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第2章①沖縄、自由と解放のはずだった
飛行機を降りた瞬間、頬に触れた風に、潮の気配が混じっていた。
“自由”って、こんな匂いなんだろうか。
──いや、きっと違う。
沖縄の空は、写真よりずっと青くて、湿気を含んだ空気が肌にまとわりついた。
でもそれ以上に、目に映るすべての色が鮮やかで、まるで世界の輪郭線だけが太くなったように見えた。
瞬の髪が朝の光を受けてきらきらと光っている。
ガイドマップを広げる奏ちゃんの指先さえ、映画のワンシーンのようだった。
「LUALAのデビューMV、ここで撮るって、贅沢すぎん?」
「なー、高さんが水着になるシーンどこ?」
「おい俺の脱衣シーン入れたらPG12なるわバカ!」
空港のロビーに、いつものやり取りが響いて、自然と笑いが起こる。
カメラは回っていない。完全な“オフ”のはず。でも俺は、気づけば無意識に口角を上げていた。
──自然に、ね。
頭の中に残っていたのは、スタッフの一言だった。
「“自由と解放”が今回のテーマなので、皆さん“らしさ”全開でお願いします」
“らしさ”って、なんだろう。
“自然に”って、どのくらい笑えばいいのが正解なんだろう。
それが、俺にはまだ分からなかった。
──
空港からホテルまでの車窓に、サトウキビ畑や赤瓦の家が流れていく。
窓に映る自分の顔は、笑ってもいない。かといって、沈んでもいない。ただ、なんとなく“MVのための顔”をしている気がした。
「陽くん、疲れてる?」
隣から声をかけてきたのは奏ちゃんだった。
「ん……ううん。風が、あったかいなって思ってただけ」
笑顔は返した。ちゃんと。
奏ちゃんはそれ以上なにも言わなかった。でも、その沈黙が優しさに思えて、少しだけ心がほぐれた。
──
MV撮影初日は、ビーチから始まった。
太陽はまぶしく、空には雲ひとつない。照明なんていらないくらい、光がどこからでも差し込んでいた。
俺は白いシャツを羽織って、砂浜に立つ。遠くでドローンの羽音が響いた。
「LUALA、準備お願いしまーす!」
「走ってくださーい! カメラは後ろから追いますー!」
瞬が弾けるように飛び出し、高さんが笑いながら追いかける。奏ちゃんはやわらかく笑って、風に髪をなびかせた。
その流れに、俺も続いた。
でも──どこか置いていかれてるような気がした。
砂の跳ねる音だけがやけに鮮明で、胸の奥が、波の引いたあとのように空っぽだった。
──あれ、なんか、乗り切れてない。
俺だけ、「自由」に追いつけてない?
──
撮影は順調に進んだ。
グループの並びカット、ドローンの追尾、木陰でのインタビュー。どの場面も予定通り。
スタッフさんも「いいですね、いい表情!」と声をかけてくれた。
でも、「いい」って、どんな顔だった?
「……しの、暑くない?」
昼下がり。インタビュー待機の木陰で、なんとなく声をかけた。
篠原悠人は、木の下に立ったまま風を受けていた。
「……まぁ、暑いけど」
言葉は少ない。でも、嘘はない。
「なんか、さ」
「ん」
「“自由に”って言われると、どれが“俺”かわかんなくなる」
風が枝を揺らして、影が地面にちらちらと踊った。
「自然に笑って、って言われてもさ。いつも“つくって”るから、たぶんそれが俺の“自然”なんだよね。……変だけど」
しのはしばらく黙って、それから少しだけ顔をこちらに向けた。視線は、またすぐ海へ戻っていった。
その無言が、不思議と心地よかった。
誰かと黙って並んでいられること。それが今、いちばん「自由」に近い感覚だった。
──
夕方前、撮影を終えてホテルに戻る。
車内では、瞬が「ソーキそば絶対食べる!」と叫んで、高さんが「昨日の夜中もカップ麺食ってただろ」と返す。
笑い声が響く中で、俺は窓の外に目をやっていた。
陽の傾き方が、妙にゆっくりに感じられた。
時間が引き伸ばされているみたいに、のんびりと進んでいく。
ふと横を見ると、しのと視線がぶつかった。
彼も、俺を見ていた。
言葉にならない何かが喉元まで来かけて──でも、口にはしなかった。
ただ、少しだけ口元を緩めた。それだけ。
しのも、何も言わずに、わずかに目を細めた。
──言葉じゃない。でも、ちゃんとある。
“自由”って、誰かとそうやって“黙っていられること”なのかもしれない。
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