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143.追憶
カラオケルームを出たあと、俺は黒崎さんからの通話に出る。
「もしも…」
「――やっと繋がった……!もう出てくれないかと思ってたよ」
安堵するように話す彼の背後からは、夜の街の喧騒の音が聞こえる気がした。
「今どこにいる?」
俺は彼に、街にあるカラオケ店の前にいることを告げる。
「――分かった。今から行くから、そこで動かずに待ってて」
黒崎さんに言われたとおり大人しくカラオケ店の前で立って待っていると、少しして、遠くの方からバイクの音が近づいてくるのが分かった。
だんだんとこちらに迫ってくる様子を見て、直感で彼だと察する。
「黒崎さんっここです!」
恐らく聞こえていないだろう声を出しながら、片手を上げてブンブンと横に振る。
やがて、彼の乗る黒塗りのバイクが目の前に停まった。
「さあ乗って!」
俺は黒崎さんから渡されたヘルメットを被り、彼の後ろに跨る。
彼の腰に手を回すと、バイクがエンジン音を立てて勢いよく走り出した。
しばらくして辿り着いたのは、街から遠く離れた山の上の方にある古びた倉庫。
黒崎さんがバイクを停めるのを確認し、俺は地上に降りてヘルメットを外す。
「この中に彼らがいる」
黒崎さんの声を聞き、俺はいやに静かなその倉庫に目を向ける。
俺は手に汗を握りながら、しっかりと地に足をつけて、倉庫の前に立った。大きく錆びついた鉄扉は、特に鍵がかかっているわけではなかった。
隣に立つ黒崎さんが扉を押し開けると、僅かに軋む音が響いた。
漂う冷たい空気に、自然と背筋が伸びる。
中に、何人かひとがいる……。
――……あっ!
薄暗い倉庫の奥の方で、見覚えのある彼の後ろ姿が浮かび上がり、俺は目を見開いて、息を詰めた。
彼の目線の先にいるのは、あれは……
……玲司さんだ。
「…片桐くん――!」
俺は咄嗟に声を上げ、息を乱した。
彼――片桐君が俺の方へ振り向くのを見て、俺は次に、彼の前で座り込む玲司さんの姿を目にする。
急いで彼らの元へ走って近付こうとすると、そこに居合わせていた男たちに、疑いを持ったような鋭い目を向けられる。
「――彼に手を出すな!」
瞬間、片桐君の大きな声が倉庫内に響き渡る。
彼らがすっと後ろへ引き下がるのを見届けた一瞬の間のあと、駆け足で2人の元へ向かった。
その後、俺は行き着いた先で目にした光景に絶句する。
いつも乱れひとつなかった髪を乱し、スーツを汚し、顔を俯かせる傷だらけでぼろぼろの彼――玲司さんの姿を前に、俺は口元を震わせる。
「…やめて……」
震える声で言いながら、玲司さんのそばに駆け寄る。
「退いてください」
玲司さんの状態を確認しようとして、後ろからかけられる闇を孕んだような彼の低い声に、背筋に冷たい冷や汗を流した。
俺は屈んだまま彼の方へ向き直り、焦点の合っていない片桐君の目を捉える。
「片桐君、聞いて…… …俺の話を…」
虚空を見つめるかのような彼の目を、潤いを含んだ瞳で逸らさず見つめる。
「片桐君が彼にずっと辛い目に遭ってたのはわかってる… 許せないって思う気持ちも、分かってるよ。俺だって許せない……そう思ってた」
俺は彼の目を見て話し続ける。
優しい眼差しを向けてくれた、俺にたくさんの言葉をくれた彼に、今度は俺が……言葉を投げかける。
俺の声が、彼に届くかどうかは分からない。
でも、彼に誤って欲しくない。
俺と同じように、胸に一生残る傷を、辛い悲しみを、後悔を、片桐君に抱えて欲しくない――
「俺……間違ってしまうことって、…あると思うんだ」
「……」
「本当は寂しいって言いたいのに、頭では分かってるのに…素直になれなくて、誰かを悪く言ってしまったり、傷付けてしまったり…」
俺は、過去の過ちを思い出しながら、彼を見つめ、語りかける。
瞳に溜まった涙が、頬を伝って、流れ落ちていく。
「でもそれは、わざとなんかじゃなくて、傷付けようと思って言ってるわけじゃなくて、…やってるわけじゃなくて。……だけど気付いたら、取り返しのつかない状況になっていて」
もう二度と帰らない彼を思い浮かべながら、溢れ落ちる涙を拭うことなく話し続ける。
『星七』
大好きだった、かけがえのない親友を、俺は失ってしまった。
大切だった彼を、俺が……殺してしまったから。
「もう、何言っても無駄なんだ、駄目なんだ…て、何度も頭の中で後悔して、でも……もう遅くて」
「…」
「………俺はそれで、大切な親友を失った」
静かに口を閉じると、片桐君はふ、と顔を伏せながら口端を緩めた。
「星七さんと兄がしたことは、天と地ほどの差がある。彼は俺を故意的に殺そうとし、星七さんにまで手を出した、悲しませた」
「……」
「それなのに、…何で兄の肩を持つんだ」
「肩を持ってるつもりじゃない…… ただ、彼も片桐君も、お互いに生きることに、必死になってただけなんじゃないかな…」
すると、片桐君が不意に掴んでいた太い鉄の棒の先を彼の兄に向けるのに気付き、俺は咄嗟に玲司さんの前で両手を広げ、彼を見上げる。
「――っ駄目だよ!片桐君!」
さっきと変わらない、闇夜に染まった瞳を向ける彼を見て、俺は強く唇を噛む。
「退け」
全身を凍らせるような殺気立った視線を浴び、体が震えあがる。
俺は負けじと険しく眉を寄せ、彼を見上げ、見つめ続けた。
「………退かない」
片桐君が、俺を見てふっと薄ら笑う。
「俺のいない間に、すっかり兄とも仲良くなったようで」
「……」
「…なら、2人まとめて殺ったっていいんですよ」
激しい殺意を含んだ彼の目が、俺と彼を見下ろす。
俺は退くことなく背に彼を庇い、振り下ろされる衝撃を予期して体を強張らせた。
……来る―――ッ!
俺は目を瞑り、覚悟を決めてその瞬間を待った。
しかし、いつまで経っても予感していた痛みは訪れない。
俺は恐る恐る目を開ける。
その瞬間、鉄パイプが床に落ちるガンッという衝撃音が倉庫内に響き渡り、ビクリと体が揺れた。
足元で転がる金属の余韻が、耳に残った。
俺はそっと、目の前に立つ彼――片桐君を見上げた。
「……なんで………
…………なんでだよ…………」
俺たちを見つめ、声を震わせるようにして、片桐君が呟く。
俺は、ゆっくりと俺たちの前から体の向きを変え、ふらついた足取りで倉庫を立ち去っていく彼の姿を濡れた目で追う。
片桐君が立ち去ると、いつの間に近くに立っていたのか、暗がりから黒崎さんが現れ、膝を着いていた俺の手をとって立ち上がらせた。
「玲司さんのことは、俺に任せて」
黒崎さんが玲司さんの腕を肩にまわし、立ち上がると同時に、俺の目をしっかりと捉えて言った。
「…彼を、どうかよろしく頼む」
俺は、頭を縦に強く頷かせた。
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