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140.対話

次の日の日曜日。俺は、黒崎さんと待ち合わせたカフェへと向かう。 「いらっしゃいませー。おひとり様ですか?」 「あ、いえ」 えぇっと…。彼はもう来ているんだろうか。 店内を見渡すと、こちらを見て軽く手を振るにこやかな彼を見つけた。 「久しぶりだね。元気にしてた?」 彼の元へ向かうと、黒崎さんは以前と何ら変わらない笑顔をうかべながら俺を見て言った。 相変わらず全身真っ黒な彼を見て、俺は視線を逸らしながら席に着いた。 「はい。黒崎さんも、変わらずのようで」 「君ももう社会人かぁ。何だか昔が懐かしいねぇ」 ライダースジャケットの襟を立たせながら、黒崎さんは腕を組み、しみじみとした様子で語っている。 「何飲んでるんですか?」 「俺はただのブラックコーヒーだよ」 何気なく尋ねると、黒崎さんはカップを指先で軽くつまみ、俺に見せるようにしてにこ、と笑った。 ブラックコーヒー… 飲み物まで真っ黒だな…。 まあ確かに、彼がオレンジジュースとかミルクティーとか飲んでるイメージ無いけども。 「あっそうだ、聞いたよ。勤め先大手商社なんでしょ?凄いね。知ってはいたけど、君って本当に優秀なんだ」 メニュー表を見ていると、前に座る彼から楽しげな声が飛んでくる。 「色々変わったね…。君たちは大学生から社会人になり、片桐さんは…」 そう言って、黒崎さんは一度言葉を区切った。 「……彼は海外へ発ち、2年越しに地位を確立させて戻ってきた」 そこまで話すと、黒崎さんは浮かべていた笑みをなくした。 「あのさ、もしかして……片桐さんと別れたの?」 黒崎さんの突然の話に、俺はメニュー表を握りながらそっと目を開いた。 「…ああ、いや。ごめんね、踏み込んだこと聞いて」 何も言えずにしばらく押し黙っていると、気を遣うような黒崎さんの声が降りかかった。 「無理もないか…。2年も離れてたんだもんね」 「……」 「だけど、彼は君のために、君を守ろうとして、決死の思いで向こうに行くことを決めたはずだよ。君も辛かっただろうけど…」 黒髪さんの漆黒の瞳が静かに、顔を俯かせる俺へと向けられるのが分かる。 黒崎さんが言う。 「片桐さんのこと、どうか考え直してくれない?」 顔を上げた先に映る、黒髪さんの真剣な顔に俺は大きく目を泳がせ、動揺する。 「話って…そのことなんですか」 「いくつかあるうちのひとつだよ」 こちらをじっと見て話してくる黒崎さんから、俺は目線を外す。 「君は恐らく今、藍沢さんと付き合っているんだろう。…だけど、君は本当に彼のことが好きかい?」 俺は唇を結びながら、メニュー表を持つ手にぐっと力を込めた。 「…………好きです」 黒崎さんの顔を見ずに言う。 「……。…そうか」 正面に向かい合って座る黒崎さんは、それ以上、俺に何かを追求してこようとはしなかった。 俺の頼んだミルクティーが運ばれると、黒崎さんが話題を少し変えた。 「…俺は、家を飛び出した片桐さんをそばで見守ってきた。兄である玲司さんに抗えず、やさぐれていた彼をね」 俺は黒崎さんの話を、視線の先を落として聞きながら、ストローを手に軽く回す。 氷の入ったミルクティーの、カラカラという小さな音が立つ。 「でも、玲司さんと向き合い、同じように地位や権力を手に入れれば、彼の立場や境遇はヤンキー時代よりもマシになるだろうと思った。少なくとも、玲司さんに対抗することが出来るだろうし…と」 だけど… 黒崎さんは言って、目線をしたに伏せている。 「……俺の考えは、甘かったのかもしれない」 黒崎さんは、頭に片手を添えて、顔を俯かせる。 こんなにも悩んでいる彼の様子を見るのは、初めてだった。 「…予期していなかったわけじゃないんだ」 思い詰めたように、黒崎さんはテーブルを見つめている。 「彼は、元々とても優秀で真面目な少年だったと、彼のお父さんから聞いている」 黒崎さんは静かに話し始めた。 「それこそ、家を出た後も、彼の後ろには自然と人が付いて歩いたし、…彼がその気になれば、玲司さんを超える職位に就くことなんて容易いと分かっていた」 「……」 「……彼は、力任せの喧嘩の強さだけじゃなく、権力までも持ち合わせてしまった。もし、彼が本気で暴走してしまったら、そのときは…… きっともう、誰にも彼を止めることができないだろう…… ――――“君以外は”」 突然黒崎さんの目が俺へと向けられる。 ストローを手にしたまま、俺はなぜか、体に緊張を走らせる。 彼が何を言いたいのか、俺にはよく分からなかった。 「俺ときちんと連絡先を交換しておこう」 黒崎さんがスマホをつつきながら言う。 「もし、俺から次連絡があったときは、…片桐さんが只ならぬ状態だってことだ」 黒崎さんの話を聞きながら連絡先を交換していた俺は、ふと我に返るように瞳をふるわせた。 「だけど……俺、もう彼とは別れたんです」 テーブルに置いた手をぐっと握り締める。 「…俺のこと、買い被りすぎです。もしそんな状況になったとしても、俺が駆けつけたところで……彼は、止まったりなんかしないはずです」 俺は彼にそう告げると、ほとんど口にしていないミルクティーを机に置いたまま、席を立ち上がる。 すぐに立ち去ろうとして―― 「……分からないのか。ここまで言って」 後ろから届いた彼の声に、思わず立ち止まり、振り返った。 そこには、眉を寄せ険しい表情をした黒崎さんが、立ち上がって俺を見つめていた。 「…彼は誰にも興味を示さなかった。彼はひとりで何でもできたし、常に人が慕っていた。でも、いつも彼は孤独だった、…彼はきっと彷徨っていたんだ、どこに進めばいいのか分からなくて、もがいていたんだ、いつも」 俺は黒崎さんの話を突っ立ったまま聞きながら、心臓の音をドクドクと立てる。 真剣な彼の目が、話が伝わってきて、俺は自分の口元が微かに震えていくのを感じる。 「…だけど、彼は君に恋をし、そして変わろうとした」 黒崎さんの訴えかけるような目を、息を飲んで見つめる。 瞳を見開き固まる俺に向かって、黒崎さんが告げる。 「君が、…彼を動かしてる。今、この瞬間も。 彼にとって君は、――唯一の道標なんだよ」

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