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五 はじまりの音

 砂利を砕く車輪の音が近付いてくる。  馬車が車寄せに止まった気配に、館の空気が僅かに緊張するのを感じた。  重々しい扉が開くと、春の空気が流れ込んでくる。  そして、一人の青年が姿を現した。  壮史さま。  すらりとした長身に英国仕立てのコートを纏われたお姿は、まるで異国の物語から抜け出してきたかのようだ。七年前よりもずっと大人になったお顔立ちには、将来有馬家を背負われる覚悟が表れるようであった。  「お帰りなさいませ、壮史さま」 僕が深く一礼をすると、壮史さまは柔らかく微笑まれた。  「――咲君。大きくなったね」  深い声。  それからふと、眼差しが、何かを確かめるように僕を見つめる。  その瞳が一瞬だけ細められた、その時――  「壮史、また背が伸びたか」  稔さま――有馬家当主であられる方が、柔らかな笑みを湛え歩み寄られた。  そしてそれに続くように、夫人も静かに現れる。やわらかな紺の羽織を重ねた和装姿で、どこか夢の中のような、けれど毅然とした佇まいだ。 「壮史……おかえりなさい。顔つきが変わったわね」 その声とともに、夫人がそっと壮史さまの頬に触れる。壮史さまは、添えられたその手にそっと自分の手を重ね、微笑んだ。  「……ただいま帰りました、母上」  ふと、背後からぽつりと声がこぼれる。  「ほんま、絵になるなあ……」  振り返ると、壮史さまのお荷物を運び入れている市橋さん。柱の影からひょっこりと顔を出し、瞳を輝かせていた。  彼は館付きの御者であり、庭仕事や荷物の運搬もこなす働き者だ。有馬家に来たばかりの僕に気さくに話しかけてくれる、頼れる兄のような存在。  けれど今はまるで少年のように、壮史さまに羨望の眼差しを向けていた。  以前から「壮史さま、憧れやねん」とご帰朝の日を待ちわびていた彼の姿を思い出し、僕は思わず頬を緩めた。 「前から男前やったけど、なんや、もっと磨きがかかったなあ。稔さまもやけど、有馬のご一家は格が違うわ」 そしてまた「惚れてまうなぁ……」と呟き、彼は荷物を抱え二階へと消えていった。  すると今度は、稔さまが玄関脇に控えていた家令・石垣さまのもとへと向かわれた。足音を忍ばせるように近づき、ほんの少しだけ身を寄せられる。 「咲君を……よろしく頼む」  その小さな声だけが、不思議と鮮明に耳に届いた。  石垣さまが、目を伏せながら一礼する。  という言葉の意味は、そのときの僕にはまだうまく掴めなかった。  けれど――ひとつの歯車が、今、静かに動き出したような、そんな予感だけが胸に残った。

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