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第155話

 思えば、秀治は降谷のことをほとんど知らなかった。なぜ日本にいるのか。なぜ貿易会社で働いているのか。なぜ、ダグと親しいのか。なぜ、あの日あの場所に立っていたのか。 「うっ……」  突然、うなされたように降谷が声を出す。びくりとしてその様子をうかがった。すると、小さな声で何度も名前を呼んだ。 「ザック、イルハム、イヴァン」  繰り返す言葉は英語のようで、秀治には聞き取れなかった。こいつ夢は英語で見るのかなどと見つめていると、|弾《はじ》くように降谷の体が跳ねた。うなされているのは一目見て明らかだった。 「降谷、おい」  小さく肩を揺さぶるが、反応はない。固く目を閉じたままベッドに深く沈み込んでいる。寝汗がひどくワイシャツに染み付いているので、これではより熱が上がってしまうと考えボタンを外していった。薄闇の中、ぼんやりと青白く光降谷の肌をまじまじと見つめる。胸のあたりに茶色い歯形が何個もあった。なぜ歯形だとわかったのかというと、秀治も昔腕や太ももを自分で噛んでいたからだった。しかし、降谷の傷はもっと深くあざになっている。自分の口が届く範囲ではないので、誰かに噛まれたのだとわかる。もう一枚タオルを取り出してはだけた胸元を拭いていく。ぴくりと降谷の眉が動いた。それを見て手が止まる。だが、悪化させるわけにもいかなくて秀治は降谷の背中に腕を回した。起こさないように慎重に体をひっくり返す。なんとか横向きにして降谷のワイシャツを腕から引き抜いていく。 「っ……なんだよ、これ……」  降谷の肩に点々と肉の盛り上がっている部位がある。なんの傷かわからないがあまりにも酷い。何年も前の古傷のようだが薄れているようには見えない。背中の汗を拭き取りながら、その傷跡を指でなぞる。 「おまえ、今までなにしてきたんだよ」  ぽつり、と言葉が漏れた。それに対する返答はない。

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