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第9話 母親の詮索
冷司が食卓で朝食を食べていると、居間で母親がカバンから全部出してテーブルに並べる。
キーホルダーを見ないか、生きた心地がしない。
服のポケットもたまにチェックされるので、隠し場所が他に無いのだ。
参考書をパラパラめくり、ノートを見る。
書いている最後の行に、今日の日付を横に書く。
過去と見比べて、渋い顔になった。
「最近、書く量が減っているわ。
集中出来ないの?何の為に図書館に行ってるの」
「うん、もう少し頑張るから」
「あら?お金、昨日見なかったら随分減ってるわね。
バスは往復で480円、水は家から持っていくし、お昼はパン1個買うだけでしょ?
小銭しか無いじゃない。減りすぎだわ、タクシーも使ってないのに。
どういう事?」
「い、いや、タクシー使ったよ。家から外れてたから気がつかなかっただけだよ」
冷司の視線が泳ぐ。
光輝のアパートから帰る時に使ったタクシー代が2千円越えてしまったので、バレないよう調節するのに苦労している。
自分で隠し持っていたお年玉はもうなくなってしまった。
崩した時に少しずつ抜いて貯めた小銭ももう無い。
その上、昨日光輝にランチに誘われて、迷ったけど一緒に行きたくて使ってしまった。
おごるって言われたけど、彼だって専門学校の入学金を貯めている。
余裕のない彼に、お金をせびることで嫌われたくなかった。
一万円、もっと早く崩せば良かった……
でも、あれは最後の大切なお金なんだ。
母さんの前で父さんから小遣いをもらっても、父さんがいない時取り上げられる。
ああ、あと千円、千円あればごまかせるのに。
千円……千円でいいんだ。お金、お金が欲しい。
震える手をごまかし、深呼吸して落ち着いて返す。
「この間、美味しそうなランチ屋さんに入ったんだ。
それでちょっと使っちゃった」
「レシートは?なんてお店?」
「レシートなくしちゃって。お店の名前忘れた」
「何を食べたの?いいご身分ね。収入ゼロなのに。
言いなさい、何を食べたの?」
どうしよう、ランチって何があるんだろう。
僕はランチセットは高くて食べなかった。
一番安いトーストとコーヒーしか頼んでない。
これを、これを乗り越えないとデートに行けない。
ランチ、ランチメニュー、高いのも良く見ればよかった。
パッと、光輝が食べたスパゲティセットが浮かんだ。
「スパゲティだよ、美味しそうだったから。ごめんなさい」
「なあに?まるで私が何も食べさせてないみたいじゃない。
仕方ないわね。こんな無駄遣いするなら小遣い、しばらく2千円にするわ」
ゴクンとツバを飲む。
ご飯なんて喉を通らない。
もう、コウのアパートには行けない。
行っても帰れない。
どう歩けばタクシー代が安くなるのかもわからない。
安く……ちょっとでも安くなら、手が無いこともないじゃないか。
言ってみよう。ちょっとでも安くなら、もしかしたら、もしかしたら……
「か、母さん、僕の、僕の障害者手帳、返してもらって、いい?
バス代が安くなるんだ」
安くなると言う言葉に希望を託したが、母親の反応は違っていた。
不機嫌そうにバンと音を立て、手にしていた本を叩きつける。
冷司の身体が、びくりと飛び上がった。
「駄目よ。手帳ですって?
冗談じゃ無いわ、恥ずかしいと思わないの?
安くなっても何十円よ?
あなた、バスで手帳を見せて少しでも安く乗りたいの?
やめてよ、ああ、考えただけでも恥ずかしいわ」
「ごめんなさい、もういいよ」
「もういいじゃないわ!お母さんはね、あなたのその弱さが心配なのよ。
外出の不安とか、長く歩けないとか、あなたいまだに言うじゃない。
甘えよ、いつまであなた甘えるつもり?」
「ごめんなさい、頑張るから」
「手帳を出せば誰かが助けてくれるとか思ってるんじゃないの?
やめてよ、うちが何十円にも困ってるなんて思われたくないわ。
そんなところをご近所に見られたらどうするの?
ここは高級住宅街なのよ?そんな物使ってるの見たことも無いわ。そうでしょ?あなた見た事ある?」
「ごめんなさい、もう言わない」
「杖だってそうよ、家の近くでは使わないでちょうだい。
遠くから見るとため息が出るの。
二十歳なのにヨボヨボのお爺さんみたい。恥ずかしいったら無いわ」
「でも、杖は……わかったよ、使わないよ」
「もっとシャンとして歩きなさい。
ほんと、足をズルズル引きずってみっともない。これがうちの息子だなんてガッカリよ」
「ごめんなさい、ちゃんと歩くから」
浮かぶ涙を拭いて、箸を置いて立ち上がる。
もういい、いつまでも終わらない。いつまでも
彼が立ち上がると、母親も立ち上がって食卓を片付け始めた。
冷司は箱から水のペットボトルを取って、母親が立ち上がったあとのテーブル上の文房具をカバンに入れていく。
キーホルダーはノーマークで、心底ホッとした。
「まったく、何が気分がいいよ、ほとんど食べてないじゃない。
スパゲティは食べたいのに、私の作ったご飯は食べないのね。
せっかく作ってあげたのに馬鹿みたいだわ。
もう、明日から朝はパンでいいわね」
「ごめんなさい、食欲無くて」
「気分がいいとかウソついて、何を企んでいるのかしら。
いつも私が作った物はみんなゴミ箱行き」
「ごめんなさい。夕食で食べるから取っておいて」
「そう、あなたの夕食はこれでいいわね、私は外で食べてくるから。作らないわよ」
ブツブツ言う母親を見ないように、逃げるように家を出る。
ガチャン、
家の門を閉めた瞬間、身体中の重しがすべて落ちた気がした。
バッグから杖を取ろうとして、慌てて直す。
2階の窓から見ているかもしれない。
振り向く気力も無い。
“ 泣くな、泣くな冷司 ”
わかってる。
わかってるよ、光輝。
前を向いたまま浮かぶ涙を拭いて大きく息を吐き、背筋を伸ばしてバス停まで歩き始めた。
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