152 / 215

第152話 揺れる足音

「楽しかったね江ノ島」  帰りの車中でしみじみとクインが呟く。そうだねとアレンが同意した。昨晩の交わりで腰を痛めた秀治は後部座席で唯斗の膝に頭を乗せながら横になっていた。唯斗の手が耳元を掠めるのがくすぐったくて静かに睨む。そうすると怒らないでよ、と頬をつままれた。ときどき唯斗は秀治のことを子供扱いしてくる。それがたまらなく恥ずかしくて、胸がきりきりと萎むようだった。本人はいたって真面目に可愛がっているらしいが、されるほうはたまったものではない。唯斗と共に過ごす時間が増えてきて、癖や口調の変化にも気づくようになった。こめかみを指でかくのは、緊張しているとき。語尾が甘ったるくなるのは、何かを望んでいるとき。目を細めるのは、たぶん俺のことが好きだと訴えてくるとき。おそらく唯斗も秀治の癖に気づいているだろう。目を泳がせるのは答えに困ったとき。お互いをより深く知れた二日間だった。秀治は今夜の仕事に支障をきたさないかどうかだけが不安だった。  ピロン、とメッセージアプリの音がしてスマホを開く。降谷の名前が一番上にあった。開いてみると、一言だけ。「話がある。今夜仕事終わりに迎えにいく」その言葉だけ。唯斗に覗かれないようにそっとアプリを閉じた。なぜこの男は秀治が幸せの絶頂の瞬間に爆弾を落としてくるのだろう。嫌がらせか何かだろうか。六人で江ノ島に行ったことなどきっと知りもしないのだろうが、秀治は内心舌打ちする。あの暗い記憶がよみがえってきそうで、自分で自分の体を抱き締めた。それを不審に思ったのか、唯斗が肩を撫でてくれる。 「なにかあった?」 「なんでもない……」  あんなこと唯斗に言えるわけがない。きっと嫌われる。それが怖くて仕方なかった。無理やりとはいえ、付き合っている恋人がいるのにそのような行為をしてしまったことが辛くて秀治は目を閉じた。今のうちに休んでおかなければ仕事中も思い出してしまうかもしれない。ダグやお客さんに迷惑をかけたくなかった。

ともだちにシェアしよう!