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第13話

「え、ここ……?」 招かれた桜庭の家は焼きたてのパンの香りに包まれていた。 『ベーカリーさくら』 看板にそう書いてある、店内を進んで、桜庭が奥にはいる。 「ただいま、母さん。今日友達と勉強するから」 「あら〜、ゆっくりしていってねえ」 「あっ、おっ、お邪魔します」 桜庭のお母さんらしい、レジにたっていた女性に声をかけられて、オタつきながら答える。姫野も「はっ、初めまして。お邪魔します」と緊張ぎみに答えていた。 「適当に座って。飲み物とってくるね」 二階にあがると、普通の住居スペースがあり、居間のダイニングテーブルを囲うように、四人座る。 「桜庭くんちって、パン屋さんだったんだ」 姫野がつぶやいて、「そうだよ〜」と百瀬が返す。 「桜庭の弁当、いっつもパンばっかでしょ?」 言われてみれば。毎日のラスクにも合点がいって、うなずく。 「なんの話〜?」 桜庭がお盆に飲み物と菓子パンを乗せて帰ってきた。 「なんか母さんに持たされちゃった。みんな食べて」 オレンジジュースと、チェリーパイを渡されて、いただきます。と口に運ぶ。 さく、とした食感に、果実の甘みが口いっぱいに広がる。 「おいし?」 桜庭が、俺を覗き込んで、上目遣いに言う。 「う、うん、ひゃっ」 距離の近さにたじろぎながら、答えると、口の端を親指で拭われた。 「クリーム、ついてた」 そう、妖艶に笑った桜庭が指についたクリームを舐めとるーー、 「はいはい、俺たちもいるからね。二人の世界にはいらないでくださーい」 百瀬を含めた三人にじとっとした目を向けられて、桜庭が「ちぇー」とつぶやいて離れる。俺は、赤くなった頬を冷ますように顔をあおいだ。 「小山くんはどこがわかんないの?」 チェリーパイを食べ終えて、テキストをテーブルに広げた俺たちは、黙々と勉強を始めた。 「ええと、公式は覚えてるんだけど、使い方が」 「ああ、それはね」 桜庭の教え方はわかりやすかった。成績が優秀なのは知っていたが、天は二物を与えるものである。 剣道は現国だけ、赤点だったらしい。「人の気持ちなんてわからないだろう。普通」と至極真面目な顔で言っていた。現国の追試は漢字テストのみなので、そんなに心配はいらなさそうだ。 百瀬は開始五分で、ぐでー、と机にもたれかかって弱音を吐いた。 「無理〜、何がわかんないのかわかんない」 「とりあえず、公式覚えて。そこからだから」 意外にも、姫野が面倒見よく、百瀬に付き合っている。このふたり、体育祭以降、距離が縮まったように見える。そういえば、百瀬はなぜか、姫野を連れ出してペアダンスを踊っていたっけ。 あらかた勉強が進み、基本問題なら解けるようになったところで、トイレに席を立つと、帰り道でぐい、と手を引かれた。 「わ、なに、」 しーっと桜庭が人差し指をたてて、部屋のドアを閉めた。 勉強机に本棚。青いシーツカバーのベッドが置かれたこの部屋は桜庭の匂いがいっぱいにする。 「好きな子を、自分の部屋に連れ込むとか、ロマンでしょ?」 そう言って不敵に笑った桜庭に、顔が熱くなる。 ていうか、今、好きな子って、はっきり。 ドッドッと心臓がなる。 「ちょっとだけ、充電」 「え、」 温もりに包まれて、桜庭の匂いが飽和する。 抱きしめられている、と理解すると心臓が壊れそうなくらい締め付けられる。 桜庭は、もしかして、もう、お試しじゃなくて。俺のことが。 ……じゃあ、俺、は? 手が、動く。抱きしめ返そうとしたとき、身体を離された。 「可愛い顔しすぎてるから、もうちょっとしてからもどっておいでね」 桜庭がゆる、と妖艶に笑う。 部屋の戸を閉められて、しゃがみ込んだ。 「はーーーー」 俺、いま、なにしようと。 心臓がうるさくて、しばらくそこからうごけなかった。

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