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136.決断

翌日、会社に出社すると、藍沢のデスク付近で何やら人が湧いていた。 元々、彼はある程度の時間が経過するとその人柄の良さからか、人に好かれる(と勝手に俺が思っている)ため、珍しい光景なわけでもない。 でも…異様に群がってるな。 聞き耳を立てていると、話が聞こえてきた。 「藍沢くん喧嘩とかするんだ、意外」 「そんなイメージなかったよ」 ……喧嘩? 俺の知ってる藍沢は、喧嘩なんかしないはずだけど…。喧嘩といえば、どちらかと言うと片桐君が浮かぶ…… と、そこまで思って俺は目を開く。 自分の席に鞄を置いて、人の群がる藍沢の元まで向かう。 すぐに、こちらを向く藍沢と目が合う。 …口端が切れている。 「……」 スっと目を逸らす藍沢を見て、俺は眉を寄せる。 「藍沢」 彼の目前まで赴くと、藍沢は席を立ち上がった。 藍沢は依然として俺から目を背けている。 …片桐君と、何かあったんだ…。 「ちょっと来て」 藍沢の手を引っ張ると、俺は人をかき分けて廊下へ出る。 「…片桐君と会ったの?」 藍沢は俺から目を逸らしたまま、ああ、と相槌を打つ。 「何を…話したんだ?」 尋ねるが、藍沢は答えようとしない。 俺は彼の切れた口端を見て、胸を痛めた。 …彼は喧嘩なんかしない。そういう奴じゃない。 「……ごめん」 俺は顔を伏せて謝る。 藍沢は俺を見て、謝るな、と少し怒った声で言う。 「だって、どう考えても俺のせいじゃん…」 俺がまた、ふらふらしてるから……。 似合わない傷跡を付ける彼を見て、俺は顔を顰めながら片桐君にメッセージを送ろうとする。 すると、 「いいから」 スマホを彼の手に握って押し戻された。 「だけど…」 「あいつともう絡むな」 ードキ 藍沢の瞳がまっすぐ俺に向けられる。 「俺のことだけ、見て」 昔馴染みの、優しい、でも男らしい真剣な顔つきをした彼を目にし、言葉を失う。 藍沢は、動けずにいる俺の手をとり、自分の頬へと当てた。 「そしたら…お前があいつと会ってたことも、ブロック解除してることも、全部、許してやる」 優しい瞳の奥にある、燃えるようなゆらめきを感じて、ビクリとした。 夕方、いつも通り仕事を終え、一人暮らしのマンションの部屋に着くと、俺はベッドを背に膝を立てて座る。 ー『俺のことだけ見て』 …彼は知っている。俺が片桐君のことを、未だに想っていることを…。 頭の中に、片桐君の顔が浮かび、藍沢の顔が浮かぶ。 俺はスマホを手に取り、彼に電話をかける。 1コール、2コール、3コール…… …出ないな。 諦めて終了ボタンを押そうとしたスマホの画面が、突然通話状態にぱっと切り替わる。 「もしもし」 低く、落ち着いた――ほんの少しの甘ささえも感じる彼の声に、体全体が反応して疼く。 …すき…… ううん、違う。好きじゃない、…好きじゃない…… 「片桐君、話が…あって」 俺は唇を震わせながら動かす。 「……俺、もう片桐君と、会わない」 言いながら、ぽたり、涙を零す。 「…なんで」 「…だって…片桐君、勝手なことばっかりするし」 …好き、好き。 どんなことされたって、酷いことされたって、彼が好き。好き。 ……大好き―― 「今朝も…藍沢、片桐君に殴られて傷できてたし…もうこれ以上、……迷惑かけられない」 「…会って話そう」 彼の話に、濡れた瞳を大きくする。 だめだ。会ったら、会ってしまったら、きっと俺はまた、彼を受け入れる。 彼を好きだと、再確認してしまう。好きで溢れかえってしまう―― 「…会わない。もう二度と」 俺は嗚咽する声を抑えながら言葉を紡いだ。 「俺、片桐君が好きだった……すごく、とっても…」 本当に、大好きだった…… 「だけど、もう会えない…。 俺、藍沢を……これまでずっと支えてきてくれた、彼のことを、……裏切れない……」 ごめん…片桐君。 片桐君のこと、待ってあげられなくて……ごめん……。 「ごめんね……片桐君」 もう、本当に…これで終わりだね。 でも、久しぶりに、彼に会えてよかった。 元気そうな彼の姿を見られて、本当によかった。 俺は涙を拭いながら、震える口元に緩く弧を描いた。 「………さようなら、…片桐君」 スマホを耳に当てながら、精一杯笑ってそう伝えた。

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