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深刻な恐怖心

 時臣は少し離れたところから家の前まで歩き、居間であろう窓をみつめた。  瀬奈が走り出さないよう後に中条が寄り添って窓辺に立ち、レースのカーテン越しに木のフェンスの前に立つ時臣を瀬奈に見てもらった。  瀬奈の身体がブルっと震え、今度は逃げ出しはしなかったがその場にうずくまりガタガタと震え出した。 「解った瀬奈くんもういい。ソファに戻ろう。でも走り出すまでには行かなかったな、少しは改善してるのかな」  中条に抱き止められて震えながらいる瀬名を見て、唯希はマイクを取る。 「お母様は平気だったのでボスはどうかと思いましたけど、逃げ出しはしないもののすごく怖がってます。有難うございました、また車にお願いします」 『おー、解った。俺への『なんか』は強いってことか…また後で話し合おう』  インカムでそれを聞いて、唯希は瀬奈の足元に膝をついた。 「ごめんね辛い時に、でも今しかないから聞きたいの。さっきの人は探偵やってる篠田さんって言うんだけど、知ってるの?」  瀬奈は母親に両手を握られながら首を振る。 「じゃあ、どうしてあの人を恐れるのかな」 「会ったこともない人なんだけど、あの人が俺を殺しに来たって思うんだよ。何でかわからなくて、そばにいたら逃げなきゃって…逃げないと殺されちゃうって思うんだ」  母親の手を握り返して、小さく身体を震わせた。 「逃げる理由はそこなのね」 「はい、それにすごい顔をした化け物みたいにも見えちゃって、近くにいればいるほど怖い顔してくるんだ…母さんにも…近いものを感じてたんだよ…ほんとごめんでも母さんはもう平気だよ」  唯希はその二人を見て立ち上がり、この辺が潮時だと思った。  あまり瀬奈を追い詰めても仕方がない。中条の顔を見ると中条もそんな顔をしていたので、その場は中条に譲る。 「瀬奈くん、有難う。色々聞かせてくれて助かったよ」  テーブルを挟んで一度ソファに座った中条が瀬奈に向き合う。 「知ってるかどうかわからないけど、瀬奈くんと同じような子が今増えてるんだ。俺たちはその子達を助けたい。瀬奈くんの話はその一助になったよ」  唯希は今回中条の仕事姿を初めて見て、やっぱこの人もやる時はやるんだななどと客観的に仕事ぶりを見ていた。 「お母さん、篠田に会いさえしなければ瀬奈くんはもう大丈夫だと思いますが、一度医者に診せてみましょうか。多分精神科とかになると思いますが、それは少しこちらが調べてみます。また連絡しますので、少しずつ外に出たりして社会復帰させてやってください。医者のことは一両日にでもご連絡しますので」 「色々有難うございました。今日来ていただかなかったら、瀬奈が部屋から出ることはありませんでした。本当に感謝しています」  母親は立ち上がって中条と唯希に頭を下げ、それをみた瀬奈も母親に倣って立ち上がり頭を下げる。 「いやいや、こちらの仕事なので」  中条がたちあがってそう言いながらーそれでは我々はーと言っていると 「今回の報酬は、先日の口座でよろしいですか?お幾らお支払いしたら…」  などと母親が言ってきたので、それには唯希が慌てて 「いえいえいえ、今回はこちらがお願いしてお話聞かせていただいたのでそこはいいんです。お気になさずにです」  両手を前で振って、唯希はそれは固辞する。 「でも…」 「瀬奈くんが戻ったのは瀬奈くんの気持ちの強さと、後は何かの暗示みたいなのが解けたからです。我々も少し安心しました。こちらでお医者様のことは連絡しますので、それまではゆっくりお過ごしくださいね」  可愛い顔で微笑んで、それでは…と中条をつついてリビングを出た。  玄関には母親と瀬奈が見送ってくれている 「急な申し出にお応えいただき有難うございました。今後瀬奈くんのような子を助ける参考にさせていただきます。瀬奈くん、頑張ってねお勉強もね」 「はい」  勉強もと言われ、苦笑した瀬奈は今回初めてみせた笑顔だった。 「結構深刻だな…」  時臣の事務所兼家に戻って、今日は珍しく事務所の方で話し合う。  典孝を待つためだ。  中条は、伊藤瀬奈の様子を見てやはり何かを感じ、午後の予定をキャンセルして一緒に典孝の意見を聞きに来ていた。 「今度俺が確保した子にも電話でもいいから話聞きたいよな、そんときゃお前がやることになるだろうけど」  中条がそう言って、自分が以前捕まえた中条の依頼対象者にも話を聞いた方が、瀬奈との話と擦り合わせやすいと言ってきた。 「そうだな、なら相手の家と連絡とってくれ。対面でも電話でもいいが出来れば対面がいいな。パソコンの件とかお前の首実験も兼ねたいし」 「わかった、明日にでも連絡するわ。ところでここの医学博士はいつくるんだ?」 「今日はここにくる日なんだけど、何時に来るかわからないのよね。いつも研究(本業)が終わり次第で来てるから」  はあ〜と息を吐いて中条は唯希が淹れてくれたコーヒーを一口。 「いい加減な雇用してやんな〜。いくら払ってんだよそいつに」 「お前に関係ねえだろ。典孝には、こう言った医学関係全面頼らせてもらってる。この事務所のブレーンだぞ、医療知識では」  時臣も半ば笑いながらではあったが、確かに典孝にはこう言った面では世話になっている。典孝も普通の医者なら結構嫌がるものだが嫌がらずに積極的に協力してくれるから、時臣も頼りにしていた。 「ふうん、まあでも医療関係者囲ってる探偵ってのも珍しいよな。唯希ちゃんはやめ検だし。ずりぃ」 「偶然だけどな」  まあ、唯希はいずれにせよ、典孝は本当に偶然だ。  受付的な何かを募集した時に真っ先に来たのが典孝で、大学の学部は違えど後輩だったし、何より(当時)医学部の院生と言うのがこれからの自分に役に立ちそうだなと思い1発合格にしたのだから。  雇用は受付業務なので、この事務所に尋ねてきた人はまず典孝に対応をされる。 「あ、こんにちは。どうしました?皆さんが事務所(こっち)にいらっしゃるのは珍しいですね」  そんな話をしている間に典孝が事務所の入り口から入ってきた。  相変わらずのヒョロガリで、臨床に行かなかったのは体力が持たないからだと自分でも言っているほどひ弱な身なりをしている。  サラサラした髪はぱっつんにならない程度に眉の辺りでざくざくに切られていて(多分自分で切ってる)耳は常に出ていて、後ろは刈り上げにならない程度の長さがいつも保たれている。  時臣の甥の悠馬は典孝をマッチ棒と評するが、膝丈の上着を着てテコテコとデスクへ向かう姿は、マッチ棒(そう言う)感じの立ち姿だ。 「ああ、典孝に聞いてほしい話があってな。これは探偵仲間の中条、名前くらいは聞いたことあっただろ」  典孝は中条にペコリと頭を下げ、ーはい、一度お名前はーと言いながら背負っていたリュックを自分のデスクの脇にかける。 「それでお話というのは」  そのデスクの椅子に座り、くるりと回って応接セットに向くとメガネの縁をクイッとあげた。 「医療関係の話だとは思っていますが、今日はなんですか」  先読みされて苦笑した時臣は、最近の若い子探しの現状から、今日会ってきた瀬奈の話までを取り敢えず掻い摘んで話す。 「ああ、あの人探しはそういう裏があったんですね。ニュース等でやっている20(はたち)前後の子が自死したり事故に遭ってるのが多いのが、ここに集約されてるとは思わなかったです…大事(おおごと)ですよね明るみになれば」  本当にそうなのだが、警察も所轄ごとの事例なので所轄的には数は多くなくて目に留めるほどでもないと言ったところだろう。 「全くその通りでな。明るみに出たら大変なことになりそうなんだが、今のところさっぱりで。それでそれの解明の第一歩として、さっき事故に遭わずに保護できた伊藤瀬奈くんと言う子にあってきたんだが、なんだか妙なこと言っててな」 「伊藤瀬奈…うちの依頼でしたよね。名前が特徴的なので覚えてます。妙なこととは?」  一瞬パソコンで検索しかけて、思い出したとそう言って典孝は向きかけたデスクから身体を戻した。   まずこれ、とボイレコからパソコンが初期化されたと話している瀬奈の声、そして教室みたいなところで『先生』と言われる人はいたがその人の顔などが全く記憶に残ってなく、時臣が突き止めた高円寺のその教室のあるビルも今や思い出せないこと、そして何よりも今だ時臣を見て怯え、その怯えは自分を殺しにきた人だと思っていると証言している音声などを聞かせた。 「俺たちは何かしらの暗示とか洗脳を考えてるんだが、典孝はどう思う」 「興味深いですね…普通に考えたら洗脳…マインドコントロールや暗示…になるんでしょうけれど、マインドコントロールはここまでボスを怖がらせるには随分時間がかかるものだと思うんですよ…まあ専門ではないからあまり詳しくはないんですけど、なのでマインドコントロールは考えにくい。かと言って洗脳か…ん〜」  3人は興味深くメモを取ったりして聞いている。 「その、マインドコントロールと洗脳はどう違うんだ?」  時臣が代表して言うが、それは他の2人も思っていたことだった。

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