10 / 63

3 知らぬ思いのその色は(2)

 どちらにせよ、結果的に玲陽をうまく扱ってくれるのだから、当面は任せてもよさそうだ。  しかし、安珠は玲陽だけではなく、犀星のことも案じていた。玲陽と再会する前、犀星自身も気鬱に苦しんでいた。その病がすべて癒えたわけではない。  玲陽を思うあまり、自分のことが後回しになっているな。  涼景は冷静に見ていた。  涼景は警備の打ち合わせという仕事でここにきたのだが、どうしても、犀星の友人の顔になってしまう。 「星」  蓮章との雑談が途切れたのを見計らって、涼景は呼びかけた。犀星がこちらに向くと、それにならうかのように玲陽も振り返る。涼景は、ふたりに等しく微笑んだ。 「旅の疲れは後から出るものだ。溜まった仕事や冬支度などでいろいろ忙しいだろうが、あまり無理をするな」 「ああ」  犀星は完全に無表情ではないが、落ち着いた様子で頷いた。 「陽にとっても初めての都の冬なんだし、星、まずはおまえが自重しろよ」 「している……」  と、言いかけて、犀星は少し考え、 「そうだな」  と、受け入れた。 「何かあれば、言え」  涼景は何気ないふうに言いながら、目だけは真剣だ。  星、絶対にひとりで抱えるなよ。  涼景の眼差しが、言葉にせずに語りかけている。  犀星は一瞬軽く目を開き、涼景を見つめた。  感づいたな、と涼景がわずかに微笑む。犀星が、あぁ、と言うようにわずかに目で頷く。死戦をくぐり抜けてきたふたりには、これだけで十分だった。  涼景は、そこから本題に入った。 「この屋敷の警備についてなんだが」  涼景は腕を組んで、声を低めた。 「前から言っているように、最悪の可能性は常に考えておいた方がいい」  涼景は、玲陽をこれ以上怖がらせないように、と言葉を吟味しながら、 「宝順が陽に興味を持つのは間違いない。いきなり危害を加えるという事はないだろうが、何にしても、用心をしておくにこした事はない」 「わかっている」  と、犀星は静かにうなずいた。 「やれることは、すべて試したい」  犀星の言葉に、蓮章は振り返った。少し心の整理ができたのか、蓮章の顔は先ほどよりも血色が良くなっている。  犀星の力がこもった真剣な眼差しは、蓮章をさらに安心させた。  どれほど惚気たところで、やはりこいつは強い。  と、蓮章は、ほっと胸を撫で下ろした。  涼景ほど親しくはないが、蓮章も同等に付き合いが長く、犀星のことは高く評価している。いざとなれば、涼景以上の激しさを見せる犀星を、蓮章は気に入っていた。だからこそ、この金髪の麗人に骨抜きにされる犀星など、到底認めたくはない。  涼景は横目で、蓮章の様子が落ち着いたのを確かめ、続けた。 「任せておけ。三番隊はともかく、暁はこのあたりに臨時の警戒体制を敷く。近衛もまわす。人手は十分だ」  涼景は普段よりゆっくりと話すと、玲陽を見て、 「心配はいらない」  と、付け加えた。その言葉は確かに玲陽に届いたと見えて、わずかに自然な笑みになる。 「皇帝陛下が手出ししてくるかもしれないから、警備が厳しくなるってことですか」  と、東雨が口を挟んだ。  この家に住んでいる以上、東雨にも発言権はあるはずだ。 「そんなこと、簡単にしないと思いますけど」 「あくまで、念の為に、な」  涼景は強調した。  東雨の胸中は複雑だった。  東雨は、犀星の身を案じるふりをしながら、裏では、宝順が犀星を陥れることに手を貸している。相容れない行動のせいで、時々、自分の気持ちを見失いそうだった。 「心配性だなぁ」  そう言って、東雨は明るい少年を演じた。あくまでも無邪気な侍童として振る舞う。  しらばっくれる東雨を、涼景は冷ややかに見た。  どうせおまえが、動くつもりなんだろう?  涼景は東雨の真実を知りながらも、あえてこの場では触れなかった。むしろ、そんな東雨をからかうように、 「備えに越したことはないさ。今年の冬は食糧不足も心配されている。強盗対策にもなるぞ」 「強盗……」  東雨は、その言葉に反応した。しばらく前に、親王の家だから金目のものがあるだろう、と、数人が押し込んできたことがあった。残念ながら、それは期待はずれもいいところだった。  犀星が強盗たちを食い止めている間に、自分は泣きながら暁隊に助けを求めたのだ。  あの時は、本当に怖かった……  ぶるっと東雨は身震いした。  涼景は落ち着いた表情のまま、 「警備を厚くする。だが、あまり人が周りをうろつくと、お前たちも気が休まらないだろう」  と、玲陽を見た。  玲陽は申し訳なさそうにわずかに眉を寄せて、それからこくんと頷く。その仕草はまるで震える子犬である。 「少数精鋭でどうにかしてやる」  と、涼景が余裕を見せて笑う。 「それでな、俺からひとつ、提案があるんだが」  涼景は蓮章を目で示した。 「暁隊と近衛は外を守る。敷地には入れない。ただし、何かに備えて屋敷の内部に連絡役を置きたい。蓮章を預かってくれないか?」  犀星はふむ、と唸って、蓮章と玲陽と見比べた。 「俺はかまわないが……」  と、玲陽の顔を伺う。玲陽は犀星と目を合わせて、微笑んだ。うん、と犀星も目を細める。それから蓮章に向かう。 「いいのか? たいしたもてなしはできないが」 「期待はしていないさ」  蓮章は、にやりと笑った。 「俺のことは、庭の石ころだとでも思っていてくれ」  犀星はよろしく頼む、と頷いて、それから玲陽の手を撫でた。まるで、頑張ったな、と言葉が聞こえてきそうな雰囲気である。  玲陽はじっと膝に目を落としていたが、それからゆっくりと顔を上げ蓮章を見た。  初めて目が合った、と蓮章は思った。  玲陽の目は彼が見たことのない色をしていた。透明度の高い琥珀のような輝きがある。  玲陽の容姿が特殊であるという事は涼景から聞かされていたが、実際目の前にすると美しいという印象しかない。先ほどから自分に対して怯えた様子を見せている玲陽だが、できることなら色々と話をしてみたい。そう思わせる瞳だった。  玲陽は蓮章に話しかけようとしたが、字を知らないことに気づいて黙った。少し戸惑い、小さく、 「あの……何と、お呼びすれば?」 「蓮章、で良い」  蓮章は静かに言った。 「ですが……」 「気を使わなくていい。呼び方は統一しておいた方がわかりやすいだろう」  細かい事は気にしない、と蓮章は笑ってみせた。彼はそういう男である。涼景と気が合うのはもっともだと玲陽は思った。 「それでは失礼して、蓮章様」  と改めて呼ぶ。 「お手間をおかけしてしまい、申し訳ありません。私も体調が整いましたら、自分の身を守れるように鍛錬いたしますので」 「おいおい、そりゃ、大袈裟すぎるってもんだ」  蓮章が、わざと驚いて見せる。  玲陽は一瞬びくっとした。すぐに犀星が玲陽の肩に手を置いた。玲陽は犀星の方に少し体をあずけ、小さく呼吸を繰り返す。しばらくそうしてから、玲陽はまた口を開いた。 「ごめんなさい。私……」  と、そこで声が止まってしまう。だが、その場にいた誰もが玲陽を焦らせることはしなかった。  皆、それぞれに黙って茶を飲み、庭を眺めながら、彼の言葉をゆっくり待った。  犀星は、小さく、同じ言葉を繰り返した。  ゆっくりでいい。大丈夫だから。ここにいるから。  言いながら、玲陽の背中を優しくさする。  玲陽もまた犀星の手を握り、じっと呼吸を整えている。そして大きく息を吸って、再び背筋を正した。つとめて笑顔をつくるが、どこかに無理が滲む。 「すみません。少し調子を崩していますけれど、大丈夫です。私、大丈夫ですから」  犀星がわずかに唇を動かして、玲陽に耳打ちしたようだった。玲陽の目元がふっと緩むのがわかる。  全然大丈夫じゃない、と東雨は思ったが、それは表情には出さない。  光理様、相当きつそうだ。  東雨は今朝の玲陽の様子を思い出していた。  朝、彼はひとりで回廊に座り込んでいた。いくら都での暮らしがわかっていないとは言え、あの寒空の下、裸足でいる時点で何かが違う。しかも、自分が話しかけてもぼんやりとして反応が鈍かった。  安珠が来た時もずっと黙り込んで、暗い顔をしていた。  犀星が常にそばにいて体に触れていなければ、まるでそのまま固まって崩れてしまうのではないかという危うさがあった。  先程、蓮章と初めて会った時も、東雨までが、思わず本気で守らなくてはならない、という気持ちになった。  玲陽は確かに線が細く儚く、危うさがついて回る雰囲気だ。だが、歌仙にいた時は今ほどではなかった。  東雨には特別な知識はないものの、何となく、玲陽に大変なことが起きているという事だけはわかった。そして、それを犀星が見事に支えているのだということもわかった。  もし玲陽を助けたいと思うのならば、犀星のように振る舞うことだ。とは言え、東雨には玲陽の体に触れるような勇気はない。そしてきっとそれは、犀星にしかできないことなのだろうと思う。  それなら、自分がやるべきことは犀星を支えることだ。犀星は自分のことよりも玲陽を優先するだろう。その犀星を支えられるのは自分しかいないではないか。  そう考えて、東雨は誇らしい気持ちになる。  そんな東雨の横顔を、涼景はじっと見つめていた。  東雨が完全に犀星の味方ではなく、いざとなれば帝の側につくであろう事は、涼景も覚悟している。  しかし、今の東雨は、ごく自然な様子に見えた。裏切る素振りもなければ、嘘で固めてもいない。  まるで、本当に犀星や玲陽のことを案じているかのようだ。  ……わからないやつだ。  と涼景は思った。昔から、東雨は思ったことが顔にでやすいたちなのだが、最近はそれが少しずつ読めなくなってきていた。  本当にわからない。  だが、嘘の仮面だと断定できないのは、裏を返せば、救いなのかもしれない。  自分はまだ、期待しているのか。  涼景は胸が騒ぐような居心地の悪さを感じた。理由のわからない苛立ちがあった。  警備の段取りは、連絡役を兼ねて蓮章を屋敷に置き、周囲は暁の警備を厚くする、ということでまとまった。  これで用件が済んだかに見えたが、もう一つ、涼景にはどうしても犀星に伝えたいことがある。  花街での事件のことだ。  今すぐに状況を説明し、親王の名で、暁隊に命令を下して欲しいのだ。  普段であれば何でもない話なのだが、目の前には玲陽がいる。

ともだちにシェアしよう!