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126.再会2
彼が1歩足を踏み込むのを見た瞬間、俺は部屋の中へ思わず逃げ出しそうになる。
しかし、すぐに片腕を掴まれ、逃げ出すことはできなかった。振り向くと、少しだけ怒った様子の片桐君と目が合う。
彼の背後で、ドアががちゃんと閉まる音がする。
片桐君が後ろ手でドアの鍵を締めた。
薄暗い玄関に、天井の小さな灯りがぼんやりと広がる。
「何で逃げるんだよ」
砕けた口調で話す片桐君に、ドキリとした。
彼が……目の前にいる。
「俺に会いたくなかったですか」
思考が、頭が、よく回らない――
さっき、彼の夢を見ていたからか、起きていることが全然現実味がなくて。本当に、彼は今ここに実在しているんだろうかと思う。
「か……」
「……」
「片桐君……久しぶり…だね」
片桐君は黙ってじっと俺の様子を窺う。俺の隠された部分を探すかのように。
俺は仕事から帰ったスーツ姿のまま、彼を前に、嬉しさと苦しさで胸をいっぱいにさせた。彼に掴まれた手の感触だけで、心を鷲掴みにさせられた気がした。
彼は、……恐ろしい人だ。
たった一瞬で、いとも簡単に人を惹き付けてしまう。
……心が、胸が、彼というだけで魅了され、高鳴ってしまう――
「片桐君……手、離して」
掴まれたままの片腕に、彼から視線を逸らしながら、声を振り絞って言う。
「なんで?」
「……なんでって」
「浮気でもした?」
ードクン
心臓が、一際大きく鳴る。
…浮気って…。
俺は彼の鋭い視線を感じ、鼓動が早まる。
顔を伏せて押し黙っていると、片桐君が靴を脱ぎ、狭い玄関から続く廊下の壁に、背中を押し付けられる。
彼の服が当たるほど近い彼との距離に、激しく心をかき乱される。
「会えて嬉しいって、言ってくれないんですか」
すぐそばから聞こえる彼の声に、体中が甘く震えた。
言いたい、会えて嬉しいって。
触れたい。目の前にいる彼に。
でも……だけど、
だけど――
「……ずっと、連絡なかったじゃん」
俺は顔を伏せながら、彼への想いを飲み込み、代わりに不満を口にする。
ふい、と顔を背けた視界の先で、まるで逃がさないとでも言うかのように、片桐君の手が壁に付かれるのが分かる。
「…忙しくなるって言っただろ。連絡もあまりとれないって」
彼に片腕をまだ掴まれたまま、まるで彼に抱き締められているかのような彼との近さに、俺はただ息を潜めて心臓の音を立てる。
「本当に忙しかった。プライベートの時間を取れなかったんだ」
彼の声に心が震えるのを感じながら、俺は何とか閉じてしまった自分の口を開き、必死に動かす。
「でも、…どう考えたって、付き合ってるって言える状況じゃなかった」
「……」
「突然旅立つし、こうやって突然帰ってくるし… 俺は片桐君がどこで何してるのかずっと分からなかったし、電話も最初少ししただけだし、メールも読んでもくれてもなかった」
「――悪かった。寂しい思いさせて」
ドキ
素直に謝る片桐君に、全部、許してしまいそうになった。
「だけど、俺は向こうにいる間も、ずっと星七さんのことだけ想ってた。一度もよそ見なんかしなかったよ」
信じて欲しい。
そう話しながら、片桐君が黙る俺の顎を掴む。顔を上げさせられ、迫る彼から瞬時に顔を逸らす。
「、今更そんなこと言われたって……遅いよ」
言って、俺は彼の腕の中から逃げようとする。すると、片桐君の壁をついていた手に、もう片方の手も掴まれる。
両手首を掴んで上に上げられ、壁に背中を押し当てられる。
身動きの取れないまま、俺は顔を横へと背け続けた。
「……やましいことがあるんだろ」
そのうち吐かれた彼の言葉に、俺は顔を逸らしながら体をびくつかせる。
片桐君から見透かすような視線が向けられる。
「向こうに行く前から、全部分かってましたよ。どうせ、藍沢さんと付き合ってるんでしょう」
「……」
「この程度で今更……一々狼狽えたりなんかしない。それくらいの覚悟もなしで、俺があなたと離れたとでも思ってるんですか」
片桐君が、顔を横に逸らす俺の耳傍へ口を近づける。耳にかかる彼の吐息に、逃げ出すこともできず、俺は体を硬直させる。
「俺が離れてる間に、星七さんと藍沢さんはよりを戻す。だけど、星七さんは彼を好きになることは無い。彼も、星七さんの嫌がることはしない。全部わかっていたから、彼にあなたを託したんです」
片桐君が耳元で囁くように言葉を落とす。彼の声にぞくりと体が揺れ、思わず頬が熱を帯びた。
「だけど、…もう彼の“役目”は終わった」
俺が帰ってきたんだから。
片桐君はそう言って、また俺の顎を掴み、正面へと振り向かせた。
“役目”は、終わった……?
「――もう彼に用はないでしょう。彼と、別れてください」
突然、片桐君の唇が重なる。
すぐに割って入ってくる彼の舌の感触に、俺は彼に手と顎を掴まれながら、息を乱す。
『星七』
瞬間、頭に藍沢の顔が過ぎり、俺は咄嗟に彼の胸を空いた手で押し返す。
しかし、びくともしない様子を見て、俺は口内にある片桐君の舌を噛んだ。
途端に、片桐君が顔を離し、少し驚いたように俺を見た。
「……随分上から言うんだね」
俺は片手を掴まれたまま、強く拳を握りしめ、声を押し殺すようにして呟く。
「言っとくけど……藍沢のことを馬鹿にするなら、いくら片桐君でも、俺許さないよ」
「馬鹿にする?まさか。俺は彼を信頼してたんです」
「どっちにしたって、俺……藍沢と別れる気、さらさらないから」
片桐君の鋭い視線を間近に受けながら、俺は手に汗を湿らせて言う。
「…まさか、藍沢さんを好きになったとでも言うんですか」
微かに口元を緩めて俺を見てくる片桐君から、俺は軽く眉を寄せて目を逸らす。
「…ありえないことじゃないでしょ。彼はいつも俺のそばに居て、片桐君の言うとおり、俺の嫌がることは絶対にしない。好きになったっておかしくない」
「――質問に答えろ」
近い、低い彼の声に、体が固まる。
ゆっくりと視線を彼に向けると、暗く沈んだ瞳が、俺を見据えていた。
「彼が好きなのか?」
再び問われるそれに、俺は彼から顔を逸らしながら息を飲み、瞳を泳がせる。
「……うん。……そう…だよ」
「……」
「…………好き、だよ」
俺は震える口元を動かし、言葉を吐き出す。
「…………俺、……藍沢のことがす――」
――バン………ッ!!
片桐君の拳が、俺の頭上辺りの壁を殴りつける。
その大きな衝撃音に、本能的な恐怖から、体が竦み上がった。
俺は、優しい眼差しとは程遠い、底知れぬ闇を宿したかのような目をする彼の姿を目の当たりにする。
これまで聞いたことのない彼の低い声が、俺の耳へと届く。
「………あんま舐めたこと言ってると……
…………まじで殴るぞ」
彼の瞳に見つめられただけで、体が金縛りにあったように動かなくなった。
俺はその恐怖に息もできないまま、大好きだったはずの、片桐君の冷え切った顔を見つめた。
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