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二十二 僕はあなたの人形⑤「Monkshood」

「君、先月、に行ったんだろう。――そう。いつも僕に行き先を告げる君が、黙って出かけた夜だ」  その一言が、僕の胸を鋭く抉る。 「あの夜――僕は応接室でひとり、ずっと君を想っていた。まさか、その瞬間、君がそんなことをしているとも知らずにね」     壮史さまが自虐的に笑う。  羞恥と屈辱が、熱になって身体の奥を焼いた。 「なに、別になにも恥ずかしがることじゃない。男子として将来を考えるなら、皆通る道……当然の通過儀礼だ。  父上が指示し、石垣が手配した。そんなところだろう」  壮史さまは、砕けた人形の脚を拾い上げ、じっと見つめる。 「どうやら、その時のお相手が――椿嬢に瓜二つだったとか」  僕の耳が、弾けるように熱を持った。 「昨日は……そのお相手を、椿嬢に重ねて――想像したの?」  ドクン、と男根を握る手に熱を感じる。 「……はは、咲君の、大きくなった」  なにかが切れたように、僕の掌が動いた。早く、全てを終わらせてしまいたかった。 「ねぇ、不思議なことに、石垣が随分とお金を積んだって聞いたよ。……吉原では、どこまでしたの?」  壮史さまの声は、ひたと肌を撫でるように冷たい。 「会話? 触れ合い? 口付け?――それとも……最後まで、したの?」 「…………っ、」  震える指先が、白濁したものに触れ、ぬめるような熱を帯びた。  一筋の涙が、僕の頬をつたう。  壮史さまの視線が、それを見逃すはずがなかった。 「咲君、……ああ。なんて可愛いんだろう」 「っ、はぁ、……はぁ……」  壮史さまが僕の手をとり、舌を這わせ、愛おしそうに舐め取る。もう、抗うことも出来なかった。 「――そうだ。この話には続きがある。その椿嬢だけどね。残念ながら、あの後、亡くなられたそうだよ」  瞬間、頭が真っ白になった。 つい昨日、ご縁のお話にいらっしゃって、急に体調を崩されて、そのまま―― 「そうだ。ずっと君に贈りたいものがあったんだ」  壮史さまは僕にブランケットをかけ立ち上がると、一冊の本を持ってきてベッドに置く。僕が部屋に来た時に、壮史さまが読んでいたものだ。  『英国温帯植物誌』。  それは、一冊の植物図鑑だった。  濃紺の布張りの表紙には、色褪せた金箔で妖艶な花が静かに描かれている。 「こないだ、書斎で興味深げに読んでいただろう?良ければ君に進呈するよ」  壮史さまの笑顔と、一冊の植物図鑑。  そう、濃紺の布張りの表紙には、色褪せた金箔で妖艶な花が……  心臓が、ひとつ打つのを忘れた気がした。  妖艶な花。  それはMonkshood――日本名で、“トリカブト”と呼ばれる、猛毒の花だった。  昨日の客間を思いだす。  黒漆の座卓の上には、青白磁の器に盛られた季節の菓子と、銀瓶で淹れた玉露が静かに並べられていた―― 「…………まさか」  唾を呑み込み、壮史さまを見上げる。 「――ハイド・パークやケンジントン・ガーデンズ……ロンドンでは四季折々の彩りに癒されたんだ」  壮史さまが、窓から外の景色を眺めながら、ゆっくりと話し出す。 「英国はね、自然が豊かで、植物について学ぶにはとてもいいところだよ」  僕の方に振り返る。  窓からの光が、壮史さまの髪を柔らかく透かした。 「留学中は法律や政治を学びながら、オックスフォード植物園によく通ったものだ。世界中から学術研究のための植物が集まっていてね、とても風情があって美しい」  まさか、壮史さまが、椿さまを―― 「――咲君も、きっと喜ぶと思うよ」  壮史さまが、表紙の花のように、妖艶に微笑む。  身体中に、悪寒が走った。  僕は手早く着物を纏う。  壮史さまはただ、窓に寄りかかり、じっと見つめていた。  服装を整え終わると、壮史さまに背中を向けたまま、静かに、しかしはっきりと言った。 「お約束した書斎の整理の仕事はします。母のために、脅されるならば、必要なこともします。――でも、僕は」  ひとつ息を整える。 「決して、心までは売らない。あなたは卑怯だ。……軽蔑します」  そのまま振り返らずに、僕は壮史さまの部屋を飛び出した。  涙が、止まらなかった。

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