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二十八 呼び名を知らぬ熱

 課題のひとつがどうしても腑に落ちなくて、僕は書斎へ本を探しに向かった。  壮史さまの許しは得ている――それでも、この扉を開けるたび、胸の奥が微かにざわついた。  部屋に一歩足を踏み入れた途端、インクと革表紙のにおいに混じって、微かに漂う壮史さまの香りが、肌の奥を撫でていく。  それだけで、背筋に微かな戦慄が走る。妙な緊張感の中で、僕は静かに戸を閉めた。  時計の音だけが、部屋を支配している。  主が不在の、マホガニーの机。  僕は息を殺しながら、そっと、机の引き出しに手をかけ、引いてみる。しかし、やはり鍵がかかって開かなかった。  机上には、読みかけの洋書と、挿しっぱなしのペン。  秩序のなかに、わずかに残された体温のような乱れ――それを見つけるたび、思い出す。  強くて、優しくて、ただどうしようもなく飲み込まれるしかない、深い口付けを。  僕は本を探すふりをして、指先で机の角を撫でる。 口付けの時、その角に、自分の腰が何度も押しつけられたことを思い出す。 ……いけない。そう思っても、どうしても、体の奥が疼いてしまう。  僕は誰にも見られていないことを確かめ、机の影に身体を落とす。  手を忍ばせた先は、もう熱を持っていた。  指先でそっと撫でると、じんわりと滲むものがあった。 「っ……、は……」  声が出そうになるのを、唇を噛んで抑えた。  けれど、記憶が容赦なくよみがえる。  あの低い声、背を這う手、耳朶をかすめた吐息。  僕を呼ぶ、その声音。  あの日――僕が学術院の試験を欠席した日。  僕が拒まなかったら、壮史さまはその先まで触れてくれた?  そしたら、彼は……どんな風に、僕の身体を―― 「あ……壮史、さま……」  ゆっくりと動かした指が、奥でとろりとした熱に溺れていく。  袴の奥がぬかるみ、息が荒くなった。  口付けの先を想像し、鼓動がうるさいほど響くなかで、僕は、独りで、果てる。  静かに、けれど確かに、体の奥に白濁が広がっていった。  「……っは、……っ」  指先を抜いたあと、濡れたものが袴の内側に冷たく触れた。  机に額を預けたまま、僕は震える肩を押さえて目を閉じた。  (この身体は、もう――)  どれだけ距離をとっても、書斎の香りひとつで、僕はこうして、壊れてしまう。  どこかおかしいと、わかっているのに。

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