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第2話②
「うーん……でもなぁ……」
自室の引越しの荷物整理を続けながら、俺は考えていた。
セレにとっては、朝5時半に起こすぐらい大切な文化なんだよな、食事って。俺も別に、いや5時半に起こされるのはちょっと困るけど、一緒に飯を食うぐらいならしてやりたい気はする。
だけど、同じものを食べるっていうのは。難しいなぁ、と改めて思う。
「エルフ文化学入門」によれば、エルフは素材の味を楽しむ。彼らは強い浄化作用を持ち、精霊との繋がりを得ているため人間ほど必要な栄養がシビアではないらしい。その辺の理屈は精霊学やマナ学の分野になるから、俺もよく知らない。
そして彼らは、自分たちが無限のような時間を生きるが故に、他の命を奪って食事をすることに抵抗がある。彼らは主に植物を食べ、肉類は死んでしまったものがいるなら口にすることもあるが、それは弔いを兼ねており、積極的には摂取しないらしい。
ましてや、煮るはともかく食べ物を焼くなんて野蛮なことはしないんだとか。なんでも生で食べられるのは、強い浄化作用を持っているからだろう。
そんなに食文化が違うセレと、どうやったら同じものを食べられるか。なんとなく、セレの食べ物にどっぷりマヨネーズをかけるというのも、失礼な気がするし。
散々悩んだあとで、俺はヴァノンに相談のメッセージを送り、ついでに片付けの気分転換も兼ねて街へ出ることにした。
最寄りの街は活気に溢れていた。
建ち並ぶビル群を切り分けるように大きな車道が通り、車がひっきりなしに走り抜けている。百貨店に服屋、ドラッグストアに、レストラン、コンビニに、生活必需品の種族別専門店などの店が、派手な看板と共に並んでいた。
歩道を歩くのは様々な人類だ。俺のような人間、低身長でヒゲを生やしたドワーフ。獣の耳が生えていたり、なにかの尻尾が生えている獣人族。そして角の生えたマナランダーたち。
人混みの中に、エルフの姿はない。そして、エルフの専門店は見当たらなかった。きっとエルフ村あたりに集中していて、こういう普通の街には無いんだろう。
なんのヒントも得られそうにない。ガッカリしていると、ヴァノンからメッセージの返事が届いた。
『エルフと交流ってなかなか無い機会ですもんね。こういう時は、エルフ文化に詳しそうな人に聞いてみるのはどうです? エルフ村は遠いけど、街に行けば百貨店とかあるじゃないですか──』
百貨店。盲点だった。
なるほど、と俺は納得し、ヴァノンに感謝のメッセージを送る。確かに、街にはひとりぐらいエルフが生活しているかもしれないし、百貨店なら珍しいものも扱っていそうだし、俺より詳しい店員さんなんかもいそうなもんだ。
ということで、俺はとある百貨店の地下にある、総合食品売り場へと駆け込んだ。
百貨店の総合食品売り場は、各種族の紳士淑女の皆さんが集っている。総菜売り場には見たこともないような食材が色とりどりの料理として出されていたし、やはりものによっては「人間とドワーフが一緒に食べられます」が売り文句だったりもする。人類が和解し混ざり合って暮らす今では、異種族婚も珍しくはないから、セレに限らず同じものを食べたいという需要は有るんだ。
問題は、エルフが希少人類だから滅多に食材も売ってないってことだけ。だが可能性は0ではない。もしかしたら取り扱いがあるかも。俺は売り場の隅から隅まで見て回って、ついに見つけた。
ナガルルリの実だ。
それは見た感じ、俺たち人間が言うところのトウガンによく似ていた。実際、確かになんの味付けもなくグズグズになるまで煮込んだらあんな感じになりそうだな、と思いながら他にもエルフ食材が無いか見てみる。カナクグチの実っていうのは、皮が紫色のオレンジみたいなものだった。調理前からマズそう。
そのエルフ食材コーナーには、無料のレシピも置いてあったので試しに見てみたが、なんのことはない。各種族向けに味付けして食べる方法が書いてあるばかりだ。やはりエルフは百貨店なんかにはこない。別の種族たちが、エルフ食材を珍しがって食べているだけのようだ。
収穫無しか。はぁ、と溜息を吐いていると、「エルフ食材をお探しですか?」と声をかけられた。振り返ると、兎耳で背が人間の子どもぐらいな獣人族、ルービットの女性店員が俺を見上げていた。
「あ、はい。えっと、実はエルフの知り合いがいて……」
「まあ! それはとても貴重な縁ですね。エルフと同じものを食べようとなさって?」
「は、はい。でもどうせなら、まったく同じものを食べてお互い美味しいと思えないかなと思って……」
「まあ、それは素敵ですね! でも、そうですね……エルフさんたちは優しい味を好んでいらっしゃいますし……」
優しい味。まろやかな表現だ。さすが百貨店の人だな、と思っていると、店員さんは兎耳をぴるぴる動かしながら言った。
「少々お時間を頂いてもよろしいですか? 私もなにかいいものが無いか、探してみますね!」
明るく言う店員さんに元気づけられ、俺は大きく頷いた。
そうだ、まだよくわからないことだらけのエルフのことなんだから。俺も答えを探せばいいだけだ。時間はいくらでもある。……エルフほどじゃないけど。
「たっ、たっ、ただいま……!」
走って帰ってきたおかげで、なんとか18時の夕飯には間に合った。キッチンでなにか用意していたらしいセレが、驚いたように俺を見ると、駆け寄ってくる。
「ようやく戻ったのか。だらしない君のことだ、夕飯のことなど忘れていてもしかたなかったのに」
出している言葉はなんともいえないが、表情は心配そうだったので、別に急がなくてよかった、とかそう言ってるのかもしれない。が、今はエルフ語を翻訳し直している時間は無かった。すぐに、夕飯の準備にとりかからないと。
「セレ、コンロ使っていい?」
「あ、ああ構わないよ。だが君のような、精霊と会話のひとつもできない下等な生物が、火を扱えるのかね?」
「そりゃ使えるよ、こう見えても高校大学と自炊してたんだから」
とはいえ、今日はあまり時間がない。すぐに夕飯作りにとりかからないと。
コンロに小鍋をおいて水を1リットル入れる。そこに、まずは海藻を放り込んだ。今日はあんまり時間が無いから、10分ほどで次の工程へ進むことにして、とりあえず着替えるため部屋へ戻った。
ルームウェアになってキッチンに戻ると、セレが不思議そうに鍋を覗き込んでいる。そりゃそうだろう。ただの水に海藻を沈めてるだけなんだから。
セレのほうは食事の準備はできたらしい。テーブルに乗っているのはまたも見慣れない食べ物ばかりだったけど、どれもとにかく見た目がマズそうだ。そして事実、俺たちにとっては無味なマズさなんだろう。
俺のほうも、食事の用意を進めていく。メインのおかずはマナレンジで温める総菜を買ってきていた。百貨店の美味しそうな総菜をレンジに放り込むだけで夕飯はほぼできあがる。
そしてコンロの鍋へと戻った。満を持して火をつけ、水温が上がり、海藻全体に気泡がついてきたらそれを取り出して、皿に避けた。そしてそのまま湯を沸騰させ、見た目木くずみたいな削り節を放り込むと、すぐに火を止める。
で、さらに数分待つ。その間、セレは鍋や海藻、俺の顔を怪訝な表情で見ていた。確かに、この文化を知らなければ奇行にしか見えないかもしれない。
ボウルの上にザルを置いて、キッチンペーパーを敷く。そこに、さっきの削り節入りの汁を、丁寧に注いでこしていく──。
もう、この文化を持つ者ならわかるだろう。ようするに、俺は海藻と削り節のだし汁を作っていたのだ。
「セレ、余ってるカップとかある?」
「ああ、有るが……」
困惑しっぱなしのセレをよそに、できあがっただし汁を受け取ったカップに注ぐ。俺のぶんもマグカップに注いで、ダイニングテーブルへと運んだ。
あとはマナレンジから温まった食材を取り出して、俺の準備も終わり。席に着くと、セレは訝しそうな顔をしたまま向かいに座り、朝と同じように祈りを捧げ始めた。
その間に本で調べたところ、セレの夕飯は葉っぱを千切っただけのサラダに、果実を絞って温めたスープ、紫色のなんかどろっとした塊は根菜らしくて、ついでにその隣の煮込みすぎたリゾットみたいなのは、まぁ味の無い煮込みすぎたリゾットらしい。
ふーん、クソまずそう。
朝と同じ感想を抱いたけど、たぶんセレのほうも俺の飯に同じ感想を抱いていることだろう。
セレが祈りの言葉を終え、「食べたまえ」と促したところで俺も提案をした。
「なあ、セレ」
「なんだね」
「お前たちエルフは、食卓を囲って同じものを食べるのが文化なんだろ? だから……一緒にこのスープ、飲んでみないか?」
さっき用意しただし汁を指差すと、セレは眉間に皺を寄せた。今朝の玉子焼きのことを思い出してるのかもしれない。
「ほら、さっき俺が作ってたの見ただろ? 海藻と削り節を入れただけで、変なものは入れてなかったじゃん。最後には取り出しちゃったし」
「ま、まぁ、そうだね」
「それに調味料とかだって入ってない。セレにも、飲めないかなと思ったんだけど……」
「……だが、それでは君たち下賤な人間にとっては……」
味の無い汁なのでは。セレはそう思ったらしい。俺はにっこりと笑って、「いいからいいから。大事なのはセレが飲めるかどうか」とだし汁を勧めた。
戸惑うセレを見つつ、俺は先にカップを手に取り、まだ温かいだし汁を口に入れる。
どうしてたったあれだけの工程で、こんなに旨味が出るのやら。調味料も使っていないのはセレの料理と変わりはしないが、だし汁には豊かな香りとしっかりした「味」を感じた。
理屈は知っている。味覚には甘味、酸味、塩味、苦味があるとされていたが、主に人間の世界では旨味が認識されている。舌は複雑な味わいが混ざり合った時に美味しさを感じやすいとかなんとか。その点、だし汁は海藻や削り節などから出るアミノ酸やミネラルなどで、複雑な味わいが生まれるらしい。
それにしたって、これだけで美味いのはすごい。まろやかな味わいだが、これだけでもスープとして成立しそうだ。そりゃあ、もっと味や具を入れればさらに美味しくなるだろうが。
セレはしばらく俺を見て困惑していたけど、恐る恐るカップを手に取る。その温かい琥珀色のスープを覗き込み、匂いを確かめてからゆっくりと口元へ運んでいった。
最初のひと口は、本当に少しだけ。こくり、と飲み干して、セレは驚いたような表情を浮かべもうひと口。さらにもうひと口を味わうようにしてから、一度カップをテーブルに置いた。
「……美味しい……」
はたして、それが本音なのか、エルフ方言で貶しているのか。微妙なところだったけど、セレがカップを指差して尋ねる。
「君が食べていた他の食べ物より、臭みも辛味も少ない。なのに君も、美味しいと感じるのか?」
「ああ、俺もちょっと寂しいぐらいだよ。だから、もしセレが美味しいと思うなら、コレなら同じものを食べられる……いや、食べてる、のか?」
今更ながら、これは飲んでいるだけではと気づく。食べ物で考え直したほうがいいだろうか、と思っていると。
ぎゅ、っとセレの滑らかな手が俺の手を握る。ギョッとしている間にも両手で包み込まれて、その優しい温かみに胸や頬が熱くなってしまう。戸惑いながらセレを見れば、彼は穏やかな笑みを浮かべている。
完璧な造形の美男子が、俺の目の前で、俺に笑顔を向けている。それがハムスターに向けるものだとわかっていたって、俺はハムスターではないからドキドキするのをとめられはしなかった。
「アズマ、君はとても優しい。君と同じ物を食べられて、嬉しい」
「……そ、そう。そりゃ、よかった……」
「君と、ずっと、一緒にいたい」
まるでプロポーズの言葉みたいなことを言い出して、俺は耳まで熱くなるのを感じつつ、慌ててセレの手を振りほどいた。
「……っ、べ、別に、ここを出ていく予定もないから、いるけど……で、でも! 俺の部屋へ勝手に入るのは、ダメ! プライバシーの侵害!」
「ええ?」
とても残念そうな表情を浮かべるセレには申し訳無いが、これ以上距離感がおかしな感じで寄ってこられたら、俺はいよいよおかしくなってしまいそうだ。
「せ、セレだって同じエルフが、自分の部屋に入って来たらやだろ!?」
「もちろん」
「だろ? 俺だって、誰かに無断で入られるのは嫌なんだよ。だから、どうしても入りたかったらノックして、俺の許可を得てから!」
なんでナチュラルに俺が部屋に入れることになっているのかはわからないけど、セレは渋々といった様子で頷いた。
「まあ、仕方ないね。だが、君は何が有っても決して私の部屋に入ってはいけないよ」
「え? セレは俺の部屋に入って来てたのに?」
「もちろん。君は、ダメだよ」
キッパリという言葉は冷たく感じるが、冷蔵庫の時もこういう言いかたをする時は俺の身を案じていたような気はする。もしかして、エルフの部屋に入るってことは、人間にとってあまりよくないことなのかもしれない。
もしくは、ペット用のバリケードを用意している感覚かもしれない。なんにせよ、俺のほうも納得はいかないまま、「わかった」と言うしかなかった。
劇的に上手くいくわけじゃないけど、俺たちは少しでも歩み寄って、一緒に暮らせるようになっていってる。そんな感じがして、悪い気はしなかった。
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