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149.解放(藍沢side)
― 『ずっと、お前のことが…好きだったんだ』
俺は星七の肩を両手で掴みながら、瞳を大きく開ける。
気が動転しているために彼が突然、意味不明なことを言い出したのか、それとも。
俺が大きな聞き間違いをしているのか……
一体、どっちなのか。
だって、ありえない。
星七が俺を好きになることなど。
奇跡でも起こらない限り、そんなことは絶対…
――起こりうるはずがない。
俺の前で、星七は絶えず、両目から涙を流して泣く。
「ごめん……藍沢」
俺は星七を連れ、街路樹の下にあるベンチを見つけ、そこに並んで腰掛ける。
星七は依然として目元を抑えて涙している。
「…どういうことなんだ」
俺は動揺する気持ちを抑えられないまま、少し震えた声で星七に尋ねる。
「お前は、ずっとアキが好きだったんじゃないのか」
……ああ、そうだ。
お前はいつだって、俺ではなく、アキを見ていた。
好きだったから分かる。
俺はずっと、お前を見ていたから。
「アキは昔から付き合いのある幼馴染だったし……親友だったから」
星七は赤くなった目元から手をずらし、嗚咽を抑えながら話している。
俺は星七の話に、隠しきれない動揺を露わにするように、瞳を激しく泳がせる。
「だって、お前……。俺を悪く言ったとか何とか言って…それでずっと、これまで引きずってたんじゃないのか」
ゆっくりと首を横に振る星七。
「藍沢を…取られたくなかった」
「……。……は」
「アキに、…お前のことを取られたくなかったんだ」
なに……
……何を言ってるんだ、
星七、お前…… ……お前は―――
「事故が起きてから、ずっと、どうしても…思い出せなかった」
「……」
「でも、やっと、やっと思い出した…。事故が起きる前の気持ちを」
星七は両手を固く握り、膝上に置いている。
顔を下へ向ける星七の目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。
俺は現実味のない心地で、彼の姿を目に映していた。
「初めて藍沢を見た時、…なんか気になるなって思った。話しかけたいって、そう思った」
「…」
「そしたら、案の定良い奴で…。何でみんなこいつの良さに気づかないんだろうって、そう思ってた…っ」
俺は星七の話を聞きながら、胸の動機が止まらない。
嬉しさからか、悲しみからか――判別もできないまま、心臓が信じられないくらい早い速度で、ドクドクと脈を打っていく。
少しずつ明らかになる過去の真実が、彼の想いが、未だ夢見心地の俺の元へ、整理のついていない俺の元へと飛んでくる。
嬉しい……すごく。
だけど、それと同じくらい、悲しい――
「それからお前は、クラスメイトともアキとも仲良くなっていって。だんだんお前は、俺だけのものじゃなくなっていった…。
それで、事故が起きたあの日、俺は言ったんだ。
“俺があいつに声かけたんだ”って、アキに」
「仲間はずれにされたのが嫌だったからじゃない。……俺は怖かったんだ。アキに、お前を取られるかもしれない――そう思って」
…ずっと、分からなかった。
あの日、2人の間に一体何があったのか、その場にいなかった俺には。
ただ、薄らと頭の中で想像して、幾度も後悔していた。
あのとき、俺があの場にいたら、もっと結果は違ってたんじゃないかって。
2人を、救えたんじゃないかって……。
星七は、片手を目元に当てながら、唇を震わせる。
「だって…っ……俺が、お前を見つけたんだ…」
彼の目から、キラリと光って落ちていく涙を、俺はズキズキと痛む胸に焼き付けるように、この目に記憶するように――小刻みに震える己の体を抑えつけながら見つめる。
俺を想い、俺のために涙する、星七を…。
「お前の良さを知ってるのは、俺だけだったのに…」
「…星七…」
この気持ちは、歓喜か悲哀か、後悔か。
いいや、きっと多分、全ての感情が混ざりあっている。
自分の瞳から静かに、冷たい何かが零れ落ちていく。
「俺、ずっと…藍沢が好きだった………。…お前が、………好きだった―――っ」
俺は唇を強く噛み締めながら、堪えきれない涙を、両目から流した。
星七は、……俺を好きにならない。
彼が俺を好きになることは、――“絶対にない”。
それは、彼と出会った時から決められた運命で、
法則で、
どう足掻いたって覆せない現実で。
いつだって、俺はそう信じて疑わなかった。
だって、それは紛れもない、事実だったから。
……そうしなければ、もう心がぐちゃぐちゃに、壊れてしまいそうだったから――
「…っ…」
俺は眼鏡を外して顔を片手で覆う。
どの感情か分からない涙が、止まることを知らないかのように、溢れ、流れ続ける。
頭の片隅で、過去の彼らの姿が蘇って、俺に笑いかける。
俺は涙しながら、星七の頬に震える片手を添える。
星七は同じように涙を目に浮かべ、微かに瞳を大きくさせながら、近付く俺を目に映す。
俺は星七の唇に触れる直前で、動きを止める。
至近距離で止まったまま、星七の大きな瞳を見つめる。
もし、俺が彼に、あのときすぐ告白していれば……彼は俺のものになっていたのだろうか。
もっと違う結末が、今、もしかしたら、ここにあったのだろうか。
俺は星七から、ゆっくりと手を離す。
「……だけど、お前が“今”好きなのは、俺じゃないんだろう」
分かりきった答えを、俺は彼に問う。
星七は少しの沈黙のあと、静かに頷いた。
俺は頬に涙の跡を付けながら、ベンチにもたれ、空を見上げた。
目が覚めるほどの晴天に、思わず笑みがこぼれ落ちた。
悲しい、すごく……。
だけど、それと同じくらい――嬉しい。
叶わないと思って信じていた恋は、すれ違いではあるけれど、……もう既に、ずっと前に、“叶っていたのだから”。
ずっと抱いていた恋情が、報われていくのを感じる。
長い苦しみから解き放たれるように、心が軽くなっていく。
長い間消えなかった心のモヤが、たちまち消え去るかのように。
『ねえ、このペンケースいいね。なんか、藍沢くんと似てない?』
『…だけど俺、眼鏡かけてない藍沢の顔も、すごく好きだな』
『あっ、藍沢が照れてる〜!』
『照れてる〜〜』
それらはすべて、俺の大切な思い出だった。
……だけどもう、手放そうか。
彼らを、俺の元から、解放してあげようか――
俺は星七に向け、笑いかける。
今度こそ、お前を俺の元から送り出す。
お前の背中を押す。
笑って、今度こそ、星七を見送る――
俺たちはその後、長い抱擁を交わした。
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