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二十一 僕はあなたの人形④「あの日の夜」
懐の腰紐にかけた指が、重く感じられた。
日々身につけている、濃藍の袴と木綿の着物。
ほつれのひとつもない綺麗な折り目が、僕の矜持のように思っていた。
だが今、それを脱ぐという行為は、罪に触れるように指を鈍らせた。
袴の腰紐に指をかけ、静かにほどく。しゅるり、と滑り落ちた袴が、床に音も立てず横たわる。
着物の襟に手をかけ、肩をすべらせるようにして脱ぐと、内側の白い長襦袢があらわになる。薄布越しに透ける肩先は細く、骨ばっていて、微かに震えていた。
肌に触れる視線がある。
壮史さま――
すぐそこに座す彼は、何も言わず、ただ僕の動作を見つめていた。
彼の目は、舐めるように追ってくる。袖のすき間、襦袢の揺れ、あらわになった足首。
触れずとも、彼の視線が僕の肌の上を這っていくように感じられた。
隣の飾り台には、絹のドレスを纏ったビスクドールが、膝を揃え、微笑みを浮かべて座っていた。
その眼差しはまるで、僕と壮史さまの間に介入せず、ただ静かに見守っているようでもあった。
僕は腰紐に手をかける。けれどその指は、どこか他人のもののようにおぼつかない。解けば、もう戻れないと知っていた。
きゅっ、と結び目がほぐれる感触。襦袢がするりと落ちて、冷えた空気が肌を撫でる。
そして肌着の結び目に手をかけた瞬間、僕の指がぴたりと止まった。
ここから先が、最も堕ちる瞬間だと、肌が知っていた。
「……これ以上は……」
小さな声。
けれど、返事はなかった。
ただ、壮史さまの視線だけがある。
温かく、やさしく、けれど決して逃がさない。
そのとき――
かしゃん、と乾いた音が空気を裂いた。
振り向くと、そこには砕けたビスクドールの左腕があった。
飾り台にあったドールを、何気なく――いや、意図的に――壮史さまが落としたことは明らかだった。
ついさっきまで慈しむように髪をなで、口付けまで落とした人形。その人形の脚が砕け、レースの裾が血のような赤絨毯に広がっていた。
いつも微笑みを絶やさない壮史さまが、今は問いかけるような真顔でこちらを見ている。
――逃れられない。
震える手で、僕は肌着の結び目に手をかけた。そしてそれは膝の裏を撫で、床の上に落ちた。
肌に風が触れるたび、全身がひりつくように感じた。
すべてを脱いだ、という感覚が、背骨を這い上がってくる。
「……やってごらん」
やさしく、命じるように。
僕は膝の間に手を置いた。けれど、動けなかった。
羞恥が胸を焼く。壮史さまの視線が、そのすべてを包み込む。
指を、己のそこへと滑らせた。けれど、指先は冷たく、なにも起こらない。
頬が熱を帯び、僕は顔を伏せた。
その様子を見て、壮史さまの眼差しに、かすかな翳りが差した。
そして、低く、苛立ちを孕んだ声がこぼれる。
「……じゃあ、あの日の夜を思い出せばいい」
その一言に、僕は顔を上げた。
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