20 / 23

第20話

 先ほどまで洞窟の中に居たはずだが、瞬きをする間に、ティトは気がつけばグラウンドのベンチに座っていた。見慣れた場所だ。ティトが前世の記憶でよく見ていた施設のグラウンドである。このベンチでよく静希と話していたものだ。 「ここはね、僕のお気に入りの場所だった」  隣から声がして、ティトは反射的に振り返る。  一人分空けた隣には、眠たそうな目をした少年が座っていた。ティトは直感的に彼が「真広」であると、なんとなくそう思った。 「施設の子は仲が良いから、だいたいみんなでグラウンドで遊ぶんだ。僕はそれを眺めてるのが好きだった」  しかし今は誰も居ない。静かなグラウンドをただ、真広はぼんやりと見ている。 「……ごめんね。僕が君に記憶を与えた。君からすれば、余計なことだったかもしれない」  詳しく語られなかったが、ティトには何の意味かすぐにピンときた。 「どうして僕に記憶をくれたの?」  自身が真広であったこと。ティトの生きる世界がゲームの世界であること。その記憶がなければ、未来は絶対に違っていただろう。  一拍置くと、真広は口元だけで笑う。 「階段から君を突き落とした静希くんを見た。彼は、自分の弟が殺される運命にあると知って、今度こそ、どんな手を使ってでも守ろうと必死になっていたんだ。静希くんは僕を本当の弟だと思ってくれていたんだけどね、僕のことは守れなかったから……今世ではきっと、後悔したくなかったんだよ。だけど、僕はそんなことをしてほしいわけじゃない。君に止めて欲しかった」  真広の目が、自身の手元に落ちる。 「静希くんは、余生もずっと僕のことを考えてくれた。僕が若くして死んでしまったことを本当に心から悲しんでいた。……僕は忘れてほしかったんだ。静希くんには、幸せになってほしかったから」 「僕は、彼を止めることができた?」 「うん。ありがとう。彼は今君の兄であって、静希くんではないんだよ。それを理解してくれたと思う」  真広は落ち込んだ様子から一転、今度は嬉しげに微笑んだ。 「おかげで僕も、思い残すことがなくなったよ」 「そっか。よかった」  そう言うくせに、ティトの表情は明るくはない。真広は首を傾げ、「気になることがある?」とティトをやや覗き込む。 「……僕は、間違えてたのかなって。兄様と二人で話して解決していたら、家族が罰を受けることもなかった」 「それは違う」  間髪入れず、真広がティトの言葉を遮る。 「君のおかげで誰も死ななかった。誰も悲しまなかった。当たり前の日常を送って、その幸福の中で生きていられてる。君が七歳の頃、エレア・ジラルドに会いたいとパーティーから抜け出さなければ、今の未来はありえなかったよ」 「……だけど、」 「そこはゲームの世界じゃない。そんなに甘いものじゃない。君の世界は君だけのものだよ。ゲームよりもずっと辛くて、残酷な現実だ。似ているけど違う。君も途中で気付いたんじゃない?」  ティトがゆっくりうなずくと、真広はティトの手に自身の手を重ねた。 「君は何も背負う必要はないよ。だってみんな幸せなんだ。君はがんばった。僕の勝手で振り回して、絶対に辛い思いをすると分かっていたけど、君はうまく立ち回って、全部のことをうまくおさめた。誇っていい」 「……それ、兄様にも言われた」 「そっか。静希くんらしい」  真広の手が、さらに強くティトの手を握りしめる。 「ありがとう、僕のわがままを叶えてくれて。苦しませてごめんね。君はもう何も背負わなくていい。静希くんももう何もしないと思う。だからこれからは何も考えず、君もお兄さんも、自分が幸せになることだけを考えて」  ティトの視界が白く染まっていく。慌てて真広の手を握りしめたが、ティトの手はするりと空を掴んだ。白くなっていく視界の中で、ティトは最後、確かに真広の笑顔を見た。 「脈拍は安定してる。あとは本人の気力次第だって何回言や分かんだよ」  さらさらと、柔らかな風がティトの頬を撫でる。穏やかな空気の中、ティトの周囲だけがどうやら剣呑としている。ティトは、ゆっくりと意識が浮上していくのを感じた。 「だって! あんなにボロボロになってたんだよ!? 殿下もすごく傷ついて、ティト・ロタリオも目を覚まさないし! もう二週間が経った!」 「落ち着けエレア。エミディオ様に当たってもどうにもならないだろ」 「落ち着けって……僕、まだきちんと謝ってないのに……このまま死んじゃったら……」 「それ、ディーノの前で言うなよ。あいつが一番気にしてんだ」  死んじゃったら、どうなるんだろう。僕はレンを傷つけるのだろうか。そんなことはさせない。僕は絶対に死なない。そしてレンに笑ってほしい。また彼の笑顔が見たい。  ティトは本当にゆっくりゆっくりと、細波が迫るように意識を戻していく。  まぶたが揺れた。それに一番に気付いたのはエレアだった。 「う、動いた! ねえ、起きたの!?」 「揺らすんじゃねえよ! 今は絶対安静だ!」 「違う、動いたんだって!」  三人の目がティトに集まる。ティトのまぶたがまたしても揺れるのを確認して、三人とも動きを止めた。  三人は、その目が開くのを固唾を飲んで見守っている。やがて眉が動き、うっすらとその目が開く。 「「「起きた!」」」  エレアは一番に、近衛に指示を出した。エミディオは急いで部屋を出ていく。エラルドはティトの目の前で手を振り、「見えるか」と問いかけた。  ティトの反応は鈍かった。数秒を要してティトの唇が開くが、すぐに空気が抜けた。 「ああ、なるほど。声が出ないのか。イエスなら一度、ノーなら二度瞬きをしろ。声は聞こえるか」  ティトが一度目を瞬く。 「では、目は見えているか」  またしても一度、目を瞬く。  その結果に、エレアは心底安堵したようにぺたりと腰を抜かした。 「気分はどうだ? 悪くないか」  それにも一度、瞬きが返る。 「では体は痛むか。おそらく動けないだろう」  ゆっくりと一度目を閉じて、同じように開いた。 「それだけ分かれば充分だ。ひとまず良かった」 「本当に……心臓も止まったって聞いて、本当に僕……」  真っ青な顔でふらりと立ち上がるエレアを、エラルドがしっかりと支える。  ティトの目がぼんやりとしていたから、二人は終始不安げだった。しかしティトからすれば眠たいだけであり、体が回復しようとしているのだとなんとなく分かる。ティトはとにかく眠たかった。そのためまたしても目を閉じて、すぐに深い眠りに落ちた。

ともだちにシェアしよう!