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二十四
春の終わりの風が、まだ少し冷たさを残して吹き抜けていた。
かつて学び舎があったという丘に、僕はひとり足を踏み入れた。
敷地を囲っていた石積みの塀は風化し、ところどころ崩れかけている。校舎はとうに取り壊されたらしく、土の匂いと雑草の緑がむき出しになった空間が広がっていた。
その奥に進むと、一輪、また一輪と、空に向かって紫がかった薄紫の花が手を広げていた。
中庭の名残らしき一角に、桐の木がひとり凛と立っている。
見上げるほどの高さを湛え、満開の花は宙に浮かぶ霞のように揺れていた。深く、どこか人の記憶を探るような香りが、風とともに流れてくる。
その花の下に、ひとつの背中があった。
朽ちた石段の縁に、父が座っている。
背筋を伸ばし、まるで語らうように桐の木を見上げていた。
「……私はね、桐の花が一番きらいなんだ」
僕が口を開くよりも早く、父の声が空気を割った。振り返ることなく、まるで独白のように。
「……その美しさは、まわりを狂わせるからね」
「昔、家の庭にも桐があったと聞きました」
父はわずかに頷いた。
「そうだ。見るのも嫌でね、伐採したよ。……しかし、私は失念していた。桐という木は、伐っても伐っても、また芽を出す。
あれは、根が残っていれば、何度でも咲く」
ゆっくりと立ち上がった父が、桐の花の方へ一歩、近づく。
「――有馬家に、また咲いてしまったようだね」
その背を見つめながら、僕は言った。
「だから、咲君を吉原へ向かわせ、慌てて学術院へ推薦なさったんですね。彼を僕から、遠ざけようと」
父は振り向かない。
「……私も、もう長くはない。全てを片付けた後……壮史。お前に議席を譲るつもりだ。
夢に耽るのは若さの特権だが、現実を見ろ。今からでも遅くはない。これ以上、のめり込むな。……あの子に、振り回されるな」
言葉は静かだった。けれど、その重さは痛いほど胸に残った。
風が吹いた。桐の花がさらさらと音もなく舞い、父の肩を掠めて散っていく。
僕は、ほんの少しだけ目を細めて、それを見送った。
「……僕からも、お話があります」
そう言ったとき、父はようやくこちらを見た。
けれどその瞳は、僕ではなく、かつて桐の下にいた誰かを見ているようだった。
僕は空を仰いだ。
空の色に溶けるような淡い紫が、風にゆれる。
――狂おしいほどに美しい。
そして確かに、その美しさは何かを壊す力を持っていた。
しかし、それでも僕は、桐の花をきらいにはなれなかった。
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