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あちらの存在 1

意識を集中させる。 木々のざわめき、大地の静けさ、目の前にいるはずのエルメーザの呼吸、 戸惑いと不安と、それを凌駕する必死な想い。 誰かを、何かを、愛しく想う感覚。 本当はその心地よさに浸っていたかったけど、 レンシアはその背後に渦巻く深い闇のような世界に近付いていった。 この平穏な世界と一枚壁を隔てたような、その向こう側。 透明の壁に手を触れると、その冷たくて重くて、ゾッとするほど静かな空間に気付いてしまう。 そこは、人が立ち入ってはいけない領域なのだと分かる。 生き物の気配はなく、真っ黒で。 思わず目を逸らしたくなるその場所を、壁に手をついたままじっと見つめた。 よく目を凝らして、恐ろしい何かを見てしまったら、という恐怖と戦いながら。 すると、暗闇の中に誰かの背中がぼんやりと浮かんでくる。 「……イオンさん……?」 思わず壁に張り付いて彼を呼ぶけど、背中はどんどん遠ざかっていく。 「イオンさん…!待って……!」 行ってはいけない黒い空間にどんどん溶け込んでいくその姿が恐ろしくてたまらなかった。 二度と会えなくなって、しまいそうで。 レンシアは壁を叩きながら叫んだ。 振り返って欲しい、そしてこちらへ駆け寄ってきて。 いつもみたいに。 「イオンさん……っ!!!」 喉が壊れてしまいそうなほど必死で叫んだ。 『おや お や … 誰…かと 思 え ば …』 不意に後ろから聞こえてきた声は、ゾッとするほど美しい声だった。 思わず振り返ってしまうと、いつの間にか自分も真っ黒な空間にいて 目の前にぼんやりと発光した“何か”が浮かんでいた。 はっきりと感覚や眼で捉えているはずなのに、それが何なのか認識ができない。 『どうし た ? な に をそ ん なに 必死に 探 して いる んだ?』 何かは小さく笑いながらこちらを見下ろしているようだった。

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