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15 結びゆく(1)
女の匂いが好きかと言われたら、それは違うと蓮章は思う。
それでも、花街の女は嫌いではない。
涼景の命令で花街に潜入して数日、蓮章は実に彼らしく、彼にしか成し得ない方法で、仕事を進めていた。
ぐったりするほどに濃く、香を焚いた締め切った部屋で、蓮章は、ほどいた女の髪を指で弄んでいた。
「ん……」
口を離して、女は手を添えながら、蓮章に顔を近づける。無言で舌を絡めて、蓮章は無造作に女の体を押し倒した。
「まったく……」
女は眉目を少し傾けて、蓮章の灰色の目を睨んだ。
「ほんと、腹が立つほど綺麗だね」
「あん?」
左の乳房に鼻を押し当て、蓮章は視線で女を射すくめる。
「なんだよ、嫉妬か?」
「そういうとこも嫌い」
女は、先ほどまで咥えていた蓮章のものを軽く握った。
「噛み切ってやればよかった」
「ふ……それじゃ、あんたも楽しめねぇぞ」
「だから、嫌いさ」
女の言葉など聞くに値しない、と、蓮章は、乳首を吸いその先端を舌で転がした。柔らかい肉を思い切り頬張る。微かに染料の匂いがする蓮章の髪を、女は白い二の腕で抱いた。
「なぁ」
と、乳房の間から女を見上げて、蓮章は腰を揺らす。女は褥の中をまさぐり、温めていた張形を探り当てた。
「ほんと、好きねぇ」
女は、下卑た笑みも、美しい。
男にしては細身とはいえ、蓮章の体は女郎の腕の中で十分にたくましかった。女は上体を捩って腕を伸ばし、背中を這わせて尻のあわいへ滑らせる。
「おい」
蓮章は脇に寄せてあった盆から、油壺をつまんで女に差し出した。
「使え」
「自分には甘いわね」
「壊れたくないんでな」
女は油壺の中に、たぷん、とひたし、垂れる雫をそのまま蓮章の肌に塗り込める。
「こんなところまで綺麗なんだから、腹が立つったらありゃしない」
女は言いながら、自分の乳のように薄い紅色の肌の間で、小さくつぼんでいる口に、先を押し当てた。蓮章の目が途端に火照り、下肢から力が抜けていく。
ずずっと粘膜がこすれる感触に、蓮章は腰を浮かせた。
「下手くそ……」
ざらついた声で、文句を言う。女は根本の輪に指をかけ、手のひらに体重を乗せる。蓮章は無理に挿入された異物感に、思わず苦悶の声を上げる。
「何よ、あんただって乱暴なくせに」
「うるせぇ」
形の良い目元で睨まれると、女の心臓が跳ねる。
「さっさと、しちゃいなさいよ」
片脚を自分の肩にかけて腰を上げ、張形を右手で押さえつけながら、女は蓮章にまたがった。手を添えて自分の中に手早く挿れる。
蓮章は顔をしかめた。
「趣ってもんがあるだろうが」
「はぁ? 今更?」
息と体を弾ませながら、女は鼻で笑った。
「仕事放りだして女郎を買って、こんな真似して悦ぶやつが、何言ってんのよ」
と、右手を揺する。
「言ってくれる……」
蓮章は不満を超えて、苛ついた。女の方もわかっていると見えて、わざと煽っている節もある。
「涼さんに言いつけてやるんだから」
「あいつは俺にかまってるほど暇じゃない」
「なぁに? とうとう振られた?」
「とっくに振られてる」
蓮章は、当たりが気に入らない、と、自分で腰の位置を変えた。
「それより、隣の部屋、静かだな」
「何よ、あの子が気になるの?」
女は少し、むすっとして、
「そんなに好きなら、向こうへ行けば?」
「やっかむな」
蓮章は笑って動きを変えた。女が思わず声を上げる。それから、悔しそうに蓮章を見て、
「もしかして、一緒に入った男の方が好みだったりして……」
張形をぐるりと回す。こういう時、蓮章は自分の欲を殺さない。声に吐息を絡めながら、
「あんただって、知ってるだろ。焼印の話」
「ああ……」
女は自分も興に耽りながら、
「もう、四人やられたんでしょう? 死んじゃいないけど、廃人同然なんだってね」
と、ため息を漏らす。
「あんた、あれ、調べてんの?」
「まぁな」
「こんな所で、油売ってる場合じゃないでしょ」
「売ってるのは、花」
蓮章は胸と首をのけぞらせて、身をねじった。艶めいた声が喉から熱い息と共に、とめどなく溢れる。女はその媚態に、思わずねっとりと笑った。
「……興奮しちゃう」
「……それより、事件のこと、何か知らないか?」
「それより、って……知ってたら、とっくに涼さんに言いつけてるわよ」
「あんた、本当に涼のこと、好きなんだな」
「蓮さんと違って優しいからね」
「……ふぅん」
蓮章は一瞬、色を忘れて真顔を見せた。
「涼に、抱かれたか?」
「どうかしらねぇ」
女は色っぽく笑ったが、それが蓮章の癇に障る。
蓮章の動きが荒くなった。容赦のない攻め立てに、慣れた女も驚いた。
「ちょっと……っ!」
抗議の声を上げたが、時すでに遅い。自由にならない女を、易々と抱き上げる。深く浅く角度を変えて、確実に女を追い詰める。たまらず、女は悲鳴を上げた。
「勝手に放つんじゃねぇ」
乱れた低い声が女を牽制する。
「む……り……っ!」
制御できない収縮が、蓮章に伝わってきた。
「くそ……待てって言ったろうが」
蓮章は止まらず、一層腰が荒くなる。女は必死に首を横に振った。
「だめ、待って!」
「あんたは、待たなかっただろ」
「それはっ……!」
女の言葉は、蓮章の唸り声でかき消される。
女は右手を動かした。蓮章に埋まっている張形が、中を擦り上げる。
「さっさと……終わってよ!」
「だから……下手だって……」
前後から送り込まれる感覚が一致しない蓮章は、達するどころか酷く焦れた。
「そんなんじゃ、痛いだけ……っ!」
「知らないわよ! さっさと果てて!」
睦み合うより、乱闘に近い。
互いに一歩も引かないまま、やがて蓮章の体は限界を迎えた。
「抜け!」
女を突き放して、蓮章は褥に倒れ込む。女の方も、汗で頬に張り付いた乱れ髪を撫でながら、隣に座った。
「あんた、ほんと、最低」
「うるせぇ」
蓮章は悪態をついたが、その声はすでに冷めて、怒りも不満もない。
情交の間の感情は、その時限りと決めていた。
「こんなんじゃ、いつか客に怪我させるぞ」
「次来たら、本当に噛み切ってやるんだから」
「そう言って、何度目だ?」
「あんたこそ」
女の方もさっぱりしたもので、寝そべる蓮章の肌を名残惜しげに撫でている。
「ほんと、綺麗な身体」
蓮章は興味を無くした顔で、部屋の隅に立てかけた、自分の刀を眺めていた。
「ねぇ」
女が口づけようと顔を近づけてきたのを、蓮章は無視して立ち上がった。手早く湯水で体を拭く。
「何、もう行くの? 少し休んでいけば?」
「仕事中」
唇に移った紅を、親指の腹で拭いとる。すっかり香に染まった着物をまとい、刀を帯びる。櫛で髪を撫で、左の瞼の上に、薄く粉化粧を乗せる。
身支度をする蓮章を、女はうっとりと眺めていた。
女は頃合いを見て、蓮章の長袍を手に、近づいた。背中に、そっと羽織らせる。そのまま、裸の体で一度、後ろから蓮章を抱きしめた。
「いってらっしゃい」
「……また、くる」
花街の女は悪くない。蓮章は見送りを断って、廊下に出た。
犀星は、後悔していた。
思わず感情に任せて五亨庵を飛び出したものの、結果的に玲陽を置き去りにしてしまった。
気持ちが乱れた時、衝動的に体が動いてしまう。
自分は何度、同じことを繰り返すのだろう。良くないとわかっているはずなのに止められない。
玲陽ならば、こんなふうに悩むこともないだろう。彼の冷静さが羨ましかった。
乾いた冬の風も、自分の頭を冷やしてくれそうになかった。
犀星は中央区を過ぎ、北区へ入った。道沿いの建物の屋根や軒には、うっすらと雪が乗っている。この辺りは兵の動きが多く、新雪はすでに踏み固められていた。
北区の西の端に右近衛隊の詰所がある。裏手には演武場も備え、火器庫も併設されている。
中央の禁軍や東の左近衛隊と比べ、若干開放的で、緊張感が薄い一帯だ。五亨庵とは、宮中の敷地全体の対角で、最も距離が離れている。犀星の警護を務める右近衛隊にとって、最悪の立地だった。
すれ違う騎馬の兵が、犀星に気づいて慌てて馬を降りようとしたが、それより早く、犀星は脇をすり抜けていく。
「涼景はいるか」
犀星は、まだ遠い位置から、詰所の見張りに声をかけた。
「はい!」
明るい声が返ってきた。
「隊長なら、演武場に……」
立ち止まることなく見張りの前を通り過ぎながら、犀星は遠慮なく、どんどん中に入っていく。
五亨庵から付き添ってきた近衛兵が、自分はここまで、と足を止めた。
いかに宮中といえども、親王が単独で歩くことは禁じられている。それは、近衛隊の敷地内であろうとも、例外ではない。だが、実際にはこの通り、犀星を諌める者は誰もいなかった。
詰所の裏に設けられた広い演武場には、若い衛士たちが集まり、武器を手に、実戦の稽古を行なっていた。衛士たちが腕や肩に巻いている白い布は、右近衛の象徴色だ。
演武場の中程に、指揮を取る涼景の姿が見えた。
掛け声や剣戟の音の重なる中でも、涼景の指示する声はよく通った。
犀星の姿を見て、何人かが動きを止めた。それに気づき、涼景は犀星を見つけた。
「涼景」
犀星は、周囲の兵具棚のあたりから声をかけた。
「星……」
と、涼景の口が動く。だが、ここは公の場所である。
「歌仙様、いかがなさいました?」
表情を改め、涼景は大股に近づいてくると、声を低めた。衛士の手前、一応の礼儀を尽くしてくれるが、犀星のほうにはその余裕がない。
「話せるか」
距離を詰めて、犀星は短く言った。声が上擦っている。涼景は友の焦燥を察した。
「ここまでいらしたのに、話せません、とはいかないでしょう」
部下たちに次の指示を出すと、犀星に向かって、ついてこい、と手をあげる。
演武場に面する簡素な引き戸は、涼景が隊長に就任してから設置したものだ。その戸を入ると、すぐに廊下の左手に涼景の私室を兼ねた作戦室がある。雪を払うための麻布を踏み、中へ入る。
東向きのその部屋は、日差しが差し込んで明るかった。
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