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106.涙
とある高層ホテルの最上階。
夜の街を一望できるその空間で、俺は慣れないフォークとナイフを使って、恐らく庶民の俺からしたらとても高いだろうと思われる赤身肉を切り分けていた。
通されたのは、天井まで届くガラス窓の奥に夜景が広がる、完全な個室。周囲に他の客の声はなく、静かすぎて、自分が出すナイフの音すらやけに響く気がするほど。
酸味の入ったソースが付いたお肉をそのまま口に運ぶと、「美味しい」、思わずそう声に出しそうになった。
一方で、真正面に座る銀縁の眼鏡をかけたスーツ姿の彼は、慣れた仕草で赤ワインを口にしている。
…こうして見てると、彼らは本当にそういう世界の人たちなんだなと、今更ながら実感するようだった。
片桐君って、この人に追い出されてからお金とかどうしてたんだろう。バイトのお金でどうにかできるものじゃないし、流石に親御さんの援助はあっただろうな。
でも、もしかしたらいつも質素なご飯とか食べてたのかな。…もしそうなら…なんかだんだん腹立ってきた、この人に。元から腹は立っているが。
「お前、歳は」
「…20歳です」
顔を上げずに答えると、ふっと馬鹿にするように笑う声が耳に届いた。
(か、感じ悪~…!どうせ歳の割に童顔だな、とか思ってるんだ)
「そっちはどうなんですか?」
「そっち?」
「……あなたはどうなんですか」
物凄く怖い目で睨まれて、悔しいけれど言い直した。片桐君、こんな怖い人と一時でも生活してたのか…毎日大変だっただろうな。
「俺は24だ」
……あ、多分黒崎さんと同い歳だ。
ナイフとフォークを置くと、彼がこちらを見ている視線に気づく。
「お前、酒飲めないのか」
「え、…ああ、いや…あんまり得意じゃないです」
…苦いし美味しくないしな。
すると、また馬鹿にされるように鼻で笑われた気がした。
~ものすっっごく腹立つけど飲まないから!酔ってふらついたところを付け込んで、この人に何かされるかもしれないしね…!
「デザートの、ジュエル・ド・テールでございます」
そう思っていると、コース料理の最後と思われるデザートが運ばれてきた。
スポンジケーキの上に、何やら色とりどりの宝石のようなものが散りばめられている。
(何だこれ、すごい…。こんなの初めて見た、これって全部食べられるんだろうか)
フォークを手にすると、正面からまた視線を感じた。
気にせずぱくり、口にすると、ケーキの絶妙な甘さに、ベリーの甘酸っぱさやナッツの香ばしさが合わさり、まるで宝石箱を開けたかのような華やかな味わいが広がった。
めちゃくちゃ美味しい…!
「気に入ったのか」
ふっと顔を上げると、彼――玲司さんが、心做しかごく普通に笑っている気がした。
この人でもこんな顔するのか。
皮肉げだったり、冷たい笑顔ばかり見てたから、少し驚いた。
でも、…そりゃそうだよね。この人だって、生まれた時からこんな性格だったわけじゃないだろうし。
だけど…この人って、どうして片桐君にあそこまで酷いことをするんだろう。
権力の奪い合い?単純に気に入らないから?
「俺の分も食べるか」
スっと彼の前に置かれていたデザート皿を、俺の方へ移動させながら言われる。
「あ、いえ!もうお腹いっぱいですし」
「そうか」
玲司さんは落ち着いた口調で言いながら、静かにその視線を窓の外にある夜景へとうつした。
……なんか、変に優しくて、彼に対してどんな心持ちでいたらいいのか、分からなくなる。
突然俺を襲ってきた怖くて恐ろしい人、かと思ってたら…。今みたいに普通に笑ったり、妙に真剣な顔で見てきたり。
今も、特に変なことはしてこないし…。
なんか、これじゃまるで、ただのデートしてるみたいじゃ……
……あれ。
今思ったけど、……これって、二股……?
いや、違う違う!
だって別に、来たくてきてるんじゃないし…。
今日だって、急にドレスコード指定までされてムカついてたし。それでも、片桐君のこと守るために、仕方なくのこのこ来たわけであって…。
……だけど。
もし、同じことを片桐君にされてたら、…多分、すごく嫌だな。
こんなふうに、知らない人と知らない場所でデザート食べて、片桐君が俺じゃない人に優しく笑いかけてたら……。
……もしそうなら、…いやだ。――すごくいやだ。
「どうした」
「え?」
ふと、玲司さんに神妙な顔つきで顔を見られていることに気付き、俺はそこでようやく、自分が涙を流していることを知る。
あれ…どうしたんだ、……俺。
でも、例え二股でも会わなきゃ。だって、片桐君にこれ以上傷ついて欲しくない。
守りたい、彼を守りたい…。
なのに、守ろうと動く行為すら、知らず知らずのうちに、彼を傷付けているんだろうか。
だとしたら……一体どうすればいい。
……俺、一体どうしたらいいんだ……。
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