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101.柔らかな笑み

俺の手を引いて早足で歩く片桐君が、ふと人気のない曲がり角まで行き着いてから、立ち止まって振り返る。 「何で付いてくるんですか」 俺たちの後ろに立つ藍沢は、相も変わらず顔を顰めている。 「――いい加減にしろ。星七を連れ回すな」 片桐君は俺の手を掴んだまま、眉を寄せて藍沢を見返す。 「なら、あんたも彼に付き纏うのやめろ」 「別に付き纏ってねえ。……つーか、なんだよお前さっきから。ずっとヤキモチ妬いて」 俺は、尚も変わらず藍沢に苛立った目を向ける片桐君を目にする。 もしかして……片桐君、さっきの俺のあの発言を、気にしているんだろうか。 「別に、妬いてません」 表情をぴくりとも変えずに片桐君が話す。 「嘘つけ」 「本当です。だって、色んな意味での初めては俺が貰ってるんで」 …!? 突然冷静な顔つきでそんなことを話し出す片桐君に、俺は少々顔を赤くしながら驚く。 …何言い出してるの!? 「……ああ、なるほど。お前もしかして、星七の“初めての恋人”になりたかったのか?残念だったな、なれなくて」 すかさず挑発するような笑みで藍沢が返している。 「おいお前…」 それを見て、思わず藍沢に近づいて咎めようとすると、いいですよ。と後ろから片桐君に声をかけられる。 彼に手を引かれ、そのまま片桐君の胸にぎゅっと抱き寄せられた。 「どっちにしろ、彼はもう俺のなんで」 片桐君の腕の中から顔を上げた先には、見るからに怪訝な顔をした藍沢がこちらを見ていた。 慌てて片桐君の胸を押し、すぐに離れようとした時、耳元で彼の低い声が囁く。 「…誰かに付けられてる」 …え…… 「多分、目的は俺ですかね」 近い距離に顔を寄せながら片桐君が言い、俺は頭に彼の台詞を思い出す。 “あいつが今後どうなるかは、全てお前の行動にかかっている” ――もしかして、“俺といるから…?” 「兄はどうしても、俺を殺したいみたいです。…巻き込んじゃいましたね」 そう話す彼の表情は、影が差したように曇っていた。 「藍沢さん」 俺の背に手を回したまま、片桐君が顔を上げる。 「一応念の為に聞いときますけど、喧嘩の経験あります?」 「………俺に喧嘩を売ってるってわけか?」 「ありますか」 「…ねーよ。いや、修羅場の喧嘩ならあるけど」 「彼を頼みます」 片桐君はそう告げると、俺の体を腕の中から離す。 「来た道を真っ直ぐ帰ってください。寄り道しないで」 「なんだよお前、突然」 「いいから行ってください」 振り向くと、片桐君が安心させるかのような笑んだ表情で俺を見ていた。 過去に、頭から血を流して倒れ込んでいた片桐君を思い出す。 何で片桐君のお兄さんは、ここまでするんだろう。 俺と彼の仲が割けるまで、続けるんだろうか。 「星七さん?」 俺は両手をぐっと強く握る。 ……行けない。彼を置いて行けない。 「俺、行けないよ」 行けるはずがない。 「え?」 「死んだらどうするの?もう二度と会えなくなったら?後悔したって、何度願ったって、死んだら、もう二度と生き返ったりしないんだよ」 薄ら瞳に涙が浮かぶのを感じながらそう言うと、少し驚いた顔をした片桐君が俺を見る。 やがて、柔らかな表情を浮かべ、静かに微笑んだ。 「俺、死にませんよ」 「……」 「俺……あの日あのまま、死んでもいいって思ってた。自分が何者なのか分からなくて、どこを歩いているのか、分からなくて。だけど俺、あなたに命を拾われたんです」 穏やかな表情を浮かべたまま、片桐君が話す。 「それで俺、生きようって思った。――だから死なない。死ねない」 彼の目には、揺るぎのない固い意志が宿っているかのようで、俺は彼からそっと瞳を伏せた。 俺がこの場に残ったって、彼の足を引っ張ってしまうかもしれない。 なら、彼の言うとおり、早くこの場を立ち去った方がいいのかもしれない。 「片付いたら、連絡入れますね」 にこり、微笑む彼を見て、なぜか胸が痛かった。 藍沢に手を引かれる。 俺は何度も後ろを振り返る。 彼はその間、ずっと俺たちの方を向いて立ったままだった。 …彼のその姿に、涙が出た。 何で彼があんなに喧嘩が強いのか、わかった気がした。 彼はただ必死に、生きていただけだったのかもしれない。 だとしたら、……ああ、知りたくなかった。 知りたくなかった。 俺は目元を手で拭いながら、彼とは反対方向へ足を進めた。 もう、後ろは振り返らなかった。

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