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第2章②カメラが回っていないところで

翌朝、目覚めた部屋の空気が、ほんの少しひんやりしていた。 沖縄の朝はもっと湿気てるかと思ったけど、窓を開けると潮の匂いと一緒に、静かな風が入り込んできた。 朝食会場に向かう途中、瞬と高さんがすでにジュースを片手にじゃれ合っていた。 「陽くんこれ飲んで!シークヮーサー!めっちゃすっぱいよ!」 「いや、俺は寝起きにすっぱいの無理なんだけど……」 「しのならいけるっしょ?」 「勝手に回すな。俺はお前らの試飲係じゃない」 そのやりとりを、少し離れた場所から見ていた。 笑っていたけど、どこか置き場のない気持ちもあった。 自然に、って──こういうことなのかな。 輪に入るのが苦手なわけじゃない。でも、“らしさ”を意識した瞬間、何かがふっと浮いてしまう。そんなズレを、昨日からずっと引きずっていた。 ── 午前中の撮影は、ホテル近くの海辺のカフェで行われた。 MV用のインサートカット。飲み物を手に笑い合うシーン。演出はなく、ただその場の空気を映すだけ。 「陽くん、今の表情最高でした!OKです!」 スタッフの声に、俺は「よかった」と笑い返す。 けれど──本当に“よかった”のかな。 ふと風にあたろうと外に出る。カフェ前のベンチでは、カメラマンの安藤さんがデータチェックをしていた。指先で軽快に操作しながら、時おり静かに頷いている。 奏ちゃんが言ってた。『あの人、自然体の表情を残すのが得意なんだって』 その言葉を思い出しながら、俺は防波堤に飛び乗って腰を下ろした。 ペットボトルの水を一口。帽子を脱いで、タオルで額をぬぐう。 潮風が背中を抜けた、ちょうどその時だった。 「……帽子、飛ぶよ」 不意に聞こえた声に、あわてて帽子を押さえた。けれど間に合わず、ふわりと空を舞ったキャップを、誰かの手がすっと受け止める。 しのだった。 「……ん、ありがとう」 受け取ろうとしたそのとき、しのは帽子を持ったまま、俺の前髪を無言でかき上げた。 「ちょ、なに」 「……目にかかってた」 指先が、額に触れる一瞬。 それだけのことで、変に心臓が跳ねた。 しのはつばを後ろに回して、帽子をかぶせてくる。前髪はオールバックに近くなり、視界がいつもより広がった。 「……前髪上げたとこ、見せたくないんだけどな」 照れ隠しに言うと、しのは目を細めて少しだけ笑った。 「……そっちの方が、似合ってる」 胸の中に、潮風とは違う温度が残った。 ── テラス席に戻ると、瞬がスプーンをくわえたまま叫んだ。 「陽くん!しのと何やってたの〜!?」 「帽子かぶせてたでしょ?今の、ちょっと、キュン案件じゃなかった?!」 「……あれで?」 キュンです、のポーズを取る瞬に、高さんがアイスティーを一口飲みながら、半笑いで突っ込む。 「お前ら、いちいちうるさい」 しのは無表情で椅子を引いた。 俺は苦笑して、その隣に腰を下ろす。 さっきの出来事──前髪を上げられたこと、帽子をかぶせられたこと。 一瞬ドキッとしたけど、よく考えたらしのらしい気遣いだったのかもしれない。たぶん、それ以上でも以下でもない。 それよりも、陽射しが強くなってきたこととか、次の撮影まであと何分休めるかとか、頭の中は現実的なことへと切り替わっていた。 そのとき、ふと視界の端で気配がした。 安藤さんがこちらにレンズを向けていたが、俺と目が合うと、ゆっくりカメラを下ろした。 「今のも、ちょっとだけ撮れてたかも」 「え、マジすか?陽くんのオールバック、映像資料入り!?」 「ちょ、やめてよ瞬、それ使われたらMV事故るって……」 笑い声が広がって、話題はそのまま流れていった。 ── 午後はフリータイムになった。 ホテルのプールに行く人、海沿いを歩く人、部屋で寝る人。 俺はなんとなくロビーのソファに座り、アイスコーヒーを飲んでいた。 ガラス越しの陽射しは強く、じりじりと外を焼いている。それでも海からの風が、ときどきロビーに流れ込んできて、肌を優しくなでていく。 ぼんやりとカップを傾けていると、隣に気配があった。 しのが無言で別のソファに座った。手には文庫本。コーヒーはない。 「……暑くない?」 「風、あるから」 その会話で終わった。 それでも、不思議と満たされていた。 言葉がなくても、落ち着いていられる。 そばに人がいるだけで、心がちゃんと呼吸しているような、そんな静かな安心感。 ──“自然に笑う”って、なんだろう。 考えかけたその問いは、まるで風にさらわれるように、胸の奥で溶けていった。

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