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第6話 愛か狂気か

正宏を遠ざけると決めてすぐ、告白してきてくれた同級生の女子と付き合った。 小柄で色白で髪の長いお人形みたいな女の子で、雪也も散々かわいいやら美少年やらと言われてきたが、彼女も負けていない美貌の持ち主で、同じクラスの男子たちに散々文句を言われた。 特に鈴を転がすような声が可愛いな、と雪也は思っていた。 彼女は思いの外積極的だった。自分から襲いかかってくる訳ではないが、接触を喜び、受け身なだけでなく自然と促してくれる。 嬉しい誤算だったのは、雪也が自分の性指向が意外とまともだということを知れたことだった。 精通した時からずっと正宏にしか欲情しなかったせいで、自分の性癖は少年に向いているのかと誤解してきたが、同い年の少女の香りや柔らかな肌、すべらかな髪、可愛らしい声、肉付きのある乳房や丸い尻で充分に興奮できた。 念のためネットサーフィンで成熟した女性の裸や扇情的な姿態の写真や動画を探し、それでもちゃんと反応できた。 逆に、正宏以外の男にはどんな年齢のものでも全く反応しないこともわかった。 そんなことを期待していた訳ではなかったが、雪也は自分が案外普通の男だったことが何より嬉しかった。 地の底まで堕ちていた自尊心が、救われたような気がした。 「かやちゃん、ありがとう」 「?ん?どういたしまして」 キョトンとした顔に近づく。口付けるとシャンプーだろうか、甘い匂いがする。 フワフワと心が弾んだ。下半身が熱くなるが、罪悪感なく居られることがありがたかったし、その感覚は穏やかで暴力的な衝動に悩まされることもない。 柔らかい唇を舌でなぞると、彼女が肩を小さく跳ねさせる。 閉じていた瞼がゆっくり開くと、零れそうに潤んでいる。 可愛らしいな。 「雪也くんのえっち」 「うん」 「かやのこと、好き?」 「大好き」 彼女は恩人だ。 もう自分は最低最悪のモンスターになるしかないんだと絶望していた雪也の心を救ってくれた。 このまま、彼女の魅力で身も心も一杯にしてしまえたらいいなと、雪也は願っていた。 上手く行けば正宏とは、以前のような血が繋がってないだけの兄弟みたいな関係性に落ち着けるかもしれない。 そうであれば、無理に離れる必要もない。 もう自分の加害的な欲求に振り回されることには疲れきっていた。 だからこそ、自分の安全基地(正宏)を手放さなくても良くなるかもしれないという希望に、雪也は浮き立っていた。 しばらくは何も問題無かった。 ゆるやかに関係性を育み、空いた放課後と休日のほとんどを彼女に費やした。 正宏とは生活パターンが噛み合わないように気を付けているから顔を合わせることもない。 むしろ、正宏にとっての脅威は雪也自身なのだから、これでいいんだと納得していた。 ただ、彼女と初めてセックスするデートの場所に自宅を選んでしまったのは、どうしようもなく愚策だった。 彼女を連れ帰ると、自宅ドアの前に正宏が居た。 ぞくん。 雪也の事情を何もわかっていない正宏は、久しぶりに会えた嬉しさでいっぱいだった表情をみるみるうちに失い、顔色を無くして俯いた。 絶望の表情を見て、胸がざわつく。が、開き直るしかなかった。 明らかにショックを受けた様子の正宏へのフォローをすることもなく自宅に逃げ込む。 何しろ、何も悪いことはしていないのだから、誰からも責められる筋合いは無い筈だった。 翌日、帰宅するとまた正宏が雪也の自宅ドアの前に居た。 ひっ、ひっとしゃくりあげながらずっと泣いている。 普段なら出会さないはずの時間に帰って来たのに、何故いる?と正直ウンザリした。通せんぼされてため息を吐きながら、雪也は心配した声をかけた。 「まーくん、どうしたの?」 「……………」 「大丈夫?中に入ろ?」 「…………」 何も答えない。ただ泣いているまま数分が経った。埒が明かないな、と思い始めた時だった。 「雪也くん?まーくん今日ずっとここで泣いてたよ、ケンカしたの?あんたの方がお兄さんなんだから、我慢して仲直りしなきゃダメよ」 同じ階に住むおばさんたちだった。幼い頃からの雪也と正宏の仲の良さを知っている。 げ。面倒が過ぎる。と思ったが、そのまま通り過ぎてくれた。 雪也は正宏の手首を握り、無理矢理自宅に連れて入った。 「母さん、ただいまー」 とキッチンの方へ向かって声をかけるが返事が無いことで、今朝母がPTAの寄り合いで18時30には家を出る、帰りは遅くなると言っていたことを思い出す。 父は飲食店の板前なので、いつも夜22時過ぎないと帰って来られない。 ばっと、玄関の時計を見た。まだ19時前だ。マズイ! 慌てて正宏に向き直って、出来るだけ柔らかい口調で言う。 「……………ごめんね、間違えた。こっちじゃないよね、まーくんはお隣のおうちに帰らなくちゃ。」 「いや、かえらなぃ!!」 しかしこんな号泣状態の正宏を隣家にこのまま帰すべきかどうか、迷ってしまった。とりあえず自室に入る。 なんとかあやして機嫌を取ろうと思ったが、苛立ちがつい声に出てしまう。 「まーくん、一体何がどうしたって言うの。いい加減、泣き止んでよ」 「かやちゃん、すきなの?」 「……っ……なに?昨日、聞いてたの」 カッと、頬が熱くなる。まるで浮気を咎められているようだった。 雪也は正宏の恋人ではないし、そもそも痛くもない腹を探られている筈だったが、何故か酷く後ろめたい気分になった。更に苛立つ。 「それでどうしてまーくんが泣くの。かやちゃんは、僕の彼女。恋人だもの、えっちくらいするよ。当たり前でしょ?」 正論だが、配慮が足りなかった。 正宏が怒りの形相で目を見開いた。ボロボロ溢れる涙も、正宏が深く傷付いていることを示していて、痛々しい。 「………きらい。ゆきにぃちゃんなんか、だいっきらい!!」 ずっと優しさと温かさと安心をくれてばかりだった正宏からの、初めての拒絶の言葉を、雪也は受け入れることが出来なかった。 急激に強い怒りが、湧いた。 雪也に背を向け、出て行こうとする正宏の足を払った。勢い余ってぐるんと回転しドアの廻り縁に頭が激突しそうになったのを腕を掴んで止め、そのままうつ伏せに引き倒して乗り上げ、四肢を押さえつけて床に拘束する。 「やっぱり、弱いな。小さいし、動きものろい。これなら簡単に壊せる。……なぁ、ヒトが何のために我慢してると思ってる?」 お前をめちゃくちゃにするのなんか簡単なのに。どうせ、僕に惚れてるから言いなりになるんだろ?それをこれだけ必死こいて守ってやってんのに人の善意を全部無駄にするって言うんなら、責任取れよ。その腹の中、もう徹底的に犯してやろうか。 利己的で理不尽な怒りだ。 頭の何処かでそれを理解してはいるが鎮める術が無く、震えるか細いうなじを、嚙みちぎってやりたくなった。 そんな非道な事をするのが嫌だからこそ、ずっと苦しんできたのに。 欲しくて欲しくて堪らない。狂暴な肉欲だった。犯し尽くして、ボロボロにして、そうやって自分だけのモノにしたい。その欲望に抗っても抗っても、結局堂々巡りになる。 どうして。今度こそ上手く行くと思っていたのに。 「ふざけるなよ。全部お前のためだろうが。」 低く、唸った。 この場でただひたすら怯えて震えていることしか出来ない無力な幼い子どもに対して。 嫌だった。あともう少しで、この最悪な自分をまともな人間に変えられそうだったのに。なんでこんなにも痛いほど勃起しているのか。思考がクラッシュした。あるいはバグかもしれない。いつも正宏に対してだけ、おかしくなる。 正宏の尻に自分の腰を押し付ける。服越しに硬くなった先端をゴンゴンと尻穴あたり目掛けてぶつけた。 体格の優る有利さを利用して床に押さえつけたまま、ずりずりと尻に押し付 け、蟻の戸渡を擦り上げた。 今すぐこの服を全部むしり取って裸に剥き、肉穴に直に剛直を捩じ込みたいと何度も思ったが、辛うじて衣服は脱がさなかった。 ただ、執拗に正宏の股間を刺激して性感を煽り、同時に自分の欲も慰める。 「やぁ、あ、あーっ、や、ゆきにぃちゃ、あぅう」 「くそ、なんでだよ。なんでいつもこうなるの」 「や、あ、ぁあ」 「ふざけんな、お前を壊したくないから、ずっとガマンしてるのに。なんで」 「んんぅ、あ……」 「まーくん、まーくん、まーくん……っ」 狂っている。 もう、そうとしか思えない。 この、一見平凡な普通の男の子に、何故こんなにも惹かれ、焦がれ、何もかもどうでも良くなりそうなほどに欲しいのか。 反面、同じくらいの強さで「守りたい」とも願ってしまうのか。 「はぁ、はぁ、は……っ」 下着の中で射精して、荒い息を継ぎながら上体を起こし、正宏の上から降りた。 蕩けた表情で口から涎を溢し、ピクピクがくがくと腰から脚を震わせている正宏を見てしまい、自分の視界を遮るように頭を抱えるとぶっきらぼうに言った。 「…………もう、帰って」 一回じゃ治まらない。 感じてしまって完全に無抵抗の正宏を前に、すぐにも理性が吹っ飛びそうで。 必死に冷静さをかき集める雪也を尻目に、正宏が抱き付いてきた。 「ごめんなさい、さっきキライって言ったのはウソ。ほんとはだいすき!」 ギョッとする、が、そう言いそうな気はしていた。幼なじみの正宏との付き合いももう8年にもなる。 今よりずっと幼い頃から正宏はいつも、雪也のすることなら何でもかんでも許してしまう。更には一切の疑い無く信頼して受け入れてしまうし、何かあっても直ぐに自分自身のせいだと判断してしまう。 「ハァ……、馬鹿な子。何にもわかってないんだ……。困るよ、まーくん。僕にどうしろって言うの。まだ小さいくせに、ほんの子供のくせに、どうして……。」 八つ当たりだったのに、正宏は取りすがって泣きながら謝罪してきた。 「ごめん、ごめんなさいっ」 「…………ちょ…」 「ごめんなさい」 「なんでまーくんが謝るの」 挿入は無いにしても、ほぼ強姦と変わらない。それも、今回が初めてという訳ですら無い。もう何度も同じような目に遇わされている。が、多分自分のされていることを、この子はぜんぜんわかっていない。 狡猾な雪也は、正宏の性質をよく理解しているからこそ、いつも正宏の視界の外から襲ってきた。 時に目隠しをし、視線を遮り、背後から擦りつけ、舐めしゃぶり……。 それでもきっと、成長するうちにいつかは気付くだろう。自分のされてきたことを。 「まーくん、お願い。早く大きくなって。早く僕に追いついてよ……」 そうしていっそのこと罵ってくれればいい。何てことをしてくれたんだと怒って、責め立てて、自分から離れて行ってくれればいい。 「………っ……」 じわじわと押し寄せる後悔で、もう雪也は泣き出しそうだった。 自分なりに、精一杯上手くやろうとしていたのに。 この子をなんとかして失わずにいるために、もがいてきた。これからもずっとずっと片時も離れることなく傍に居続けたかったから。 正宏に向かって両手を広げると、直ぐに雪也の腕の中に飛び込んできた。 一気に嬉しそうな表情になる真っ直ぐで単純な正宏が、ただただ可愛くて、愛おしくて、ひどくうらやましくてたまらなかった。 小学校からの友人の司が自動車の自損事故で亡くなったのは、高校を出てすぐの頃だった。 雪也は高校は他県の半寮制の男子校に進学して寮生だったこともあり、進学以来あまり会っていなかった。 それでも、とてつもない喪失感で、訃報を聞いた雪也は信じられなくて呆然となった。 通夜にも葬儀にも顔を出したが、久しぶりに会った他の同級生たちも皆同様で、まさか健康だった親しい友人をこんなに早く亡くすとは思って居なくて実感が薄い。 遺体の顔も事故のせいで半分が黒い痣になってはいたが、他は綺麗で、太い首も肩も、長年続けている空手のせいか真剣に武術に取り組む屈強さを現していて、実際に目の当たりにしているのに現実感が薄かった。 49日も終わった頃、友人数人と待ち合わせて墓参りに行った。 墓碑の名前を見て、そこでやっと実感する。 もう、どこにもいないんだ。 友人たち同様、雪也も泣いた。涙が止まらなかった。 実家に帰り、机の引き出しから家を建てて引っ越した上月一家からの転居先の案内状を取り出した。カラーで家の写真が印刷されたハガキで、正宏からのメッセージが下の方に走り書きされている。 『早く会いたいです。遊びに来てね!』 短い文章を指でなぞる。もう4年も遠ざけて向き合わず逃げ続けてきた。 「でも、人間て結構簡単に死んじゃうんだな」 考えたくもないが、何も知らないうちに、守ってもやれずに死なれてしまうくらいなら、背を向け痩せ我慢している間にどこにも居なくなってしまわれるくらいなら、もういっそ。 あの子の人生まるごと、食らい尽くしてしまおうか。 大学生になって最初の夏休み。雪也は地元の商店街に居た。ここは中学生たちの通学路になっている。 あぁ、いた。 随分と背が伸びて顔立ちも幾分精悍になってはいたが、すぐにわかった。正宏だ。 歩く時、相変わらず前しか見ていないから雪也が見ていることには気付かず行ってしまう。 数日かけて、どのくらいの時間に商店街を通るか把握した。 偶然を装って再会したが、成長した身体のわりに正宏は何も変わっていなかった。 「知らなかった、こっちに帰って来てたんだ」 顔を真っ赤にして拗ねたようにボソボソと言う正宏に、もう何日も観察していたんだけどな。と雪也は思った。 「わぁ、まーくん、すごく大きくなったね」 中学三年生になり成長した正宏の身長は、雪也より15センチ近く高い。180センチくらいはあるようだった。頭の上に手を伸ばすと、懐かしい、ちょっと固めの直毛の手触り。 あぁ。 途端に、何だか訳のわからない感情で胸がいっぱいになる。 この子は僕のものだ。 やっと取り戻しに来た。 正宏の瞳から、表情から、仕草から、雪也への想いを絶ち切れていないことが確信出来た。 相変わらず、好意が駄々漏れだ。 この場で引き倒して、この先の路地裏にでも連れ込んで犯すか。 とんでもないことが脳裏に過って、慌てて理性を引き戻すように雪也はバイトがあるから、また連絡する。と告げてその場を離れた。 動悸が治まらない。かわいい。体は大きくなったのに、全然変わってない。素直で、真っ直ぐで、純粋で、善良で、そして。 ……僕を狂わせる。 狂暴な怪物が、数年ぶりに蘇ってしまった。 つづく

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