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119.彼のいない夏

季節はまたひとつ変わり、片桐君が旅立ってから初めての夏を迎える。 大学終わり、街を歩いていると、参考書が見たいと藍沢が言い、近くの書店へふたりで入った。 「中涼しい〜…」 「年々夏やばくなってるよな」 シャツをぱたぱたさせて言う俺に、藍沢は相槌を打ちながら店の中へ足を進めていく。 就活コーナーまで出向くと、藍沢はペラペラと適当に取った参考書の中身をチェックしている。 俺はそんな彼の姿を何となくチラ見する。 クールで端正な顔立ちをした彼に、くすんだ青の開襟シャツと、黒の細身パンツがよく似合っていた。 …もったいないなぁ。 (まだ、…彼は俺のことが好きなんだろうか。) じっと見ていると、流石に気づいたのか藍沢がこちらへ目線を向けた。 「なに?」 「ああ、いや」 言葉に迷っていると、藍沢が参考書を手にしたまま笑む。 「喉でも乾いたか」 「え、ああ…まあ」 「ここ出たらどっか寄って帰ろう」 藍沢が会計を済ませ、戻ってきた彼とふたり肩を並べて書店を出て歩く。 照りつける夏の太陽の下、俺は隣を歩く藍沢を見ながら、彼の言葉を頭に思い出す。 ――“都合いいときだけこいつのこと傍に置いて、振り回して、期待させて、利用して。…自分が今どんだけ自己中なことしてるのか分かってんのかよ、お前!” 藍沢に縋っていないつもりだったが、もしかしたら今この瞬間も、彼のことを俺は振り回しているんだろうか。 「お前、今年の夏休み何すんの?」 洒落たジュースを手に、去年もした気がする似たような話を藍沢が振ってくる。 俺はストローから口を離し、うーん。と言いながら目線を上にあげる。 「大学の図書館で資格の勉強したり、あとは週1でサークル、それからたまにバイト。あとは…インターン行くかな」 「――あ、インターン俺も行く」 「そうなんだ」 他愛もない話をしながら歩いていると、藍沢はごく自然に俺の肩に手を回してくる。 「暑いって」 藍沢にそう話しかけながら、俺は口元に緩い弧を描く。 藍沢は俺の方へ顔を向けると、眼鏡の奥の目を細めながら、同じように口元を軽く綻ばせた。 以前よりも、彼に対する“罪悪感”はなくなっていた。 決して親友のことを忘れた訳ではなかったが、前ほどの強い罪の重さは薄れた気がする。 …いつも、頭の中で、離れ離れになってしまった彼のことばかりを考えているからだろうか。 ……いいや。 本当に、考えているだろうか。 俺は、まだ片桐君のことが、……好きなんだろうか。 夏が過ぎると、秋が訪れ、そして冬へと季節が戻っていった。 その頃には、ただでさえ少なかった彼からの連絡は、ほとんど途絶えかけていた。 いつからか、ずっと既読のつかないトーク画面を、俺はただ無心で見つめた。 …思えば、あれは全部夢だったのかもしれない。 朧気に浮かぶ彼の顔や声は、ぼんやりとして、もうハッキリとは思い出せない。 虚ろな世界の中で、俺は彼からの来ないメッセージを待ち続けながら、心が少しずつ冷えていくのを感じていた。

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