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最終章 148.追想

俺は、淡いブルーのシャツの上に、黒のステンカラーコートを羽織った、彼の元へと静かに歩み寄る。 「えっと… 待った?」 緊張しながらひとまずそう声をかけると、藍沢は特に笑わずに、いいや。と言った。 俺から目を逸らす彼を見ながら、俺は言葉を探す。 「少し…歩きながら話さない?」 藍沢は、俺の提案を素直に聞き入れ、俺の隣を静かに黙って歩いた。 俺の左手には道路があり、いくつかの車が走り、行き交っている。 右側には口数少ない藍沢が歩き、その奥には緑が広がり、木々の影が静かに揺れている。 空から差す、照りつけてくる太陽の日差しに、俺は片手を上げてほんの少し目を細める。 「今日、すごく晴れてる」 「そうだな」 「まるでもう夏…だな」 「確かに」 藍沢はそう言って、ふっと口元を緩め、横を歩く俺に視線を向けた。 俺は彼から目を逸らし、手を握り締める。 「藍沢……」 ……言わないといけない。 これ以上、自分の気持ちに嘘をつけない。 例え、彼を悲しませることになっても。 彼をまた、傷付けることになるとしても……。 「俺………」 「――わかってる」 言葉を発する前に、藍沢が、遮るようにそう言った。 俺は立ち止まって、彼を見た。 歩いていた藍沢の足が、俺より少し歩いた先の場所で止まった。 背を向けた彼の顔は俯かれている。 「……分かってるよ」 「……」 「お前は、……俺を好きにならない。……絶対に」 少しして、藍沢が俺の方へと振り返る。 昔から変わらない彼の表情に、心が震える。 「別れようか。俺たち」 藍沢が言う。悲しげな顔で、微笑みながら。 俺は目の奥から涙が込み上げる。 …言わせてしまった。 俺から言うべき言葉を、彼に。 彼の優しさに、胸が抉られるように鋭く痛む。 俺は…最初から最後まで……いつだってサイテーだ。 彼を傷付け、傷付け、そして、また…… 「……っ」 思わず立ち止まったまま、目頭を抑える。 今この瞬間も、俺は最低だ。 泣きたいのは、彼の方だというのに。 「……帰るな。俺」 彼は再び俺から背を向け、それだけ告げると、静かに去っていく。 何度、彼を傷つけただろう。 あの事故から――今の今まで、俺はどれだけ、彼を振り回し、苦しめ、そして、何度……彼に、助けられただろう。 彼がいなければ、きっと今の俺は、ここにはいないだろう。 彼がいなければ、乗り越えられないことがたくさんあっただろう。 ――『都合いいときだけこいつのこと傍に置いて、振り回して、期待させて、利用して。…自分が今どんだけ自己中なことしてるのか分かってんのかよ、お前!』 ふと…昔言われた誰かの言葉が蘇り、胸に深く突き刺さる。 俺は視界を涙で歪ませながら、去っていく彼を見つめ、自嘲気味に笑う。 ああ……そうだ。 本当に、その通りだね。 俺は結局、彼の手を取って、手離した。 彼の優しさに何度も救われたのに、俺は彼ではない、別の人を選んだ。 自己中で、……ほんっと、救いようがないね。 それでも…俺は、片桐君が好きだ。どうしても、彼が好きだ。 彼でないと、……ダメなんだ―― 「……藍沢っ!」 何度も、繰り返す。 同じ過ちを。後悔を。ぐるぐると廻る、輪廻のごとく……。 でもきっと、それは全部、必要な道のりだった。 俺は走る。あの夏の日のように。 目の前にいる彼を思って、 この世から去ってしまった彼を思って、 大好きな、彼を想って………。 「…………星七…………!!」 突然、藍沢の聞いたこともないような、大きな叫び声が、耳に届いた。 俺は横断歩道の上で、我に返るように右側へと振り向く。 勢いよく迫ってくるトラックを見た瞬間、あの日の記憶が、脳裏に焼き付くように甦った――― 『浮いてたとか、目つきがどうとかって…それ、普通に冗談でも笑えなくない』 『……俺が話しかけなかったら、アキはあいつと仲良くなってないんじゃん』 『藍沢、最初クラスですげー浮いてたし…。目つき特徴的だし、それで周りに怖がられてたしさ』 『あーてかさ…なんかもうあいつの話するのやめない?もっとほかの話しようぜ――』 硬直した体を――強く、彼の手に引き寄せられる。 歩道の上で俺は彼に体を抱き留められたまま、体を小刻みに震わせる。 しかし、震えているのは俺だけではなかった。 「……ちゃんと周り確認しろよ!!」 そばで、藍沢の大きな声が放たれ、ビクリと体が萎縮する。 「ご、ごめん……」 すぐに謝って顔を上げると、眉を寄せながら、薄ら涙を滲ませるかのような、藍沢の姿があった。 呆然と立ち尽くす俺の体を、藍沢が強く抱き締める。 「……お前まで、いなくなるなよ………」 彼の声を聞く度――昔の記憶が、ぽつぽつと蘇っていく。 彼らと過ごした青春の日々が、走馬灯のように頭の中を駆け巡っていく。 俺は彼の腕の中で、徐々に“忘れていた気持ち”を思い出していきながら、じわりと濡れる瞳を揺らがせる。 「…頼むから……」 俺の肩口で顔を埋める藍沢の、消え入りそうな声を聞きながら、俺は目から涙を零した。 やっと…やっと、思い出した。 あの時の言葉の意味を、自分の気持ちを……。 「藍沢……」 俺は彼の胸を両手で押し、濡れた瞳で彼を見上げ見つめた。 思い出したこの気持ちは、また、彼を傷付けるだろうか。 彼をまた、…苦しめてしまうだろうか。 晴れた夏色をした空から、かつての旧友が、俺たちの姿を優しく見守っている気がした。 「俺…ずっと……、 ……お前のことが…好きだったんだ――」

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