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第11話
店内を出ると、駐車場へと向かう。止められた一台の大きな黒いバイクを目にして、俺は少しだけ面食らってしまった。優し気な彼の印象からは、少しばかりかけ離れた大型バイクは、クロヒョウのような野性味を感じさせたし、何よりも彼に紐づかなかったからだ。
バイクを前にすると、彼は背負ってた大きなカバンをコンパクトに畳んでしまうと、椅子となる場所を開いてヘルメットを取り出した。彼は先にバイクへと跨ると、わずかに車体を傾け、ヘルメットを向けてくる。
「一応ね」
そう言いながら受け取ると、慣れないそれをすっぽりと頭に被り、傾けられた彼の後部席へと跨る。
「俺、バイク初めてです」
「それは良いですね。家どこら辺ですか?」
「渋谷の方です」
「了解」
彼は頷き、ゆっくりと車体を走らせる。滑らかな走り出しに、緩やかな風が身体の側面を撫でていく。地下駐車場から外へと抜けると、首都高から響く車の走行音と、光り輝くネオンと人の往来のある通りへと出た。バイクは渋谷へと向かい走り出す。心地良かった風が、少しずつ荒々しさを増し、爽快感へと変わっていく。
こんな事は初めてだ。
体感する風ときつく締めていた胸の内側の鍵を開けたような開放感が、身体の隅々まで酸素を循環させる。一呼吸するごとに、身体が軽くなってくるような錯覚が湧き上がってきて、生まれて初めて、これが「解放」というのかもしれない、なんて思ってしまう。
「續山さん、ありがとう」
俺よりも少し高い位置にある彼の耳に向かって声をかけるが、反応がない。どうやら強い風の声にかき消されて、聞こえてないのかもしれない。けれど、それならそれでいいような気もする。
俺は彼の大きな背中に、顔を近づけた。
彼を初めて見かけた時の、甘い香りがする。
胸の内側が、先程までとは違うもっと穏やかな鼓動を打っている事に気付いた。俺はこれは何だろうと、わざとらしく考えてみる。
本当は、分かっているくせにと思いながら。
そして、彼はやはり「オメガ」なのだろうと、根拠もなく確信している自分がいた。だからこんな甘くて柔らかい、心地の良い香りがするのだ、と。細胞の一つ一つの核にまで染みこんでくるような、親和性のある香りが、何よりも本能的な証拠のようにも思えた。
彼が俺の「運命の番」ならいいのに。
不意にそんな夢見がちなことを思ってしまう。
しかし、運命の番に出会える確率は、世間一般が認知する程、高確率ではないという事は知っている。それでも、そうであれと願ってしまうのもまた、本能的な事なのかもしれない。
俺の両親も「運命の番」という訳ではなかった。ただ、お互い運命でなくとも一緒になったのは事実だ。
彼の自分よりも広い背中に、軽く頭を預けながら、俺は流れてくる甘い香りに酔い浸る。目の前を流れる色とりどりのネオンが、宝石のように輝いて見えていた。
こんな気持ちになるのは初めてだ。
今まで誰にも恋心を抱いて来なかったわけじゃない。それなりに恋愛というものを――誰かを本気で愛するということをしてきたはずだ。――なのに、何故だろう。
こんなふうに包み込まれるような恋をした事がなかった気がする。
「今森さん、眠いですか?」
信号に捕まって停車した彼が、軽く振り返って問うてくる。俺は慌てて背中から頭を離すと、首を横に振った。續山さんは目元がくしゃりと皺を寄せて、
「ちゃんと起きててね」
と後ろ手に俺の脇腹辺りを、ぽん、と撫でた。子どもをあやすようなその仕草に、俺はゆっくりと頷くと、バイクの座席の横にあるハンドルを力を込めて握り直す。
「出ますから、しっかり捕まっててくださいね」
それを合図に、ぐん、と重力が掛かり、身体が背後へと軽く流される。再び夜風が身体に纏わりついてくると、先程の爽快感とは一変し、生温く心地良い空気に包まれる気がした。
渋谷駅まではもう少し。
真っ直ぐ続く道路を走り抜けながら、もっと長い時間、この場所に居たいと切に願ってしまう。一分、できれば五分、時間が止まってしまえばいいのに。
こんなふうに少女漫画みたいなことを考える日が来るなんて、思いもしなかった。
俺は顔の熱を冷まそうと、息を吐き上げながら夜空を見上げた。街のネオンに照らされた夜の空には星もなく、灰色を帯びた群青色に染まっていた。
俺は少し濡れた夏の夜の空気を肺一杯に吸い込んで、バイクを降りたらどんな顔をしようと考えてみる。
上手く思い浮かばないけれど、閉じた瞼の裏側には、はっきりと續山さんの笑顔が滲んでいた。
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