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121.輪廻
イルミネーションでも見に行くか――
見つめ合っていたエントリーシートから顔を上げた藍沢が、わずかに息をつきながらそう言った。
特に断る理由もなかったため、俺は頷き、手元の書類を片付ける。
後日、俺たちは家から車で1、2時間ほどで着くその煌びやかな会場へと向かった。
「マフラーちゃんとしたか」
車から降りると、藍沢がごく自然にそう話しかけてくる。…俺の親かこいつは。
藍沢は首に巻かれた俺のマフラーを確認すると、よし。というようにして顔を前へと向ける。
「つか、お前が逆にマフラー巻いてないじゃん」
「あっ」
俺の指摘に、藍沢は少し目を大きくさせる。
数歩戻って車のドアを開け、マフラーを手に取る彼の様子を見ながら、俺は声を出して笑った。
その日はちょうどクリスマスというのもあり、多くの恋人たちで賑わっていた。
「恋人だらけだな…」
去年にも言ったような気がする台詞を、隣を歩く彼がげんなりとした表情で口にする。
…いや、そりゃそうだろう。と、俺は心の中でつっこむ。
ふたりで他愛もない話をしながら歩いていると、そのうち、カラフルに光る和傘がぽつぽつと地面に咲いている光景が、辺り一面に広がった。
まるで光の花が咲いたみたいに、足元をふんわり照らしている。
「すごい、俺こんなの初めて見た」
幻想的……ていうか、和風な感じがすごく好きかも…。
「俺もだ。こんなとこ、滅多に来ないしな」
言って、藍沢は光る和傘を写真に収めている。もちろん、俺もすぐ写真に撮った。
「SNSにでも載せるのか?確か藍沢…何かしてたよな」
俺はそういうのは何もしてないから、よく分からないけれど。
「どうかな。分からない」
…分からないんかい。
人の邪魔にならないように隅っこに突っ立っていると、藍沢に手招きされる。
「俺らも入って写真撮ろーぜ」
「えっ」
藍沢が俺の肩を抱き、片手でスマホをかざす。
俺はぎこちない笑みでカメラのレンズに視線を向けた。
「…俺、写真苦手なんだけど」
「なんで」
「どんな顔すればいいのか、よく分からなくて」
目線を外しながらそう話すと、藍沢はふっと笑いながら俺の冷たい右手をとって握った。
「笑えばいいんだよ。ふつーに」
ードキ
……普通って言われても。その普通が、分からないんだってば。
ていうか、…何で手握ってくるんだ?
だけど、何となくその手を振り払えなかった。冷えていた手が、彼の体温で徐々に温まっていく。
彼が隣で楽しげに笑う。なぜか、俺は繋がれた手にどきどきとしていた。
車に戻ると、藍沢がすぐ暖房をつける。
「楽しかった〜」
笑いながら藍沢の方へと振り返る。すると、藍沢が運転席から身を乗り出し、こちらに近付いてくるのが分かった。
そして、
ーちゅ
藍沢の唇が口に触れ、俺は大きく目を開いたまま体を固まらせる。
ゆっくりと藍沢の顔が離れていく間も、しばらく身動きが取れなかった。
なんで、急にキス……。
「あ」
藍沢は我に返るように、俺を見ながら瞳を大きくしている。
「……悪い。体が勝手に」
バツが悪そうにする藍沢を見て、俺は眉を寄せ、口元を震わせる。
なに、それ……
「……俺、片桐君とまだ付き合ってるんだけど」
「…」
「こういうことされるの、困る」
動揺する気持ちを落ち着かせるように、俺は顔を藍沢とは反対の窓側へと向ける。
「でも、さっきお前手離さなかったじゃん」
―どき
「あ…あれは」
あれは、なんて言うか…
「寒くて、手が死にそうで」
「はぁ?」
だから、深い意味はない、何も。
それに、周りがみんな恋人ムードで、その雰囲気につい流されてしまった、というか…。
「お前さ……あいつと、連絡とれてんの?」
間を空けて話される藍沢の声色と、向けられる探るような視線を感じて、微かに体が揺れ動く。
「…とってるよ」
「なら、最後に電話したのいつ?」
藍沢の問い掛ける声に、俺は頭を動かし必死に記憶を辿る。
――けれど、いつだったか…それはもう思い出すことができなかった。
「じゃあ、メールは?」
続けて訊ねられた質問にも答えられず、しばらくの間黙りこむ。藍沢が隣で、はあ、と大きめのため息を吐く声が耳に届く。
「…そんなことだろうと思った。お前単純だから、言われなくても何が起こってるかすぐ分かる」
……!
なぜか、何気ない彼のそんな一言に、ものすごく腹が立った気がした。
「お前嘘つけないって言っただろ。いい加減分かれ…」
「――藍沢に関係ないじゃん……!」
瞬間、俺は思わず声を上げる。
顔を下に俯かせ、強く唇を噛み締めた。
「…星七?」
ずっと耐えていた涙が、ついに頬を伝ってぽとりと落ちる。
そしてまた浮かび上がり、下へ向かって何度もぼろぼろと零れていく。
あれ、なんで俺…こんなに余裕なくなってるんだろう。
藍沢のちょっとした発言に、過敏に反応して、ムカついて、大きな声出して。
「……星七」
再び身を乗り出した藍沢の手に、目元を拭う手をパシッと掴まれる。あたたかな手の感触に、激しく動揺する自分を感じた。
「…もう、待つなよ」
静まり返った車内で、暖房の風の音だけが微かに響く中、彼の言葉が降りかかる。
傷ついた心を誘惑するように撫でられる。
「もう、俺にしろよ」
密室した逃げ場のない空間で、彼の声が、海底に沈みきった俺に向かって、甘く囁く。
彼が言う。
「俺…もうこれ以上、こんな状態のお前を放っておけない」
あの日と同じ言葉を――彼が、俺に投げかける。
ぐるぐるとまわる、抜け出せない輪廻の中で、俺は瞳を開けたまま涙を流す。
「あいつが好きなままでもいい。俺を好きじゃなくても……それでもいいから」
彼の声に、言葉に、体が震える。
差し出された手に、思わず自分の手を伸ばしたくなる。
「だからもう、俺のところに来いよ……。星七」
「…っ…」
――好きなんだよ、お前のこと。今でも、…ずっと。
彼の告白に、涙が滝のように溢れた。
何で俺は、彼が好きなんだろう。
なぜ彼は、俺が好きなんだろう…。
堂々巡りの絡まる想いに、俺は泣かずにいられない。
好きで、ただ好きで。
なのに上手くいかなくて、何故なのか、頭の中で何度も考えて。
ただ、彼らのことを考えると、寂しくて、哀しくて、息ができなくなっていった――
涙の海の深淵で、体を抱えて目を閉じる俺に、彼の手が伸びる。
きっとまた、俺は傍にいる彼を傷付ける。
だから、この手をとれない。とるわけにはいかない。
もう彼を、“俺のせいで振り回したくない”
いや……
もう、傷付けない。
輪廻の終着点を、ここで、つけてしまえばいい――
外から、恋人たちの笑い声が聞こえる。
彼の手に、零れる涙をそっと拭われる。
抱き寄せられた腕の中は、優しくて、あたたかくて、辛いこと全てを、…忘れられる気がした。――
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