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第67話

「降谷さん。無事にアヴェラ氏を成田空港でお迎えしたそうです」  秘書の杉山(すぎやま)がシフォンブラウスの裾を折って報告する。二児の母の杉山は少しふくよかな体格に合うシフォンスーツを着ている。彼女は今日、夫に家事を頼んで会談の席に着くことになっていた。降谷はわかったと返事をしてデスクに向かう。貿易業者は下請けや取引会社を何社も抱えているので、日々の仕事は尽きない。デスクトップには入港日と出荷日のリストがずらりと並んでいる。特に生物(なまもの)を扱う際には日付は重要で、一度入力を間違えるととんでもない大損を出すことになる。昔の話では、杉山が平社員だった頃に間違えてアメリカからの空輸のオレンジの入荷日を二週間ずらしてしまったために、強烈な匂いの腐ったオレンジが段ボールに乗ってやってきたという。その話が出るたびに杉山は笑って誤魔化すが、当時は鬼と呼ばれる社長に散々叱られたらしい。クビにならなかったのは奇跡だと社内で今も語り継がれている。 「降谷さんのスーツまた新調しました?」  秘書用のデスクボードで指を動かしながら杉山が聞いてくる。ああと短く答えると、お似合いですねと返ってきた。正直、今はお喋りをする余裕はない。新人のミスでインドからやってくるはずの香辛料の入荷が遅れているのだ。新人にミスはつきものだから仕方ないが、それを監督していたリーダーの柳瀬に問題がある。一度指導するべきかと考えていたところだ。人柄には問題がないのだが、人を叱るのが苦手で営業成績は悪くないのに人望にやや欠ける。なぜそんな奴をリーダーにと、課長に問いただすとなんでも社長の思惑らしい。

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