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第9話

 家族と食事をするたび、カップラーメンの方が美味しいと思ってしまうのは、俺の舌がバカだからなのだろうか。それとも、俺自身がひねくれているからだろうか。  俺はそんな事を考えながら、曇りないカトラリーを手に取って、幼い頃から強く躾けられた順番を守りながら、大して味のしない魚の白身にナイフを入れる。  右隣りには、アルファとして成功を収めている上の兄二人が、アルファの父と満足気に談笑をしている。そんな父に花を添えるようにして、控え目に微笑むばかりの母は、来てから一度も言葉を発していない。  この家族ごっこは、一体誰の為の、何の為の儀式なのだろうか。  三人の経営や近況や社会情勢などの意見交換をBGMに、バターの脂のしつこい白身魚を口の中に押し込む。  早く帰りたい。劣等感で今にも死にそうだ。 「美術館の仕事はどうなんだ?」  不意に話が回って来て、油断していたせいもあり、一瞬言葉に詰まると、 「まあ、難しい仕事もないんだろ?」  と弁護士をしている兄が笑った。 「お前は欲も薄いし丁度いいだろう」  追い立てられるように医者の兄が縁のない眼鏡の奥で微笑する。俺はそれらの言葉に対して反論したい反面、世間一般のアルファとして、自慢できる仕事ではないという事は、痛感しているので、何も言えなくなってしまう。 「美大にまで行って、あの時はついにうちから芸術家がついに出るって、盛り上がったのにな」  期待外れ。  言葉にならなかった言葉尻が、そう聞こえた気がして、俺はナイフを強く握った。 「でも優里の絵、私は好きよ」  食事の席で初めて母が口を開いた。ねえ? と父に同意を求めるように母が視線を向けるが、父は我関せずと食事を口に運ぶ。母の言葉に兄は、 「でも、売れないと意味ないしね」  とシラけたように肩を竦める。浅い沈黙がテーブルの真ん中に、窪みを作るかのように沈み込んでくると、母は「私は好きだもの」と微笑み、魚の白身を薄く切る。  俺はこの沈黙が苦手だ。  擁護してくれる母に重荷を背負わせてしまう事も、一家の期待を裏切った出来損ないであると、強く痛感させられる事も。全てが深く身体の奥に沈み込んでくる。  俺は視線を窓の外へと移した。  六本木のホテルにある上層階のレストランから見渡す夜景は、暗闇の中に宝石を散りばめたように色鮮やかで、全てがきらきらと輝きを放っている。遠くに見える東京タワーが、ぼんやりと朱色に輝き、白いライトが点滅を繰り返す。車の光が、正しく揃った速度で通りを流れていく。  こんなにも綺麗で、はっとする光景なのに、どうしても気分が晴れない。 「ごめん、ちょっと」  俺は膝にあるナプキンをテーブルに置いて、席を立った。シャンデリアから降り注ぐ、淡い光の下、控え目なクラシックの流れる店内を静かに後にして、俺はエレベーターで地上三十七階から地上三階の商業施設フロアまで一気に下がっていく。  ガラス張りのエレベータ―の中、薄っすらと映る自分の情けない顔と対峙していると、ため息が無意識に零れてしまった。  兄からの嫌味なんて、今に始まった事ではないのに、何故毎回さらっと流せないのだろうか。母も庇ってくれているのに、何も言えない自分が情けなくて堪らない。  硝子に薄っすら映る自分と、向かいのビルのネオンが重なりながら、過ぎて行く。いくら彩を添えても、どんよりとした自分の暗い表情が、一層情けなく目に映った。  しっかりしろと、その顔を引っ張叩いてやりたい。けれど、自分がいくら変わったら、どのくらい頑張ったらいいのか、途方も終わりもない話に、諦念が新たな決意の芽吹きも摘み取っていく。  兄に並べるようにと思ってきた幼い日々に植え付けられた、何しても敵わない・無駄だという現実が、太い鎖のように足に纏わりついている。  商業施設の階に降り立つと、ショッピングを楽しむ男女が楽し気に往来していた。俺みたいに情けない顔をしている人なんて、一人もいない。皆が皆、己の生活や立場に充足し、日々の暮らしが満ち足りているように見えてしまう。  だめだな、と軽く頭を振ってから、俺は丁度目についたチェーン店のオープンカフェに入った。アイスコーヒーを頼んで、窓際のカウンター席に腰を下ろすと、頬杖をつきながら、ドーム型の天井と、その下にある噴水、そのそばに並べられたカフェスペースで夕飯を楽しむ人たちを眺める。  あんなふうに、普通に談笑しながらご飯を楽しみたい。自分の仕事が誇りあるものだと、認めてもらいたい。――無理だろうけど。  ガムシロップもミルクもない、黒い液体の苦みを味わいながら、ストローで氷をがらがらと掻き回す。  ドーム型の天井にはめられている硝子の向こう側に映る、濃紺の夜空を眺めながら、俺はふいに續山さんのことを思い出した。彼のスケッチブックを撫でるような筆使い、真剣な眼差しと、楽し気に好きなものを語るその口調ときらきらとした眼差し。ずっと遠ざかっていた純粋な気持ちが、彼にはある。ただ好きだという気持ちだけで作られた、純粋な彼の世界が羨ましい。  こんな時に、彼に会えたら。 「あ、やっぱり今森さんだ」  左隣から声がして、視線を向けると、 「こんなところで会うなんて、驚きですね」  今脳裏に思い浮かべていた人物が、嬉しそうに白い歯を見せて笑っていた。背中にはあの大きなボックス型のリュックを背負っている。

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