96 / 215

第96話

「車の準備はできた」  車のキーをグレイスに手渡される。ゆっくりとグレイスが頷いた。降谷もそれに応えるように静かに頷く。四人乗りのワゴンカーの後部座席に首長とイルハムが乗り込んだ。降谷はゆっくりと車を発進させる。なだらかではない自然の地面に揺られながら、木々の生え始めた山腹に向かう。 「早く走れ」  イルハムの強い語気に気押されぬように、アクセルを踏む。首長は抵抗するのが無駄だと理解しているのか黙ったままだ。  山の入り口、ジュダーンの根城の前線に車を停める。銃を持った男たちが車が走るのを止めたせいだった。首長は皺だらけの手のひらをさすりながら、キリストに御霊を述べている。降谷はそれを静かに見つめていた。遊牧民特有のジャラテと呼ばれる衣服に身を纏った彼らが首長と降谷を囲むようにして立つ。イルハムは二人に銃口を向けたまま冷たい視線を投げかけてきている。今この状況で一番まずいのは、首長を殺されることだ。しかも、ジュダーンは独自のIT文化を発展させているため、世界同時中継されることも考えられる。今自分は何をするべきかを降谷は肌で感じた。一歩足を踏み出せば撃ち殺されてしまうかもしれないという緊迫感に視界が揺らぎそうになる。それを堪えて、震えている首長に目をやった。 「よくやったぞ。イルハム」  山腹から降りてきた車から男が一人出てくる。ジュダーンのナンバーワンのイヴァンという中年の男だった。ドローン写真で見たことがあるが、あれはまだ顎髭が長いときだった。今は髭を剃り落とし、西洋人のような顔立ちを露わにしている。

ともだちにシェアしよう!