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第20話
先ほどまで洞窟の中に居たはずだが、瞬きをする間に、ティトは気がつけばグラウンドのベンチに座っていた。見慣れた場所だ。ティトが前世の記憶でよく見ていた施設のグラウンドである。このベンチでよく静希と話していたものだ。
「ここはね、僕のお気に入りの場所だった」
隣から声がして、ティトは反射的に振り返る。
一人分空けた隣には、眠たそうな目をした少年が座っていた。ティトは直感的に彼が「真広」であると、なんとなくそう思った。
「施設の子は仲が良いから、だいたいみんなでグラウンドで遊ぶんだ。僕はそれを眺めてるのが好きだった」
しかし今は誰も居ない。静かなグラウンドをただ、真広はぼんやりと見ている。
「……ごめんね。僕が君に記憶を与えた。君からすれば、余計なことだったかもしれない」
詳しく語られなかったが、ティトには何の意味かすぐにピンときた。
「どうして僕に記憶をくれたの?」
自身が真広であったこと。ティトの生きる世界がゲームの世界であること。その記憶がなければ、未来は絶対に違っていただろう。
一拍置くと、真広は口元だけで笑う。
「階段から君を突き落とした静希くんを見た。彼は、自分の弟が殺される運命にあると知って、今度こそ、どんな手を使ってでも守ろうと必死になっていたんだ。静希くんは僕を本当の弟だと思ってくれていたんだけどね、僕のことは守れなかったから……今世ではきっと、後悔したくなかったんだよ。だけど、僕はそんなことをしてほしいわけじゃない。君に止めて欲しかった」
真広の目が、自身の手元に落ちる。
「静希くんは、余生もずっと僕のことを考えてくれた。僕が若くして死んでしまったことを本当に心から悲しんでいた。……僕は忘れてほしかったんだ。静希くんには、幸せになってほしかったから」
「僕は、彼を止めることができた?」
「うん。ありがとう。彼は今君の兄であって、静希くんではないんだよ。それを理解してくれたと思う」
真広は落ち込んだ様子から一転、今度は嬉しげに微笑んだ。
「おかげで僕も、思い残すことがなくなったよ」
「そっか。よかった」
そう言うくせに、ティトの表情は明るくはない。真広は首を傾げ、「気になることがある?」とティトをやや覗き込む。
「……僕は、間違えてたのかなって。兄様と二人で話して解決していたら、家族が罰を受けることもなかった」
「それは違う」
間髪入れず、真広がティトの言葉を遮る。
「君のおかげで誰も死ななかった。誰も悲しまなかった。当たり前の日常を送って、その幸福の中で生きていられてる。君が七歳の頃、エレア・ジラルドに会いたいとパーティーから抜け出さなければ、今の未来はありえなかったよ」
「……だけど、」
「そこはゲームの世界じゃない。そんなに甘いものじゃない。君の世界は君だけのものだよ。ゲームよりもずっと辛くて、残酷な現実だ。似ているけど違う。君も途中で気付いたんじゃない?」
ティトがゆっくりうなずくと、真広はティトの手に自身の手を重ねた。
「君は何も背負う必要はないよ。だってみんな幸せなんだ。君はがんばった。僕の勝手で振り回して、絶対に辛い思いをすると分かっていたけど、君はうまく立ち回って、全部のことをうまくおさめた。誇っていい」
「……それ、兄様にも言われた」
「そっか。静希くんらしい」
真広の手が、さらに強くティトの手を握りしめる。
「ありがとう、僕のわがままを叶えてくれて。苦しませてごめんね。君はもう何も背負わなくていい。静希くんももう何もしないと思う。だからこれからは何も考えず、君もお兄さんも、自分が幸せになることだけを考えて」
ティトの視界が白く染まっていく。慌てて真広の手を握りしめたが、ティトの手はするりと空を掴んだ。白くなっていく視界の中で、ティトは最後、確かに真広の笑顔を見た。
「脈拍は安定してる。あとは本人の気力次第だって何回言や分かんだよ」
さらさらと、柔らかな風がティトの頬を撫でる。穏やかな空気の中、ティトの周囲だけがどうやら剣呑としている。ティトは、ゆっくりと意識が浮上していくのを感じた。
「だって! あんなにボロボロになってたんだよ!? 殿下もすごく傷ついて、ティト・ロタリオも目を覚まさないし! もう二週間が経った!」
「落ち着けエレア。エミディオ様に当たってもどうにもならないだろ」
「落ち着けって……僕、まだきちんと謝ってないのに……このまま死んじゃったら……」
「それ、ディーノの前で言うなよ。あいつが一番気にしてんだ」
死んじゃったら、どうなるんだろう。僕はレンを傷つけるのだろうか。そんなことはさせない。僕は絶対に死なない。そしてレンに笑ってほしい。また彼の笑顔が見たい。
ティトは本当にゆっくりゆっくりと、細波が迫るように意識を戻していく。
まぶたが揺れた。それに一番に気付いたのはエレアだった。
「う、動いた! ねえ、起きたの!?」
「揺らすんじゃねえよ! 今は絶対安静だ!」
「違う、動いたんだって!」
三人の目がティトに集まる。ティトのまぶたがまたしても揺れるのを確認して、三人とも動きを止めた。
三人は、その目が開くのを固唾を飲んで見守っている。やがて眉が動き、うっすらとその目が開く。
「「「起きた!」」」
エレアは一番に、近衛に指示を出した。エミディオは急いで部屋を出ていく。エラルドはティトの目の前で手を振り、「見えるか」と問いかけた。
ティトの反応は鈍かった。数秒を要してティトの唇が開くが、すぐに空気が抜けた。
「ああ、なるほど。声が出ないのか。イエスなら一度、ノーなら二度瞬きをしろ。声は聞こえるか」
ティトが一度目を瞬く。
「では、目は見えているか」
またしても一度、目を瞬く。
その結果に、エレアは心底安堵したようにぺたりと腰を抜かした。
「気分はどうだ? 悪くないか」
それにも一度、瞬きが返る。
「では体は痛むか。おそらく動けないだろう」
ゆっくりと一度目を閉じて、同じように開いた。
「それだけ分かれば充分だ。ひとまず良かった」
「本当に……心臓も止まったって聞いて、本当に僕……」
真っ青な顔でふらりと立ち上がるエレアを、エラルドがしっかりと支える。
ティトの目がぼんやりとしていたから、二人は終始不安げだった。しかしティトからすれば眠たいだけであり、体が回復しようとしているのだとなんとなく分かる。ティトはとにかく眠たかった。そのためまたしても目を閉じて、すぐに深い眠りに落ちた。
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