30 / 31
8-1 通じ合う想い
「セレ、俺はシルヴィオさんと話そうと思うんだ」
ふたりで朝を確かめあった翌朝。部屋も空気もいつも通りなのに、俺たちは昨日までよりずっと近くなっているように感じた。
普段と変わらない時間に朝食を終えて、俺はそう切り出す。するとセレのほうもうなずいてくれる。
「私もそう考えていた。昨日は感情的になりすぎてしまったからね。まるで子供のようだった。兄様が私を幼いと案じるのも無理はないよ」
「いやでも、あんな風に言われたら俺でも嫌だよ。それに形はともかく、ちゃんと自分の意見を持って表に出すことは、きっと大切なことだと思う。話せないと、何も伝わらないんだし……」
「……そう、だね。兄様にはきちんと無礼を詫びて、きちんと話そう。……しかし、耳を傾けてくれるだろうか……」
そこは本当に悩むところだ。話し合いをする、とこっちが思っていても、シルヴィオさんにそのつもりがなければどうしようもない。
だけど心配したところでシルヴィオさんの考えはわからないし、未来が変わるわけでもない。俺たちにできるのは、今ふたりの気持ちを確かめ合うこと、そしてシルヴィオさんにそれを正しく伝えることだけだ。
「正直な話、うまくいくかはわからない。でも、できる限りのことをしよう。じゃないと、きっと後悔するから」
最善を尽くしてもダメなら、諦めもつくし次の手を考えられる。だけど燻ぶってるままじゃ何も変わらないから。
「シルヴィオさんと話をしよう。俺の言葉はともかく、大事な弟の言葉なら聞いてくれるはずさ。そうじゃないなら、逆にそんな相手の言うことなんて、こっちも知ったこっちゃないって思えるしさ」
「……ふふ、それもそうだね」
セレは小さく笑っている。実際そう思えるかはともかく、気は楽になったらしい。けれど、まだ問題は残っていた。
「でも、今シルヴィオさんは何処にいるんだろう? エルフの郷に帰った……なんてことは、たぶんないよな?」
セレも「うーん」と顎に手を当てて考えている。
「恐らくは諦めていないだろうが、あの様子ではエルフ村へ向かうとも思えない。私にも気配がわかれば良かったのだが……」
「あ、それずっと気になってたんだ。エルフって他人の居場所がわかったりするのか?」
サヴァンさんと観光案内所で出会ったとき、彼は俺が来ることをわかっていたみたいに言っていた。そういえばシルヴィオさんに見つかった時も駆けつけてくれたし、サヴァンさんにはわかるのだろう。
「私にはまだ無理だよ。四百年近く生きている高位のエルフにはできるが、シルヴィオ兄様もあんなに取り乱しているようでは……。そもそも、この街の中では難しいことだしね」
「うん? ここだと他人の気配がわからないのか?」
「君に正しく説明するのは難しいが、ここは……不浄の空気と、喧騒と、欲にまみれているから……」
エルフ方言的表現なのか、本気のディスなのかわからないことをセレは口にする。まあ、そんなわけでセレには他人の居場所がわからないし、シルヴィオさんは高位のエルフだけど、初めて訪れたこの街では難しいんだろう。ましてや平常心でないなら、なおさら、ということのようだ。
サヴァンさんはきっとこの街に慣れているし、いつも飄々としているから平気なんだろう。なら、話は簡単だ。
「じゃあ、サヴァンさんに相談して、シルヴィオさんの居場所を教えてもらえないかな。その後のことは俺たちでなんとか頑張る、と」
俺たちの意見は一致した。そして互いの意見をすり合わせた後に、エルフ村へと向かったのだった。
「本当にこんな所にいるのかな……」
そして数時間後。俺たちは街はずれに流れる、河のそばまでやってきていた。
一級河川であるそこは街を東西に横切っているもので、ひと昔前にすっかり整備され現代的な姿をしている。土手の多くは車道や歩道になっているが、河川敷に降りると人影もまばらだ。街の喧騒もあまり届かず、比較的静かな場所である。
春はまもなく、とはいえまだまだ肌寒い。俺たちは温かいコートを羽織って来ていたが、河の流れに沿って風が通るそこは更に寒く感じた。セレの長い金髪がそよいで流れ、その度太陽に煌めき息を呑む程美しい。見とれてしまいそうになるのを、今は我慢する。しなくちゃいけないことがあるからだ。
ややして、俺たちの目標が見えてきた。
河川敷の端、河の流れのすぐそばに、ひとりのエルフの姿がある。風に長い髪と、煌びやかなローブを揺らしているその姿は、確かに人間なんかよりよほど格上の尊い存在のように思えた。まるで神様が地上に降りてきたみたいだ。かつて科学も文明も持たなかった人間たちにとっては本当にそうだったのかもしれない。そしてエルフたちにとっても──。
「シルヴィオさん」
間近まで近寄り、声をかける。シルヴィオさんは俺たちに背を向けたままだったが、聞こえているはずだ。俺はそのまま続ける。
「どうか、俺たちの話も聞いてもらえませんか。俺の考えと、セレの気持ちを、どうか」
「兄様、昨日の無礼をお許しください。けれど、私達の言葉を「神の声を聞く器官」へ入れてほしいのです」
セレも俺の後に続いて口を開く。それはきっとシルヴィオさんに届いているのだろう。未だに何の反応も示してはくれないけれど、その代わり拒絶もされてはいないのだから。
恐らく、シルヴィオさんなりに了承してくれている。そう解釈して、俺は話を続けることにした。
「あれから、俺なりに考えました。確かにシルヴィオさんの言う通りです。俺はどんなに長生きしたって、あと80年ちょいしか生きられない。しかも歳をとっていく。そしてセレをおいて、死んでしまいます」
セレをちらりと見る。彼は青空色の澄んだ瞳で俺を見つめていた。きっとセレも、その日のことに思いを馳せているんだろう。俺は胸に手を当てて思いおこす。家族が、管理人のじいちゃんがいなくなった時のことを。
「俺にも経験があります。大切な人を失ったことが。あの、身を引き裂かれるような痛みも、悲しみもこの胸にまだ残っているんです。涙が涸れてもまだ苦しくて、寂しさで辛い時間を過ごしました。きっとセレにもそんな思いをさせてしまう日がくるんだと思います。それも、ずっとずっと長い苦しみを……」
「アズマ……」
セレの優しい声が耳に届く。その温かさに後押しされて、俺は思いのたけをシルヴィオさんへぶつける。
「でも、それでも俺は、いなくなった人たちと出会わなければ、心を繋がなければよかったとは思いません。確かに大切な人を失ったのは、とても辛いことでしたけど……俺の中にはたくさんの、皆との幸せな思い出が残っています」
両親と暮らす、なんということのない日々。時には叱られ、時には褒めてもらった温かい記憶。一緒に遊んだ楽しい時間。泣いてばかりの俺を抱きしめ、引き取ってくれた優しいじいちゃんの大きな手。
思い出す度、胸が温かく、切なくなる思い出たち。それは今も俺という人物を作り上げている、かけがえのない日々だ。
あの優しさが、あの悲しみが俺を作り上げている。だから俺は人の役に立ちたかった。だから俺は、家族になってくれたセレを愛した。全部全部、愛と痛みからできているんだ。
「俺も、セレとの時間を大事に過ごしたいと思っています。いつか、俺が色んな理由でいなくなってしまったとしても、セレにとって大切な思い出がたくさん残るように、精一杯のことをしたい。俺にチャンスを与えてくれませんか」
俺自身の中で、思い出のひとつひとつがそうであるように。セレにとっても、俺との日々が美しくて愛おしいものになれたらいい。その為にも、俺は今この一瞬一瞬を大事に生きていきたい。
「私からもお願いします、兄様」
セレもまた、シルヴィオさんへ訴えかける。
「兄様が私のためを思って下さるのはよくわかっています。ご心配ももっともです。けれど、それでも私は、アズマと共にありたい。永い時を過ごすことはできずとも、もう私はアズマを想ってしまった。今更なかったことになど、どうしてできましょうか。今、彼を諦めたところで私の胸には深い傷がつくことでしょう。ならばせめて、最後まで愛させてはくれませんか。どうか、どうか……」
セレの嘆願が終わると、その場には沈黙ばかりが落ちた。
遠くのほうから列車の走る音や、楽しそうに笑う子供の声が聞こえる。言われてみれば、この街は随分賑やかだ。きっとエルフの郷とは全く違う世界なのだろう。そんな場所までやってきたシルヴィオさんも、真剣にセレのためを思っている。だけど、俺たちだって真剣そのものだった。
俺は緊張したままシルヴィオさんの反応を待つ。けれど、彼はしばらく何も言わず、動きもしなかった。何か、考えているのだろうか。
不安になって、思わずセレと視線を交わした、その時だった。
「あれはもう、どれほど前になるだろうか」
シルヴィオさんが、静かに口を開いた。
「私たちエルフの郷へ、人間たちの一団がやって来た。当時はまだ人類共通語も存在せず、彼らは拙い単語と身振り手振りで、私たちに言葉をかけてきた。彼らは人間の学者で、エルフ文化や古エルフ語、精霊のことを体系的な文献にまとめたいと語った。郷長である私たちの偉大な父は、彼らを拒もうとしたが……私を筆頭とした若いエルフたちは、人間との交流を望んだ」
「兄様、が?」
セレが驚きの声を上げる。俺も、少し違う理由でびっくりしていた。
『シルヴィオ兄さんもね、本当は人間が大好きなんだよ』
昨日、サヴァンさんにそう囁かれたからだ。あの時は、冗談か勘違いだと思ったものだけど、本人の口から出るならきっと本当のことなんだろう。
少なくとも、シルヴィオさんは昔、人間に好意的だったのだ。──いや、たぶん、今でも。
「私たちは訪れた学者たちに、できる限りの協力をした。言葉を教え、居住地を与え、私たちの全てを見せた。神聖な礼拝の間も、我らが大切に保管している神秘の宝飾品も、全てだ。学者たちは本当に喜んでいて、お互いにとって良い時間を過ごしたものだ。そうこうしているうちに、私はひとりの人間と懇意になった」
それはガリア族の青年だった、とシルヴィオさんは語った。
ガリア族は戦士として長い歴史を過ごしている。きっと学者たちの護衛か何かで来たんだろう。けれど、エルフの郷は平和そのもので、仕事をすることもほとんどなかったに違いない。それで、シルヴィオさんは彼と仲良くなっていった。
「今にしてみれば、恥ずべきことだ。しかし当時は私も若かった。後先も、自分の地位も彼のことも考えず、気付けば私は好意を抱いており……悪いことには、相手のほうも私によくしてくれたのだ」
シルヴィオさんはそこで一度口をつぐんだ。でもその沈黙が、俺たちに教えてくれる。つまり、今のシルヴィオさんが「良くない」と言っている状態に陥ったのだ。
エルフにはエルフの、人間には人間の伴侶。その言葉とは真逆のことが、シルヴィオさんの身に起きたに違いなかった。
ともだちにシェアしよう!

