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第一章 第11話
今日もまだ、ヒートは来ていない。
それでも明日には、来る気がする。
Ωに備わった本能で、なんとなくだけど察知できるのだ。
世の中のΩはそうやって、休暇申請をしては休みを取っている。
下腹が重くなって、背中の辺りがなんだかぞくぞくする。
来る……。ヒートが。
今日は西条さんが塾の日だ。
木野崎と一緒に帰る約束。
「俺、明日から学校休むから……」
「……ん、俺も……」
ヒートが近い者同士、ぼーっとした物言いで会話する。
「ヒート入ったら、西条さんとヤるんだろ」
「……うん」
本当は、ヤらない方が良いと思っている。
ヤッてお終いなんて、俺が嫌だとかそれ以前に、西条さんを傷付けるに決まっているからだ。
ただでさえ俺が西条さんを狙っていると噂され、付き合って、付き合ったら付き合ったでヤッた後に別れましたなんてことになったら、西条さんの立場はどうなるのだろうか。
自分のΩに逃げられたαに、α達は厳しい目を向ける。
αの世界はマウンティングだ。
学級委員をやっていたとしても、どれだけ成績が良くても、馬鹿にされるに決まっている。西条さんは何も悪くないのに、俺達のせいで、いや俺のせいで、クラスでは見下され、心無い目で見られるはめになるのだ。セックスが下手だから逃げられたのだとか、そんな下世話な噂を立てられるであろうことも想像に難くない。
α達の間でそんな扱いを受ける以前に、西条さん自体が、自分に悪いところはなかったか、きっと探しては悩むだろうことも容易に想像できる。
だから別れるにしても、適当な理由を用意しておかなければならない。
今のうちに引き返した方がいい。
心の奥ではわかっている。
「じゃあ今日、俺んち来いよ」
「えっ?」
突拍子もない提案にポカンと顔をあげる。
木野崎が俺のことをじっと見つめていた。
「西条さんとヤれとか言ったけど、俺もお前のこと本気だから。西条さんと深い仲になる前に、俺のことも知ってほしいし、もっと俺のこと好きになってほしい。だから俺んち来いよ」
俺のこと好きって。
木野崎が。
そうだよな、だって、西条さんと付き合うことになったのも元はと言えば木野崎がそう言ったからだ。
西条さんとヤッても、木野崎の方が良かったら、付き合ってくれるって。
さっきまで抱えていた西条さんへの罪悪感はどこへやら、俺の気分は木野崎の一言で一気に急上昇。
「行く、行くっ」
いつもなら俺は、木野崎と別れた後はバス通学。
木野崎は、俺と別れた後、電車通学。
浮かれた俺はホイホイ木野崎に付いて行った。
「俺んちな、道場なんだ」
「ほえ~……」
塀に囲まれた敷地内。
立派な二階建ての一軒家の横に、こじんまりとした横長の建物が立っている。きっとこれが道場なのだろう。
「うちの親父、βだからそんなに強くなくて、あんまり有名な道場じゃないけど。週に二回、小学生までのガキどもに空手教えてんの。俺もここで育てられた」
世の中は基本的にそうだが、スポーツでも、強いのはやはりαだ。ものすごく強いβやΩもいるものの、その大抵は国のトップレベルの人知を超えた領域の人たちばかりで、選ばれた人間でないとβでそんなに強いというのは、あまり無い。
「えっ、木野崎って、空手できんの!?」
「まぁ。小学生の頃のことだから。今はそんな強くねーよ。もう喧嘩もできない。急所狙えるぐらい。
休みの日は柔道クラブとか剣道クラブに道場貸して賃料貰ってる。贅沢はできねーけど、別に貧乏ではねーよ」
「へー……今日は親父さんは?」
「家にいるだろ。いなけりゃ道場で練習してるか」
「お袋さんは?」
「いない。俺が中学の時に男作って出て行った」
「お、おう……」
聞いてよかったのだろうか。
中学の時って、高校入学してまだ数か月しか経ってない俺達からしちゃ、結構最近の出来事である。
「俺んちも、親父居ない……母子家庭だから、似たようなもんだな」
フォローにならないかもしれないが、なんとなしに俺のことも木野崎に知らせてみる。
「お前んちも……そうなのか」
「うん。俺ができたとき、父親、まだ高校生だったらしくて。結婚せずに女手一つで育てたってさ。だから俺、親父に会ったことも無い」
本当はもっと事情があるのだが、端折るとそういうことになる。
「そうか……まぁ色々、あるよな」
「うん。でも俺、超親父に似てるらしくて、鏡見ればこれが親父の顔なんだって、わかるよ」
「それは……」
「俺の親父とも付き合うみてーで、気持ち悪い?」
思わず笑いながら、聞いてやる。
「……いや、見た目がどうでも、中身はお前だけだろうが」
「光輝くん、そういうとこ、カッケー。好き」
「茶化すな」
笑いながら家にお邪魔する。
玄関から居間を通って階段を上がり、2階の木野崎の部屋へと到着する。
親父さんは道場に居るのか、留守だった。
「飲み物持ってきてやっから。座っとけ」
「うん」
ベッドと学習机とは別に、テーブルが部屋の真ん中にドンと居座っている。壁際の本棚にはCDやDVDや大きめのファイルが並び、衣装ラックも本棚の隣に並んでいる。
普通ならベッドの下にエロ本なんかが無いか探してみる場面なのだろうが、テーブルの上に隠す気もなく「女α拘束特集」「男Ωを孕ませるッ」などと書いてあるエロ本が重ねてあるのを見て物色するのは辞めておくことにする。
木野崎が、片手にグラスを二つ、片手にペットボトルを持って上がってきた。
「……お前、エロ本……」
「男二人暮らしだぞ。そんなもん気にするか」
「ああ、そう……」
なぜ見られた側の木野崎でなく、見た側のこちらが恥ずかしい思いをしなければならないのか。
若干不服に思いながらもグラスに注がれていくジュースを頂くことにする。
「これでもお前怖がらせないように、片付けてから部屋呼んでんだよ」
「あ、そーなの?」
「ゴムとかおもちゃとか、全部引き出しん中」
「……えっち!」
「オメーもそんぐらい持ってるだろうが」
「俺は木野崎に貰った奴以外持ってないよ。セックスするのに道具なんか使ったことないし」
「……まじで?」
「セックスをなんだと思ってんの、童貞」
信じられないという顔をする木野崎に呆れ気味に返すと、木野崎が俺の髪を撫でるように触れた。
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