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第2.5話

 目を開くと、見慣れた森の中にいた。  故郷のエルフ郷を模した、豊かな森だ。石造りの小道の他は、背の低い野花に満たされ、私たちエルフよりもずっと長寿の樹々が静かに眠りへ落ちている。その合間を縫って、精霊たちがふわふわと漂い戯れていた。  もっとも、ここで見えているものは、全て現実ではない。わかっていても、長年親しんだ光景に少々心がほころぶ。  道を進めば、清らかな女神の泉は空を映し揺れていた。足元で遊ぶ野うさぎを避けながら歩みを進めると、いつものテーブルセットへとたどり着く。  白く繊細な木製のテーブルセットは、我がシェルロフィ家のルービット職人特製のものだ。そこには既に兄様が腰掛けており、青い色の茶をカップで飲んでいるところだった。  先日成人したばかりの私とは違い、サヴァン兄様の顔立ちには大人びたものがある。人間が標準的に好んで身につける、カジュアルなパーカーやスニーカーなどを着用しており、一見エルフには見えないほどだった。  しかし、兄様がそのような姿をしているのには驚くこともない。彼は長年、人間社会で生きているのだから。 「サヴァン兄様」 「やあ、セレ。珍しいね、君がこんな時間に「接続」してくるなんて」  兄様は私に、向かいの椅子へ座るよう促す。それに従い腰掛ければ、どこからともなく私のティーセットが現れた。それに手をつけながら、兄様を見る。  サヴァン兄様は、私たち兄弟の次男にあたる。私は28男だから、かなり歳が離れていた。兄様がエルフ郷を出て人間社会へ行ってから、もうだいぶ経っている。私にしてみれば、兄様は様々な意味で人生の先輩ということだ。 「最近どうだい? ルームメイトは見つかった?」  兄様がさっそく本題に触れた。私は茶を少々頂いてから、「はい」と頷く。これには兄様も「おっ」と嬉しそうに笑みを浮かべた。 「種族は? 名前は? どんな子? 今度こそ、上手くいきそう?」  最後の質問には、なんとも答えにくいが。私は努めて冷静に返す。 「人間です。名前はアズマ」 「人間! いいじゃない。やっぱ可愛くていいよね、人間」 「はい、とても可愛らしいです。耳も手足も短くて……。それにとても素直で良い子なのですよ。私と共に暮らせるよう、あれこれ調べてくれて」 「えー、すごいじゃん。前のルームメイト、3日ももたなかったって言ってたよね」  その言葉に、う、と私は返事に詰まる。  そう。私がルームシェアをはじめて以来。私の同居人はたくさん現れ、そしてその度瞬きの間にいなくなってしまった。  様々な種族がいたものだが、中でも最短でいなくなったのはドワーフではあった。彼は私の顔を見るなり、「エルフなんぞと暮らせるか!」と言ってドアを閉めたものだ。高慢野郎と罵られたり、冷蔵庫のものを勝手に食べて泡を吹いた者もある。いずれも数日のうちには解約していなくなってしまった。  私の存在は恐らく事故物件のそれに相当するのだろう。大家は大層困っているだろうと申し訳なかったが、法外な違約金を用意しているから大丈夫! と笑顔で言われたのはなんとも複雑だった。  人類が広く開かれたとはいえ、我々エルフは人類社会にあまり進出していない。外へ出れば好奇の目で見られるから、私はもっぱら自室へ引きこもり、生活を通販に頼っている。人類と関わりたくて郷を出たのに、なんとも情けない話だ。おまけに同居人ともうまくやれない。その理由も、ずっとわからなかった。  そこへ現れたのが、アズマだった。 「……アズマとは、上手くやれそうです。彼は私達エルフの文化を理解しようと、努力をしてくれています。食事を共にし、言葉を交わしてくれる。人間のことも教えてくれます」 「へぇ~。すごいじゃない。大事にしなよ、セレ。君もその子のことをわかってあげられるように、努力を欠かさないこと」 「はい。……そういえば、入浴を見ようとしたり、寝顔を見ていたら嫌がられました。何故でしょう?」  私の問いかけに、兄様は一瞬きょとんとした顔をしてから、エルフとも思えない大声で笑い始めた。 「あっはっは、セレ、それはだいぶ酷いな、あっはは!」 「サヴァン兄様、そんなに笑わなくても」 「だってセレ、例えば私が君に同じことをしたらどう感じる? 私が君の入浴を見たり、寝顔を覗いたら」 「嫌です」 「ね、即答するぐらい嫌だろう? そういうことだよ! んふふ、ふふ」 「…………?」  私はそう言われても、理解が追い付かずに首を傾げる。  同族である兄様に、そうしたプライベートを見られるのはもちろん嫌だ。けれど、アズマと私の関係は? あんなに可愛らしい短命種にとって、私は?  思案する私に、「そうなんだよねえ」と頷きながら、兄様は茶をカップに注いでいる。 「エルフ郷にいると、どうしても視野が狭くなっちゃうからさ。わかったつもりでも、なかなかわかりにくいんだよね。短命種と私たち長命種が、同じ人類、同じ知能、同じ愛を持ち合わせてる、なんてさ」 「……同じ人類……」  改めて、その事実を思い出す。  私とアズマとは、同じ人類なのだ。寿命はとても短く、背丈も低く手足も短い、精霊と会話もできずマナともほとんど交感できない。そんなアズマが、私たちと同じ人類。  わかっているつもりだったが、改めて考えてみると、理解はできても感覚がついてこなかったようだ。  なら、アズマに随分悪いことをしただろうか。顎に手を当てて考え込む私に、兄様は微笑む。 「いいんだよ、最初はわからなくて当然さ。私だってこっちへきて50年ぐらいは悩んだものさ。ただ、頭の隅にでもおいておきなさい。アズマ君は同じ人類。ペットでも愛玩動物でもなく、君と同じく心の機微を持っていることをね」 「……はい、それは、よくわかっているつもりです」 「うんうん、今はつもりでもいいからね。時々思い出すといいよ。これ、年長者からのありがたい助言ってやつだから」 「……はい」  素直に頷くと、兄様はニッコリと笑う。そこで会話は一度途切れたので、私も茶を飲む。  しばらく他愛の無い話をしながら、過ごした後のことである。 「……?」  森の樹々が、突然ざわめき始めた。精霊の姿が見えなくなり、野ウサギたちがどこかへ駆けていく。初めて見る現象だ。 「ん、何か入って来たかな」  サヴァン兄様は動じた様子もなく、辺りを見回している。「ここ」に何かが入ってくるなど、そうそうあることではない。ここは、私たちエルフの「夢」なのだから。  もし何か、エルフ以外のものが入ってくるというのなら、それは私達の「領域」へ無断で踏み込んだということだ。今でいうなら、サヴァン兄様か私のどちらか──。  そこまで考えて、私ははっと気づいて立ち上がる。慌てて振り返って、森の入り口を見れば。  石の小道の上に、ぱったりとうつ伏せに倒れた、人間の姿があって。 「アズマ!」  私は思わず、その名を叫んだ。  

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