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第4話 綱渡りの日々
「ゆきにぃちゃん、だいすきー!!」
土曜日の公園、ローラー滑り台や大型のアスレチック遊具があって小さな子どもたちのお気に入りの場所だ。
6年生の雪也が遊ぶには正直もう物足りなかったが、今日は保護者のような立場として正宏を連れて来ていた。
早朝なので、まだ他には人が居ない。
自転車を駐輪場に停めると満面の笑顔で両手を広げ、自分よりも頭ひとつ分背の高い雪也に駆け寄って行く。
いつものように、当たり前に歓迎する両手と筋肉質な胸に受け止められて正宏は、んー、と喉を甘えた声音で鳴らしながら額を雪也の肩口に擦り付ける。
「あまえんぼしに来たの?」
「うんっ!」
二人が出逢ってから、もう5年になる。小学2年生になった正宏は、まだ思考も行動も幼児に近い。
信頼の上に載った真っ直ぐな好意に、雪也も釣られて笑顔になれた。
正宏の言う「大好き」は家族に向ける愛情と同じものだ、と雪也は理解しているし、自分はこの子にとって血が繋がっていない兄のようなものだ、とも自覚している。
さっと、自分の下半身に意識を巡らせた。
劣情が形を成していないことに、今日もホッと息を吐く。
幸いにも、日中の正宏との触れ合いに情欲が溢れることはまだ無かった。
まだ、怪物じゃない。
少なくとも、昼間は。
もう何度も正宏を犯す夢を見て、起きると夢精していた。
いつも汚した下着の後始末をしながら、あまりにも自分が情けなくて腹が立って、居たたまれない罪悪感に苛まれる。
でも。
どうしても、離れたくなかった。
正宏の頭頂に鼻先を付け、深呼吸する。鎖骨の下辺りからじいん、と温かくなる泣き出してしまいそうなほど安心する匂い。
はー、と安堵のため息を吐きながら正宏の頭を撫でて柔らかい頬を何度も摘まんだ。
満足して手を離そうとすると、正宏が雪也の手を掴み、自分の頬へと押し付ける。
「もっとー!」
「…………かっわい……」
ボソボソとちいさく呟いて正宏のリクエスト通りまた頬を摘まむ。両頬だ。
「たーてたーてよーこよーこまーるかいてちょん」
歌いながら縦横無尽にほっぺたを摘み動かし、最後に頬の真ん中を人差し指でつんと押すと、正宏はキャッキャッと喜んで笑った。
頭の中にずっと居座っている暗闇が晴れて行く。
呼吸が楽だ。目の前が明るくなったような気がして、雪也は目を瞬かせる。
空が透き通って青かった。
雲も白くて、影が青い。
春の風が気持ち良くて、色とりどりの花が花壇で咲いている。遠くの野山は鮮やかな緑で、外遊びにはもってこいの日だった。
屈託の無さ、悪意の無さ、計算の無さ、裏表の無さ。
この5年間、正宏の傍らにはいつでも優しさと温かさと安心だけがあって、雪也はそれがこの先もずっと変わらないことを根拠無く信じることが出来た。
不意に涙が出そうになって、思いきり上を向いてやり過ごす。
背の低い正宏はそれに気付かずアスレチックに走って行った。
「まだだれもいないからすべり台ぎゃくそうしていー?」
「いいよ~」
ダダダダッと長いローラーの滑り台を降り口から登って行く正宏を目を細めて見ながら、
「まーくん、大好き。ぼくも、だいすき……」
まるで幸福感を噛み締めるように、正宏には聴こえないよう小さな声で雪也は呟いた。
「は、はぁっ、はぁっ、は……」
目覚めるなり、雪也は自分で自分の頬をバチン!と音が立つ程強く打った。
また、下着を汚してしまった。股間が濡れていて気持ちが悪かった。
夢の中で、正宏は泣いていた。
悲しそうに辛そうに。
痛がって、苦しがって、逃げたがっていた。
助けを求めていた。何度も。何度もだ。
それなのに。
どうして僕は……。
あの子が泣いていることを想像しただけで、今しがたまで見ていた夢を思い返しただけで、こんな……こんな……。
じっとりと濡れた下着の中に手を入れると、ガチガチに屹立した性器がビクン、と震える。
「まーくん……」
胸の奥が苦しいのは、きっと罪悪感のせいなのに。
「何なんだよ、コレ……」
こんなこと、おかしいのに。
「たすけて」
グチュグチュと扱き立て、
「たすけてよぉ、まーくん……」
達する瞬間思い浮かべたのは、正宏の頬の感触だった。
「無防備にも、程があるよね...…」
雪也が中学生になって最初の夏休み。
いつものように部屋に来ていた正宏は、まずはしゃぎ回って一緒に遊び、それから本題であった夏休みの宿題をし始めて、ベッドの上で読書感想文のための本を寝転がって読んでいるうちにいつの間にか眠ってしまった。
「僕はもう怪物なんだよ、まーくん」
あまりにも何度も何度も同じような据え膳をスルーし続けて来たが、もうとっくに限界は感じていた。
でも、これはまーくんのせいじゃない。僕が悪い。
そりゃそうだ。警戒なんかするわけが無い。普通、警戒の必要なんて無いのが当たり前なんだ。
幼なじみで、同性で、まーくんは勿論、僕だってまだ子どもだ。
頭の中がどんなに腐りきってたって、他人からはそんなもの見えやしない。僕が普通じゃないことなんて、僕しか知らないのに。僕にしかわからないのに。
正宏の頬は相変わらず柔らかくて、雪也はその頬にそっと唇を寄せた。
ちょっと酸っぱいような汗とせっけんの混ざった匂いが首元からする。ゾワゾワと、背骨と胸の奥が甘く疼く。
「…………」
雪也は、理性を振り絞って眠った正宏を残したまま自分の部屋から出た。
その日は結局、はち切れそうな自身を慰めるためにトイレに入ってなんとかやり過ごした。
雪也は中学2年生になった。
まだ6月だが、梅雨の昼間は蒸し熱い。
ここ半年ほど平日は習い事、休みの日にもなるべくワザと予定を入れるようにしていた。空手の試合や、クラスメイトと遊んだり、勉強会をしたり、できるだけ家を空けて正宏と二人きりにはならないように。
でもそれがとうとう裏目に出て、先週の金曜日、正宏は夜隣家の雪也を訪ねてきてもっと一緒に遊びたい、自分との時間も作って欲しいと懇願して泣いた。
正宏にしてみれば、4歳の年の差はどうしようもなく雪也と正宏の共通点を奪う障壁だった。
どんなに正宏が雪也と居ることを望んだところで、必要としたところで、共に過ごせる時間はいつも限られていて、更には今現在、雪也は敢えて正宏と遊ぶことを避けているのだから、正宏は寂しくて悲しくて、いつまで経っても追い付けない自分が悔しくてたまらなかった。
泣くのを我慢しようとしながら、それでも耐えきれずにしゃくりあげて言葉に詰まりながら乞う家族ぐるみで仲の良い隣家のまだ幼い正宏を、雪也はともかく義父の隼人と母の麗子は到底無視することが出来なかった。
両親からも強く説得され、そうして先週からは、正宏と過ごす時間を取る約束をしてしまった。
昨日の土曜日は梅雨の中休みで晴れ間だったため、二人で鉱物採集に出掛けた。
子どもの小指の先ほどの水晶がいくつか採れた。
近所の花崗岩の石切場の排石を積んである中に、握りこぶし二つ分ほどの大きさのペグマタイトが露出した岩が紛れている。
ペグマタイト(巨晶花崗岩)が含まれていると、石材としては不要な穴ぼこの空いたキズ有り品になるため、石切場では厄介者扱いだが、鉱物採集をする人間にとってそれは宝石も同然だった。
通常花崗岩では塊状の斑模様としか見えないピンク色の長石、黒く光る雲母、そして先端が透明でガラス光沢のある水晶が、大きく結晶を作って小さな洞の内側に向かって生えている。
立派な六角柱状の水晶の結晶に正宏が鼻息も荒く興奮して喜ぶのを見て、雪也は久しぶりに心の底から満足感と充足感に充たされた。
その日の帰り際に正宏は雪也と次の日曜日も一緒に遊ぶ約束を取り付けた。
日曜日は大雨だった。義父は料理人で、母もファッション系のチェーン店に勤めているため土日は不在だ。
それでも正宏の両親がいるだろうから大丈夫だと思ったのに、正宏の両親は正宏を雪也に託してイベントに行ってしまった。といっても、元々は連れて行こうとしていた両親に対して正宏が、やっと勝ち取った雪也との時間を優先するべく兼ねてからの予定を反故にして留守番をすると言い張ったせいだったが。
タンクトップと短パンの薄着で遠慮なく甘えて纏わりつき、雪也の部屋で寛ぎ、ベッドで寝そべる正宏の姿にもう理性は今にも千切れてしまいそうだった。
4年生になった正宏は幾分生来の屈託の無さが隠れ、思春期に近づくにつれて本心を誤魔化そうとする素振りも増えてきた。
が、元々嘘を吐くのも隠し事もヘタクソなため、相変わらず雪也への好意はただ漏れだ。
熱の籠った視線はいつでも雪也を追い、掛け値無しの笑顔はとろけそうで、用も無いのに接触が多い。
雪也にとっては、そのあまりにも分かりやすい好意と全幅の信頼が故の隙だらけな行動のすべてが、理性を引き剥がしに掛かってくる誘惑のように思える。
「雪にぃちゃん、こちょばして!」
「えー……僕にはしないでよ」
「うん、いいからこちょばして!」
雪也は乗り気ではなかったが、しぶしぶ正宏の足の裏をこちょこちょと触った。
正宏はくすぐったがって笑いながら転がるように逃げる。
脇腹を撫でると甲高い声。
まるで悦んでいるような。
背中をつつく。正宏が腰を跳ねさせる。
キャー、と部屋の中を逃げ回りながら笑って、正宏は雪也が触れる度に大袈裟にくすぐったがった。
ぞわり、下半身が重くなる。
頭の奥で警鐘が鳴っているが、もう手を止められない。
髪に触れた。
腹に、胸に、腰に、足に、そこらじゅうに。滑らかで柔らかな手触りが、雪也の正気をあっという間に奪っていく。
「もう、無理だ……無理だよ、まーくん……」
抱いてしまおうか。
頭の中で悪魔が囁く。必死に堪えて来たが、もう十分我慢したんじゃないのか。
どうせ、この子は僕を拒まない。僕に恋をしているし、何をしてしまっても受け入れてくれるはずだ。犯るか?今?
正宏がベッドの側に来た拍子に腕を掴み胸を押してベッドに転がした。すぐにのし掛かって押さえつけ、上から抱き締めた。
雪也の性器は痛い程勃起していた。
思考はもう焼け付いている。肥大化した性欲だけが行動を支配してしまう。
「ゆきにぃちゃん、もー、おもーい!」
正宏はまだ遊びの延長の意識のままだった。
雪也の目の色が既に変わってしまっていることに気付けていない。
ジタバタと暴れ、甘えるような声で雪也の名を呼ぶ。それどころか自分から擦り寄ってだきしめ返した。
硬い腕に捕らえられたまま、ふと見上げると、雪也はひどく真剣な表情で正宏を見詰めている。
しかも抜けるような白い肌の頬から耳まで綺麗に紅くなっていて、正宏の方も釘付けになり、見つめ合う。
微かなため息と共にほんの少し伏せられた瞼、長く艶やかなまつげがいつになく至近距離にある。見とれているうちに切なげに細められたまま自分の顔を映している瞳があまりにも美しくて、正宏は途端に激しくなる動悸に軽く目眩がした。
正宏はいつも、そこから逃げ出すことなんて思い付きもしないほど、この美しい幼なじみに心奪われ魅了されている。
それこそ、初めて出逢った時からもう一目惚れだった。
小さな頃から誰の目から見ても可愛らしかったが、最近は一段と、薫り立つような色香を纏って更に美しさを増してきているように感じる。
紅く柔らかそうで瑞々しい果実のような唇が、まーくん、と切実な声色で自分を呼ぶのを間近に見て、まるで周囲が無重力空間に変わってしまったかのように強い浮遊感を感じた。
恋い焦がれる相手に囚われて、もう腰も抜けてしまっている。指1本の動かし方さえ思い出せない。
「ひぇっ?!」
雪也の舌が、正宏の耳朶を舐めた。
「あ、や、や、や、だ、ぁあぁあ!や、やぁあ」
耳朶を舐めた舌が、くすぐるように穴に入り、幼い耳の凹凸の全てを舐め回した。
雪也の息遣いはどんどん荒くなっていった。
その吐息が耳や首筋に触れる度、正宏の全身が震える。
「あ、ゃ、あーーーーー」
正宏の耳の後ろから首筋に舌を滑らせ、甘がみすると、足の指の先までびくびくと揺れているのが見えた。
背中からタンクトップの裾に手を差し入れる。
熱い肌を撫でまわし、また耳を舐めた。
正宏は抵抗するどころか、初めての快感に完全になすがままになっていた。
瞳は潤み、全身上気して半開きになった口から紅い舌先がふるる、と震えているのが見える。
「まーくん……かわいい」
「あ、ゃ、やんんん」
「かわいいね、僕のまーくん」
雪也はうっとりと囁くと、正宏を横向きにさせ背中から正宏を抱き締めた。うなじから後頭部の生え際を舐めしゃぶりながら、正宏の尻から脚にかけて服の上から勃起をゴリゴリと押し付ける。
しばらくして下着の中が自分の体液でびちゃびちゃになるまで、雪也は止まることが出来なかった。
「あっぶな……」
ようやく、正宏を解放してやれた。がっちり抱き込んでいた両手を離し、密着させていた身体を離す。
射精したおかげだろうか、ぶち切れてしまっていた理性がやや戻って来た。
目の前に蕩けきった表情で訳もわからず膝をかくかくと揺らし荒く息を接ぐ正宏がいる。慌てて視線を逸らして雪也は思う。
こんなもん、一体どうやって我慢すりゃ良いんだよ。
互いに、無自覚の誘惑と剥き出しの執着をずっと突き付けられている。
それも、精神面でも肉欲でも常に求めて止まない心底惚れた両想いの相手からだ。
雪也と正宏では4歳の年の差の分、欲に対する解像度が大きく違ってはいたものの、二人が真に求めているものは既に同じになってしまっている。ともすれば、それは雪也にとっては醜い欲望の免罪符にもなりかねなかった。
このままじゃ、ダメだ。
今この瞬間だってもう、抱きたくて気が狂いそうだ。
僕が、僕にしか、「僕」からまーくんを守れないのに……。
雪也は、正宏を守りたかった。ずっと幸福感や安心感を何の見返りも求めず与え続けてくれている正宏を、大切な、まだまだ小さな幼なじみを、自身の欲望から守ってやりたかった。
来月の7月12日は、正宏の誕生日だ。採集してきた水晶の結晶の根本をダイヤモンドやすりで削る。割れ口の尖ったところが残って正宏がケガをするといけないから。
削り終わったら今度はサージカルステンレスの針金を巻き付ける。針金の切端も丸くなるように研磨紙をかけ、夜な夜な少しずつ丁寧に加工する。
同じ相手への歪みきった欲望と、純粋な愛情とが同時に存在できてしまうことが、雪也には苦しかった。
つづく
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