12 / 31
十
サンルームを出た僕は、庭に佇み、散りゆく桜をただ見つめていた。
父の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
――僕は結婚し、後継ぎを。咲は、学問の道へ。
それがきっと、“正しい幸せの形”なのだ。
ついさっきまで晴れていた空が、いつの間にか雲に覆われる。ぽつり、ぽつりと雨が降り出し、花びらとともに土を濡らしていった。
花散らしの雨だ。
しかし僕はそのまま立ち尽くしていた。屋内へ戻る気にもなれず、濡れるままに、桜を見上げる。
この雨が桜と一緒に、この胸の疼きまで全て洗い流してくれたら――そう願った、その時。
ふいに、頭上に傘が差し出された。
「壮史さま、お風邪を引いてしまいますよ」
咲。
こんなに胸が軋むのに、不思議と、笑みがこぼれた。
「……君の前では、いつも……格好がつかないな」
押し殺していた脆さが、ひとしずく、零れ落ちる。
――雨よ、この声を包んでくれ。
今だけ、強がりを手放してしまいそうだから。
静かな雨音が、遠い夢のように耳に届く。
その時、傘を差し出す咲の白い手に、ひとひらの桜の花びらがそっと舞い降りた。
僕は、思わずその花びらへと手を伸ばしかける。けれど、一瞬のためらいの間に、風が吹いた。
咲の手から傘がふわりと離れ、花びらとともに空へ舞い上がる。
そうか――僕のような人間は、君に触れてはならない。
それはまるで、神が与えた小さな啓示であった。
傘は風にさらわれ、雨は容赦なく二人を濡らす。
濡れた髪を伝った雫が、咲の頬を撫で、顎の線を描いて落ちていった時――咲は僕を見上げて、笑った。
「……僕たち、すっかり濡れてしまいましたね」
それは、僕がずっと切望していたもの。
初めて僕だけに向けてくれた、花のような咲の笑顔だった。
――ああ、僕は、こんなにも君に焦がれてしまった。
桜を洗い流したこの雨がやめば、まもなく……君の花が咲くだろう。
ともだちにシェアしよう!

