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つばくらめの夢(3)

 涼景の方が一歳年下であったが、物おじせずに前に出ていく性格が強く、何をするにも涼景が先に立った。特に武芸については顕著で、歳の割に体躯に恵まれ、本人の努力も重なって、実力はどんどん伸びた。同年代では相手にならず、慈圓の勧めで近衛隊の予備隊訓練に参加し、急速に実力を高めていった。  当時の右近衛副隊長・英仁(えいじん)の推挙もあり、十一の時には正規軍予備部隊の席を与えられた。  剣術の型や儀礼を近衛で学んだ涼景は、正規軍においては戦術と実戦での荒事、戦場での死戦の越え方を身につけ、内にも外にも通用する武人としての頭角を表していった。  周囲は、涼景を神童としてもてはやし、ことあるごとに褒め称えた。だが、すぐそばで見ていた慈圓や蓮章は、涼景が凡人であり、ただ、人並外れた努力家であることを知っていた。自分の弱みを知られることを嫌い、どれほど辛くとも、人前では平然として見せる涼景を、蓮章は胸の騒ぎを感じながら見守っていた。  いつか、壊れる。  蓮章の不安が現実のものとなるのは、はるか先のことであったが、この時すでに、涼景は逃れられない宿命の中を歩み始めていた。  優秀であればあるほど、人の目を集め、嫉妬も募るのが世の習いである。燕家の再興を望まないものたちの策略により、涼景は十二になるころ、一個小隊を任され、地方の農村の討伐を命じられた。 『十二歳の将軍』の誕生は、大きな波紋を呼んだ。  いかに実力をつけてきたとはいえ、それは訓練場の話である。実戦経験のない涼景が、百騎を指揮することは事実上不可能に近かった。 「浅はかな……」  慈圓は、人選にあたった者の謀略を察した。  涼景は、大切に磨き上げれば国の宝となる逸材である。それをこのような姑息な手段で潰そうなど、愚かという他にない。  涼景の副将についた男は、左相の縁者だった。慈圓は、名高い燕問答を思い出した。 「つくづく、左に嫌われたものよ」  左右の政治派閥の足の引っ張り合いは、宮中では日常である。涼景の後ろ盾となっている慈圓は、右派寄りの立場をとっている。そこに目をつけられた。  避けては通れぬ道。  慈圓は深く案じたが、涼景は堂々と任務についた。  都から、南へ馬で十日ほど、穏やかな農村が戦場だった。  その村では、宮中でも重宝される薬草を育てていた。年単位での収穫であり、澄んだ水や日照時間の管理など、栽培方法も特殊で手がかかる。効能に優れていたため、税の一部が投入され、国家事業のひとつとして位置付けられていた。村にとっても、専売が認められた貴重なものだった。  しかし、高価な品と金が動く時、その裏側では、欲の種が芽吹くものである。長年にわたる専売体制は、村の内部の腐敗をすすめ、闇の流通路が確立されつつあった。  右相に関わる者が私服を肥やしていることを嗅ぎつけた左相は、あえて涼景をそこに投じた。副将軍にはあらかじめ、戦闘に乗じて涼景を三冊するよう、指示していた。  幼すぎる将軍が、その未熟さゆえに戦乱で命を落とす。そして、その後ろにいる右派にも損害を与える。  左相はほくそ笑んだ。  すべては、計画通りに運んだ。  どんなに優秀とは言え、子どもを将軍にするなど、狂気の沙汰である。従わねばならない部下は、たまったものではない。  案の定、涼景は、副将の暗躍により、部下に見捨てられ、たった一人、村に取り残された。  山の斜面に作られた、段々畑の水路脇で、涼景は目を覚ました。殴られた頭が重たかった。手足は縄で縛られ、近くの低木に固定されていた。声を上げようにも、轡が硬く、呻きしか出なかった。  周囲には、件の薬草が茂っている。  作戦では、畑ごと焼き払うことになっていた。  作戦の中で逃げ遅れ、焼け死んだことにするつもりか。  涼景は察し、心を落ち着けた。  今するべきことは、自分の存在を知らせることだ。  そのためにできることは、限られていた。  涼景は周囲を見回し、水路に目をつけた。  段々畑を流れる水は、畑の下で民家の前まで繋がっている。そこに、人影が動いていた。  涼景は水路の底を、縛られた両足で蹴り立てた。泥が巻き上がり、水が一気に濁った。やがて、泥水は畑の間を流れくだり、ふもとで作業をしていた村人の目に止まった。上流に異変を感じた村人が畑を上がってきて、ようやく、涼景は発見された。  村人たちに取り囲まれ、作戦の詳細を問いただされた涼景は、あろうことか、自分の身の上も、帝の命令も、そしてこのままでは村を焼き討ちにするという極秘事項まで、すべて話してしまった。  だが、それは、村人の脅しに屈したわけではなかった。すべてを、計算のうちに入れていた。  子供の言うことである。自分たちを騙すための作戦なのではないかと疑う村民も多かった。  原因となった薬草は、ちょうど間も無く、収穫時期である。  その畑に火をかけるなど、あるはずがないという意見が大半だった。  だが、彼らは宝順という人間の本質を見誤っていた。  皇帝の怒りは、自分以外の者が金銭を設けるなどという些細なことではない。  自分への虚偽の報告、裏切り行為そのものに対してだ。  その年、作物が壊滅することなど、どうでもよいことだった。  涼景は逃げるように訴えたが、村人たちは、疑いを捨てきれなかった。仕方なく涼景を蔵に閉じ込め、一晩、様子を見ることとした。  夜半に、副将軍の指揮のもと、畑には油がまかれ、火が放たれた。  半数の村人は攻撃を恐れてあらかじめ村を離れ、山中へと隠れて難を逃れた。そして村に残った者たちは、涼景の言葉通り、火に巻かれて命を落とした。  畑が焼け落ち、村の中が静まると、涼景は蔵を抜け出し、副将の元へ走った。  蔵の中で、煙と炎の熱にいぶされ、体中(すす)だらけで汚れきった姿で、涼景は兵たちをかき分け、副将の前に出た。  死人が生き返ったのではないか、という顔で、涼景を見つめ、副将は震えあがった。自分の裏切りが明るみに出ることへの、恐怖。すぐに、子飼いの部下の姿を探したが、彼らはとっくに隊を逃げ去っていた。  怯える副将軍を前に、涼景は、叱るどころか、笑ってみせた。  そして、他の兵がいる前で、自分が不在の中でもやり遂げた功労を褒め讃えた。てっきり涼景が泣きわめくか、怒りに任せて怒鳴り散らすかと思っていた副将は、完全にあてが外れてしまった。  涼景は火事で死んだ者たちを弔うように命じ、隠れていた村人たちには、帝との間を取り成す約束を取り付けた。  こうして、わずか十二歳の少年将軍は、一夜にして兵からも、民からも羨望を浴びることとなったのである。  それでも、慈圓は、涼景の将来を不安視していた。  幼くして、目立ちすぎる涼景は、自ら、その行手に災厄を引き寄せているかのようだ。慈圓の予感は的中し、ついに、皇帝が動いた。  宝順は才能あふれる涼景に目をつけ、ことあるごとに呼び出すようになった。  はじめは、その能力を試すように、強敵を当てがい、難問をぶつけた。  涼景はどんな相手にも冷静に対応し、宝順が満足する答えにたどり着いた。ときには、その期待を超えていることさえあった。  こうなると、独占欲の強い宝順のことである。決して、自分以外の者に涼景を預けることは許さなくなる。  正式に近衛兵として、自分のそばを守らせるようになったのは、涼景が十三歳になった頃だった。  この年齢の男子は、性の対象として周囲から声がかかることも多い。しかし、涼景は違っていた。好色の者は、日増しに美しく育っていく涼景を欲してはいたが、その後ろには皇帝がいる。  手出しをしようものなら、自分の命がない。  文字通り、誰も涼景の肌に触れることができなかった。  自分を取り巻くすべての状況を、涼景は理解していた。  自分は帝がいるからこそ、人として無事でいられるのだと。  皇帝以外が涼景に触れる唯一の機会は、彼が戦のために遠征する時であった。だが、そのようなときは、涼景直属の部下が彼のそばを固めていた。涼景の人柄、数々の戦場や日頃の働きに賛同し、官位や金によらず、惚れ込んだ者たちだった。涼景を搾取の対象と見ることをせず、誠に慕う部下であった。  後に、涼景は彼らをまとめ、私兵として暁隊を組織することになる。  その中心には、戦友・蓮章の姿もあった。  蓮章はそのころ、武術よりも戦略に長けた軍師としての気質を強めており、涼景と合わせて隊の片翼を担った。  精悍で美しく、人を惹きつける情熱的な涼景と、妖艶な魅力をまとってするどい知略を巡らせる蓮章のふたりは、その見た目の華やかさも相まって人気を高めていった。  近衛として、暁隊の若き隊長として、涼景はまさに押しも押されもせぬ時代の寵児だった。  柔らかく茶色味を帯びた髪を髷には結わず、肩ほどで切った。鎧を好まず、緋色やえんじの着物をゆったりと着付け、どこか旅人のような奔放さをまとっていた。腰の太刀だけが、武人としての品格を示していた。大概のことに動じず、飄々とした身のこなしで王者の風格を帯びる涼景は、次第と宮中の者たちにも頼られる存在となっていった。  宝順は一度も、涼景の体を求めたことはなかった。一方的に奉仕させることすらしなかった。それは、好色家の宝順には異例のことだった。  涼景にとっては、幸いであると同時に、不気味にも思われた。  しかしその裏で、宝順の涼景に対する性的な支配は、もっと根深いところから、ひそやかに始まっていた。  宝順は、男女の区別なく、人と人とを絡ませ、酒を手にそれを眺めることを好んだ。自ら手を触れることはむしろ稀で、目の前で行われれる陵辱を視姦することを習慣としていた。  そのような時、涼景は宝順の隣に立ち、一部始終を見せつけられた。  快楽に堕ちるひとの性根、加虐欲を隠さない残酷な高揚、狂気と紙一重の狂喜。

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