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104.安らぎ
「どこ行ってた」
大学の門に差しかかったとき、藍沢の姿が目に入った。
壁に背を付け、腕を組んで静かに佇んでいる。
まるで俺の帰りを予知していたかのように、その声が飛んできた。
「ああ、ちょっと近くの喫茶店行ってた」
「何をしに?」
「何って、リフレッシュだよリフレッシュ。空きコマだったしな〜」
そう言って横を通り過ぎようとすると、腕を強く掴まれた。振り向くと、鋭い目をした藍沢が俺を見つめていた。
「阿呆、下手な嘘つくな。お前昔から嘘付けないだろ」
「……嘘じゃない」
目を逸らして言うと、はあ、と藍沢が少々眉を寄せながら目を閉じる。
「言えよ」
「…嫌だ」
「言えって。……怒らないから」
俺は藍沢の顔を窺うようにしてちらりと見た。
――
「なんだそれ」
賑やかなキャンパスの喧騒から少し離れた場所。木々の陰に隠れるように置かれたベンチに座り、あったことを話すと、隣で藍沢が案の定の反応を返した。
「それでお前、どうするつもりなんだ。まさか会うのか?あの兄と」
藍沢が眉をひそめながら尋ねてくる。
「分からない……。でも会わないと、片桐君がまた彼に手にかけられる」
「放っておけよ、あいつそんなやわじゃないだろ。勘だけど」
「それこそ思い込みだ。それに、彼が強いことは俺だって十分わかってる」
「なら、なんで?」
藍沢の問いかけに、俺は一度口を閉じる。
何故……それは多分、彼の影がさしたような寂しげな表情を見たから。
…いや、違う――
彼は強い。そう、……それも不自然なほどに。
それが、俺に何かを知らせる。まるで警鐘の音が頭に鳴り響くかのように。
彼をこれ以上、襲わせてはいけない。彼にこれ以上、拳を振るわせてはいけない。
彼を、止めなければならない。
そんな気がしてならないのは、…一体なぜなのか。
「とにかく、俺がこれからどう動くかは、藍沢には関係ないから」
「ったく、俺を邪魔者扱いするわけか」
怪訝そうな顔をする藍沢に、別にそういうわけじゃないけど…と言いながら俺は目を逸らす。
「分かった。だけど、せめて会う時はどこで会うかくらいは教えてくれ」
「え?」
「心配だから」
俺の顔をじっと真っ直ぐに見てくる幼馴染に、俺は少々どぎまぎとしながら顔を背ける。
「…いいけど、来たりするなよ」
釘を刺すように言うと、一瞬の間のあと、頭を強めに片手でぐしゃぐしゃと雑に触られた。
「あーはいはい。分かったよ、何もしねーよ」
藍沢は若干怒ったようにして言うと、ふい、とそっぽを向いた。
――
講義が終わった夕方、藍沢と大学から街へと続く道を歩いていると、大通りに大きなクリスマスツリーが飾られているのが見えた。
「もうそんな季節か」
隣を歩く、濃紺のコートをまとった藍沢が呟く。
「みたいだな。今年はとくに時間の流れが早かった気がす……くしゅんっ」
一瞬の冷たい風にぶるり、思わず身震いすると、藍沢が鞄を探り、黒いマフラーを取り出して俺の首に巻きつけた。
「また風邪引いてぶっ倒れるぞ」
眼鏡の奥の瞳が穏やかに俺を見ている。
辺りは雑貨屋やカフェが立ち並び、まだ11月というのに、既に恋人ムードを醸し出していた。
ふと視界に入った雑貨屋の前には、小さなスノードームのようなものまで置かれている。
「幸せか。お前」
行き交う人たちの中、歩道の脇で藍沢は立ち止まったまま、俺を見つめ言った。
その瞳がどこか悲しげで、なぜかぼうっとしていた俺は、我に返ったように顔に笑みを浮かばせた。
「なんだよ、急に」
「……いや。」
「昨日寝不足で、ちょっとぼけっとしてた」
言って、俺はすぐ近くの雑貨屋の前に足を運ぶ。
「なあ、さっきから気になってたんだけど。この雪だるま、お前に似てない?」
スノードームを指し示しながら笑って言うと、藍沢が少しの間を空けて、口元を緩ませた。
「なんだって?」
「だってほら、見てみろよ。この何とも言えない表情、実はちょっと抜けてる感じまで似てる」
笑って言うと、近付いてきた藍沢に戯れつくように肩に腕をまわされた。
心が温まるように、ほっとする。
まるであの兄やあの家も、本当は全部夢だったんじゃないか――
彼と過ごしている内に、そんな気さえ起きてくる。
……全部、本当に夢だったら、よかったのに。
彼の笑った顔を見ながら、俺は心が安らぐのを感じていた。
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