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135.対峙(藍沢side)

深夜、一人暮らしのマンションの部屋から出ると、近くにある公園へと出向く。 街灯に照らされた暗がりの中映る、滑り台やブランコ。 その公園の中心には、すでに人影があった。 黒いロングコートに身を包み、背筋を伸ばして堂々と立つ彼の姿は、街灯の光に輪郭だけが浮かんでいる。 近付くと、コートのポケットに手を突っ込んだ彼が、スっと後ろへと振り返った。 鋭く光る眼差しが、俺を射るように見た。 「俺の連絡先、残してたんですね」 静寂が包む深夜の公園で、片桐壮太郎はとても落ち着いた低い声で、そう喋った。 彼は高級そうなスーツに身を包みながら、既に部屋着に着替えていたラフな姿の俺を見る。 …こいつ、俺より歳下だったよな…なんでスーツ? それ以前に、彼の纏う雰囲気は、もはや俺たちがまだ持ち得る年相応のものではない気がした。 立っているだけで、そこはかとなく漂う静かな圧と威厳のようなものに、俺はそっと息を吸って飲みこんだ。 「…ああ。消す理由も無いしな」 答えると、何がおかしいのか、ふ、と彼は微かに声を出して笑った。 彼の整った顔立ちは、人間味をあまり感じさせない。 何を考えているのか分からない表情をした彼の目が、再び俺を見た。 「で、俺に話って何ですか。なるべく手短にしてもらえると助かります。昨夜寝てないんで」 寝てない…? よく分からないが、こいつのお家柄の事情だったりするんだろうか。 ――いや… 「どうしたんですか?」 思考にふけったまま頭を上げると、目の前で男が口端を上げて笑んでいる。 まさか……。 「…まさか、一晩中あいつを拘束してたのか」 だから今日、星七の顔色が悪かったのか…。 「人聞き悪いですね。拘束だなんて」 「…拘束だろ。…やめろよ。入社したばかりで、覚えなきゃいけないこともたくさんあるし、万が一にでもあいつが倒れたらどうする」 片桐壮太郎は静かに足を1歩踏み出す。 「優しいですね、藍沢さん」 優しい…? 俺は、一定の距離を保った場所でポケットに手を入れながら立つ彼を、眉をひそめて見る。 「だって、あなたは今彼と付き合ってるんでしょう。俺と彼が何をしてたのか分かってるくせに、怒りもせず、彼の体の心配をする。俺には到底理解できませんね」 男は仄かに笑みを含ませながら話している。 「あなたの目的はなんですか」 2人きりの静かな夜の公園に、彼の声が響いた。 「あなたと彼は結ばれない、どうやったって。過去の事故から、彼はあなたに負い目を感じてる」 「……」 「実際、付き合ったところで、彼はあなたに体を許してないようだし…… 第一、俺が許しませんし」 男はそう話すと、俺の元へ近付いてくる。 すました顔で立つ彼の表情の奥に、かすかな狂気が潜んでいるように見えた。 「目的?」 俺は男に向かって、は、と顔を一度伏せて笑う。 「決まってるだろ。あいつを守るためだよ。好き放題して、あいつを置いて、泣かせて。何度も傷付けまくるお前らから、守るためだよ」 「違うな」 片桐壮太郎の目が射抜くように俺を見る。 「綺麗事ばっか抜かすな。なら、彼に指1本触れてないと言えるか」 「……」 「俺はあんたに彼を託した。その間、あんたが彼に手を出すことも想定してた。でも俺の許容を超えるようなことはしないと信じてた。だからこそあんたに託したんだ」 そこについては、守ってくれたようですね。男がそう続けた。 「…だけど、勘違いするな。だからって俺は、手を出すことを許可したわけじゃない」 男の鋭い目が向けられる。 俺は背に冷や汗が伝うのを感じながら、下ろしていた手を強く握り締める。 「……お前の了承を、得る必要があるのか?」 「……」 「…お前の言うとおり、俺たちは付き合ってる。つまり、俺がどう動こうと、俺があいつに何かをしようと… お前が口出しできる権限は、一切ないはずだ」 瞬間、男の眉間に皺が寄るのを見る。 勢いよく飛んできた拳が右頬を直撃し、眼鏡が地面に弾け落ちる。 痛みと衝撃で視界が揺れる中、続けざま振り下ろされる拳を咄嗟に腕で受け止める。 しかし受け止めた直後、重い拳が腹部に突き刺さるように、躊躇なく打ち込まれる。 途端に腰が折れて尻もちをつき、激しく咳き込んだ。 「……別れろ」 白光りする大きな満月をバックに、男の爛々とした鋭利な目つきが地面に座り込む俺を見下ろす。 「調子に乗るな。あんたの出番はもう終わった」 俺は顔を伏せ、口端から流れる血を片手で軽く拭いとった。 「……お前は、あいつを不幸にさせることしかできない」 「……。何だって?」 「…あいつは渡さない。殴られようと、殺されようと、何をされようと……あいつは渡さない――」 男に胸ぐらを掴まれ、無理やり立たされる。 「黙って聞いてりゃ……よくも俺に向かってそんな口が聞けるな!」 「お前がどれだけ偉いって言うんだよ、あいつを守れもしないくせに!」 睨み付けてくる男を強く睨み返す。 「……俺はずっと星七のそばにいた。お前の連絡を待ち続けてる星七も、お前のためにお前の兄と何度も会ってる星七も、俺はいつもあいつをそばで見てきたし、支えてきた、……見守ってきた!」 「でもお前はなんだ?勝手に発って勝手に戻ってきて、あいつを掻っ攫って一晩中好きにして、あいつの体調なんて気にもしないで。いつもお前は自分のことばっかりだ。あいつのことなんて気にもしてない。我儘でやりたい放題で、その上あいつを悲しませることしかできない……。 ………そんな奴に、俺があいつをみすみす渡すわけないだろ!!」 ひとしきり捲し立てると、男は睨む俺をしばし見つめ――そしてふ、と笑った。 「もしかして、俺を殴りたいですか」 嘲笑うかのような表情をした男が、俺を見てくる。 「いいですよ。俺はあんたに手を出さない、避けるだけにしてあげても。だけどあんたは、…それでも俺を殴れない。ただの1発もだ」 それに強く眉を寄せて拳を振るうと、男は手馴れたように、体を僅かにだけずらして避けた。 その後も、拳を振りかざす俺から、男は焦った様子もなく、動きを見越したように次々と避けていく。 「この期に及んでも、あんたはまだ分かってないみたいだな」 息を乱す俺の前で、片桐壮太郎が息ひとつ乱さずに話しかけてくる。 「…俺とあんたは、――土台から違う」 俺を射抜くような彼の瞳の奥で、赤い炎がゆらゆらと燃え立つのを見た気がした。 「普通の家庭で普通に生きてきたあんたと、両親を亡くし、孤児になり、身内から命を狙われてきた俺とじゃ、持ってる覚悟のレベルが違う」 迫りくる彼の視線に捉えられ、目を逸らせないまま立ち尽くす。 殺気じみたオーラを全身から放ちながら、続けざま彼が言う。 「…あんたは手ぬるいんだ。俺に振るう拳も、彼のことも。…なぜか分かるか。あんたは、――恵まれてるからだ」 男はそこまで話終えると、踵を返し、俺に背を向けた。 「……俺はどうしても、彼が必要なんだ」 公園から片桐壮太郎が立ち去っていく後ろ姿を見届けながら、俺は鈍く痛む腹部を片手で押さえる。 はぁ…と小さく息を吐き出しながら、夜空に浮かぶ白い満月を見上げた。

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