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第19話 助け出せたけれど
隣室の窓に手をかけたまま、冷司の部屋の窓に手を伸ばすが届かない。
下を見ると冷司の部屋の下はダイニングで、日よけのサンシェードがある。
残暑が厳しいからか、広げたままにしてある。
落ちてもあれがクッションになるか。
網戸が上手く開くか破れてくれるかが賭けだ。
母親が、電話片手に凍り付いて見てる。
光輝は大声で彼女に叫びたい気分だった。
お前のせいだ、俺達の恋愛は汚くねえよ!
「くそおおお!!一か八かだ!このくそっ!」
足の指が限界に近い。余力があるうちに飛ぶ!
膝を冷司の部屋の方へ向け、何度も頭の中でイメージを浮かべる。
真っ直ぐだ。
壁に沿って真っ直ぐ。チャンスは一度きり。
壁から離れるな。手足の指でジャンプしろ!
視線を冷司の部屋の窓に集中する。手を伸ばして息を整え、思い切って飛んだ。
「うおおおお!!」
「光輝君!」
「きゃあああ!!」
バッと左の指先が窓枠に引っかかって、 一瞬片手でぶら下がり、両手で身体を支えると壁の凹凸に足をかけ、一瞬で網戸を開けてサンに指を掛けぶら下がる。
「グハッ!ハアッ!ハアッ!」
詰めてた息を、一気に吐いた。
「あーくそ、こ、怖かった。上手く指引っかかって良かった。クソッ、山育ちの猿で良かった」
重いスープ鍋で鍛えた腕力で、身体を持ち上げ窓から覗く。
冷司が窓際に倒れている。
これだけ騒いでいるのに動かない。
急いで中に這い上がリ、部屋にやっと入ることが出来た。
「冷司!……冷司、おい、生きてるのか?」
冷司の顔をのぞき込むと、顔面蒼白でぐったりしている。
死んでいるのかピクリとも動かず、触れるのが怖かったけど、頬に触ると体温を感じてホッとした。
部屋が臭くて凄く暑い。
急いで窓を閉め、クーラーを付ける。
肩を少し揺り動かし、頬を両手で包んで軽く叩く。
「冷司!!おい!おい!しっかりしろ!」
「光輝君!本棚退かして!」
「わかった。なんだよこれ、一体何があったんだよ」
部屋中、水のペットボトルだらけでゾッとする。
とりあえず本棚を横に退かしていると、救急車のサイレンが聞こえてホッと息を付く。
「冷司君!」
「冷司!」
兄が抱き上げても、意識が戻らない。
息はしてる。してるけど、部屋は吐いた物の臭いでひどい。
「これに吐いてる、ちょっと捨ててくる」
お兄さんが、冷司の身体を光輝に任せてティッシュに埋もれているゴミ箱を外に持ち出した。
彼は驚くほど軽く、目が落ちくぼみ、頬がこけて憔悴している。
「くそっ!たった1週間でなんでこんなに痩せてんだよ!
なんで?!なんでだよ!冷司!」
この間、あんなにきれいだった顔が、こんなに憔悴して変わり果てている。
怒りがわき上がり、彼を抱きしめて思わず叫んだ。
「みんなで寄ってたかって、いじめて、なにが面白いんだよ!
こいつは一生懸命生きてるじゃないか!!」
涙がボロボロこぼれて冷司の顔に落ちる。
「すまない」
雄一が頭を下げた。
「ちゃんと、意識ある時謝れ!」
「わかってる、わかってるよ」
「こっちです!食事が一週間取れて無くて、部屋に籠城してたので」
ドタドタ足音が階段を上ってくる。
兄が、救急隊を先導する声が聞こえてきた。
「水分取れてたんですか?」
「わかりません、最近はほとんど吐いてるようです。
ゴミ箱、胃液と水ばかりで」
部屋に救急隊が入ってきて、担架を持ってきた。
「隊員さん、総合病院にお願い出来ますか?
あそこが冷司の身体のことわかっているので。
以前傷害事件に遭って、身体中刺されたんです」
「わかりました、聞いてみます。
しかし、これは……」
ペットボトルだらけの部屋と部屋に充満する吐物の臭いに、担架を入れて処置をしながら警察を呼ぶべきか救急隊が話し合っている。
「ごめんなさい……」
お母さんが、か細い声で部屋の外から返した。
「ごめんなさい……」
何度も繰り返して、すすり泣いている。
母親の様子から、救急隊が警察に連絡を入れるという。
結局、お母さんは放心してなにも言えない様子で、お兄さんが残る事になった。
「すまない光輝君、母と付き添ってくれるかい?
僕は事情を話さないと」
「わかりました。おばさん早く」
動けない母親の手を引いて、担架のあとをついて行き救急車に乗り込む。
救急車が走り出し、救急隊の人が聞いてきた。
「君は家族?友人?」
口を開こうとした瞬間、母親が返答する。
「息子の恋人です」
「ああ、わかりました。あとでお名前お聞きしますね」
「は、はい」
母親は、顔を伏せて泣いている。
光輝はどうしようもなくて、彼女の背を撫でていた。
身体中刺されたって?
あの事件?どんな事件だっけ?
病院にはすぐについて、救急で処置が始まる。
意識が戻らないのがとても心配だ。
まさか、死ぬなんて事ないと思うけど、妙に背中が寒々しい。
しばらくするとお兄さんも駆けつけて、処置が終わるのを待つ。
時間が過ぎるのが妙に遅く、空気が重苦しい。
やがて先生の話を、お兄さんの配慮で家族と一緒に聞くことが出来た。
「冷司、大丈夫なんですか?死んだりしませんよね」
兄が、開口一番で確認する。
光輝がハッと見ると、彼の手が震えている。
怖い、リアルな死の気配を実感して、光輝も震えた。
俺は、俺はきっとあとで泣く。今はしっかりしなきゃ。
「多臓器不全を起こしかけています。命の危険があると考えて下さい。
冷司君はあの事件の影響が大きいので、体調には十分気を付けるようにと……
食事が取れなくなったら、せめて2日目には入院させたかったですね。
全身状態が非常に悪く、特に肝臓と腎臓の機能がとても落ちているので、しばらくICUで処置します。
回復に手を尽くします」
先生は、少し憤った感じでまだ喋っている。
お母さんは、泣きながらずっと謝っていた。
何だか思ったより色々衝撃過ぎて、光輝は真っ白になって遠くで話す医師の話を呆然と聞いている。
事件、事件、冷司には、あの事件が必ずつきまとう。
なんで?
なんなんだ?ただの通り魔じゃ無いのか?
兄にどう言うことか聞こうとしたが、父親も駆けつけて家族はひどく興奮している。
光輝は父親に挨拶しただけで、話が出来ずに帰ることにした。
雄一には先に帰ってもらったので、話は聞けない。
それに彼に聞いても、余計な情報が入りそうな気がする。
光輝は家に帰ると、思い切ってポニーテールの彼女に電話した。
翌日、彼女の会社でその時の記事を読ませてもらう事にする。
彼女は電話先では詳しく言ってくれない。
冷司に何があったのか、だんだん知るのが怖くなってきた。
何だか不安感が大きくて、涙は出るし、飯も食う気がしない。
こんな気分になるなんて、一生に一度にして欲しい。
冷司の背負った物が重すぎて、光輝は一緒に背負えるのか心に何度もカツを入れる。
あの日、冷司と抱き合った布団を撫でていると涙があふれる。
光輝はその夜、なかなか眠れない一夜を過ごした。
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