上何も言わず、俺から背を向けたまま、窓の向こう側を静かに見つめているようだった。
背に腕を組んで佇む、育て親であり、数多の社員を率いる彼の後ろ姿を、俺はしばらくの間ただ黙って見つめた。
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