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第95話
「名前は?」
軍師長が膝を曲げて少年の目線になって問いただす。「イルハム」と小さく答えた。その頭を軍師長は撫でる。軍師長は自分の息子を溺愛しているのだと風の噂で聞いたことがある。本国で待つ家族のために毎日電話をかけているのだとも。自分の息子と似た年頃の少年を見て無情になれるはずはなかった。
「オルビオ首長。彼が先程やってきた少年です」
白い帽子を被った首長は目元に深い皺を刻んで、よく来たねとイルハムを宥めた。イルハムは不思議と先程とは打って変わって落ち着いている。その様子に引っ掛かりを覚えて降谷はそっと銃を握りしめる手に力を入れた。グレイスがやめとけ、と手で制してきたのでそっと手を離す。この前線に十年近くいるグレイスの判断に間違いはないと信じていた。
「どうしてここに来たんだい?」
軍師長の通訳を交えて首長が尋ねる。イルハムは大きな瞳を見開いた。項垂れるように下を向き、あたりを窺っている。不穏な空気を感じ取り、降谷はイルハムを見据えた。この少年、何かがおかしい。
「オルビオ首長!」
降谷の叫び声でイルハムは身を翻し軍師長のぶら下げていた銃を引き抜いた。無駄のない動きで首長のこめかみに銃口を当てる。彼の瞳の鋭さが増した。空気を切り裂くような沈黙に誰もが動けずにいた。睨むような視線でイルハムは流暢な英語を話し出した。教育されている。降谷は首長の悟り切った表情を訝しみながら、距離を取る。
「この男を連れて行く。車と運転手を出せ。五分以内に手配しなければこの男を殺す」
冗談を言っているようには聞こえない。イルハムは戦士の瞳をしている。こちらを油断させて、首長を人質にとった。只者ではない。
「そこのおまえ、運転手をしろ」
イルハムが有無を言わさぬ面持ちで降谷を指さした。ごくりと生唾を飲み込む。生きては帰れないだろうと心中で思う。グレイスは顔を歪めながら降谷の背を押した。
「行け。すぐに助け出す」
耳元でそう囁かれ、降谷は首長を抱えるようにして歩くイルハムの後ろについた。すでに人質の件が伝わっているのか、イルハムを刺激するまいとキャンプの中は静寂に包まれている。
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