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第30話 一万円の人

「拓馬さん……俺のことは無視ですか?」  熱い口付けに酸欠になりかけていたところで、アレンがそう声をかける。おい、もっと早く声をかけてくれよ……。  ぷはっと唇が離れた瞬間に大きく息を吸う。ほんとうに酸欠になるところだった。くらくらする頭を抱えてカウンターに寄りかかる。 「忘れてなんかない。ちょっとおまえに意地悪したくなっただけだ」 「ほんとに意地悪だ……」  そう呟いた瞬間、拓馬はアレンの唇を何度も啄むようにキスをする。秀治は見ていられなくなってまたカウンターの下に座り込んだ。秀治の右隣の席ではクインが、手の届く左側にはアレンが行為に及んでいる。二人に申し訳なくなって膝に頭を乗っけて耳を塞いだ。店内は熱を帯びてきて叫び声のようなものまで聞こえてくる。早く終われ、早く終われと祈るようにぶつぶつと呟いているとカウンターの上、秀治の頭上から声が降ってきた。 「何してるの? そんなところで」  突如降ってきた声に思わず顔を上げてしまった。薄暗くてはっきりとは見えないが長身の男がカウンターに腕をついて真下の秀治を見下ろしている。 「休憩中? それとも相手がいないとか」  無造作に手を伸ばされ髪の毛を撫でてくる手のひらにびっくりとして口がぱくぱくと開閉する。そんな秀治の顔が面白いと思ったのか、男はふっと軽く笑った。そして軽々とカウンターを飛び越えて目の前に降りてきた。逃げ場がない。秀治は助けを求めて左側にいるアレンを見たが、すでに取り込み中でこちらの視線に気付く様子はない。 「あ、えっと……」 「シよ?」  紳士的な立ち振る舞いで爆弾発言を落としてきた男を少し睨む。しかし、それをスルーされて着ていたポロシャツに手をかけてきた。抵抗しようとしても、軽々とその手を制されてしまう。嘘だろ。こんなことーー。 「俺は|唯斗《ゆいと》。ここの結構な常連なんだけど、二度目ましてかな。覚えてない? 俺の顔」  目の前で男の長い睫毛が揺れている。真面目そうな無骨な男。 「あっ……一万円の人……」  シャイニングムーン初出勤の日、勘違いでステージに上げさせられたことを思い出す。たしか、男が一人秀治の胸元に一万円を突っ込んできた。それが、この男なのか?

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