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皇家の宴(1)

【本編との接続】 本編の十年前の物語。 外伝『つばくらめの夢』の後がおすすめです。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★  満月。  玲陽は浅い眠りの中で、暗い夢にうなされていた。  息苦しさに身悶えし、ぞくりと体が震えて目が覚める。 「星……」 「ここにいる」  隣に寄り添い、犀星は包むように玲陽の頭を撫でた。  一つの牀に身を横たえて眠る夜は、片時も離れぬと誓った二人の居場所だった。 「俺は、ここにいる」  紅蘭の冷えた夜に、人肌はさらに恋しい。その相手が犀星となれば、なおさらに愛おしくてたまらない。  玲陽は手探りで犀星の手を顔の前に引き寄せ、しっかりと握った。絡めあう指が優しく、温かさが骨に沁み入る。 「星、ごめんなさい、私、また……」 「いいんだ」  息苦しさに震える玲陽の肩を、犀星は大切に引き寄せた。 「何度でも。そのたびに知って欲しい。一人ではないと」  満月の白い光は煌煌と部屋に差し、その中で吐く息は更に白い。そして、暖かい。  玲陽は四肢を縮め、背を丸くして犀星の腕に収まる。 「そばにいて」 「そばにいる」  数えきれぬほど、交わしてきたやり取り。しかし、その一度一度に意味があった。  砦から救い出されて数ヶ月、今も玲陽は悪夢を見る。漠然とした恐怖と焦り、不安感だけが目覚めた後も心を揺らした。 「星」  祈りの言葉のように、玲陽は名を呼んだ。 「あなたの声を聞いていたい。私が眠るまで、話をしてくれませんか?」  玲陽が夜伽話をせがむのは、幾度目だろう。犀星は薄い唇に弓の形に笑みを浮かべた。  玲陽のわがままは、犀星の至福である。 「わかった」  額を寄せ、 「昔話でいいか?」 「はい。あなたのことを」 「都に来てすぐの、即位式の話はしたな?」 「はい」 「では、その続きをしようか」  玲陽は目を閉じて、繋いだ指と脇腹を撫でる犀星の手を感じながら、耳を傾けた。秘密を告白するように、犀星は静かに話し始めた。 ・  歌仙の野山を駆け回り、最愛の友と毎日を過ごしてきた十五歳の自由な少年にとって、宮中は牢獄と同じであった。何を見ても、聞いても、心が動くことはない。ただ、胸の中が空っぽになった寂しさだけが溢れていた。  都入りしてすぐ、犀星のために用意されていた住まいに、不審火が出た。事前に察知した燕涼景の手引きにより、犀星は難を逃れた。犯人は第一親王の手の者とも噂されたが、真相が明らかになることはなかった。  宮中では、誰も信用するな。  涼景の忠告は、犀星の心に体験とともに深く刺さった。誰もが敵であり、誰にも心を許すことはできない。  養父の犀遠から、質素倹約の暮らしを教えられてきた犀星には、都や宮中は、余計なものが溢れかえっていた。騒がし過ぎて、息が詰まった。人が多過ぎて、心が疲れた。  即位式を乗り越えたものの、その代償は大きかった。  体調は低迷し、ひどい時には、食べ慣れた粥を用意しても喉を通らず、ともすると、吐き戻してしまう有様だった。  次第と、食が細くなり、夜は眠れなくなった。無理に体を動かし、疲れて眠ろうと努めたが、うまくいかなかった。  常に体が重く、心が空っぽになったように鈍い。だからと言って、逃げる場所もない。 次第に弱り、命が削られていく。  昼間は強がって、平気な顔をしてやり過ごした。心を殺し、感情を殺し、震えを殺して毅然と振る舞う。その姿から、人々は犀星を、感情を持たぬ冷たく美しい|蒼氷《あお》の親王と呼ぶようになった。  だが、本来の犀星は、決して物静かな性格ではない。誰も本質を知らぬまま、印象だけが一人歩きする。  明るいうちは虚勢を張る犀星も、夜になると仮面が剥がれた。不安と心細さで一人、声を殺して涙を流す。張り詰めていた緊張の糸が切れ、途端に気持ちが崩れ落ちた。  会いたい。  すぐに、ここを飛び出して、歌仙に帰りたい。  しかし、現実は犀星のたった一つの望みすら、許しはしない。  自分は人質なのだ。玲家の血を継いだ親王。どんなに無意味と思えても、皇家にとっては意味のあることだった。皇帝の意志に反すれば、犀家は愚か、歌仙一帯が戦場となるだろう。  民たちの平穏な暮らしは壊され、多くの者が失意に落とされるのは明らかだった。  民のために、家のために、自分はここに残らなければならない。  厳しい宮中の上下関係やしきたり、煩わしい関わりや命がけの謀略の数々。それを超えることが、自分の未来へ続く唯一の道だというのならば、耐えてるしかなかった。むしろ、それらを跳ね除けてでも、我が道を切り拓かねばならない。誰にも屈さず、皇帝をも凌駕する実力を手に入れるのだ。  再び友とまみえるために。  今のままでは、策謀に落ちて他人に利用されるだけだ。  強くならねばならぬ……  犀星の胸に決心が宿る。  その一念が、かろうじて犀星を生かしていた。  都で力を得る術を、犀星は犀遠の教えに求めた。  民の信頼を得ること。  民心より心強いものはなく、残酷なものはない。  犀遠は、常にそう、犀星に言い聞かせてきた。  民は素直である。  自分達に利があるとなれば、これほど頼りになるものはない。同時に、見放される時はあっという間だ。わずかな隙や不誠実は、すぐに見抜かれる。  民より賢く、民より愚かなものはなし、と、犀星も幼い頃から身を持って学んだ。  犀遠と共に、気心の知れた領民と接していてさえ、そうであった。  ましてや、完全に余所者である自分が、都の人々の心をどれだけ掴めるだろうか。  それがいかに険しくとも、犀星は己の進むべき道と定め、その一点だけを目指した。  とはいえ。  心に誓い、どれほど自分を叱咤しても、逆らい難い寂寥に苛まれる日々は変わらなかった。強く見えても、強く見せても、ほころびかけた蕾のように柔らかかった。  そんな犀星の孤独を察してか、頻繁に訪ねてくる人物がいた。  燕涼景である。  涼景は、犀遠に命の恩があった。犀星の警護を担当する右近衛隊に所属を決めたのも、まさに、そのためである。通常業務の範囲を超えて、犀星の個人的な領域にまで踏み込むことを躊躇わなかった。  都入りした犀星をいち早く自分の屋敷に囲ったのも、涼景であった。  実家の後ろ盾もなく、抵抗する力も持たない名ばかりの若い親王は、周囲からは格好の獲物だった。味方に引き入れ、飼い慣らせば皇帝にも迫る権力に手が届く。それだけの価値のある駒だ。当然、誰もがそれを狙う。権力者同士の争いは本人の知らないところで加熱していく。犀星の存在は、宮中の混乱の種ともなる。  犀星を手に入れようとする者、逆に抹殺を計る者、混乱そのものを望む輩など、身辺は常にきな臭かった。その渦中で少しでも心安くいられるよう、涼景は自らの屋敷に住まわせ、周囲を自身の腹心である暁隊に守らせた。  こうなると、誰とて容易に手は出せなかった。たとえ犀星を狙った襲撃だとしても、それは後ろに立つ涼景に弓引く行為とみなされる。力無い親王に対する謀反より、皇帝が目をかける涼景を敵に回すことの方が、権力者にとっては避けたい状況だった。  文字通り、涼景の名と実力が犀星を守る盾であり、宮中から離れた都の裏路地の屋敷は唯一、犀星が警戒を解ける場所であった。  都の事情を知らなかった犀星も、時とともに、自分が涼景に守れていることを感じ始めていた。彼がいなければ、どんな目にあっていたかわからない。そして、その涼景を動かしてくれたのは、親愛する養父の人柄だった。  つながっている。俺はまだ、一人じゃない。  自分自身に言い聞かせるように、犀星は強く繰り返した。  ある日の深夜。  天輝殿の夜半警備を終えた涼景は、いつものように犀星の屋敷を訪れた。巡回警備の名目だが、目的は犀星が気になってならなかった。  屋敷の周囲は、暁隊の隊士が夜通し交代で見回っている。  星明かり中、灯りも持たずに、涼景は屋敷に入り込んだ。寝入った東雨を起こすことなく、奥まった犀星の寝室まで、足音を立てずにまっすぐに向かう。  冬も近く、夜の空気が湿って冷える季節である。  部屋に炉はなく、外と変わらぬ寒さに満たされていた。薪を惜しまずたくように、と言っているが、まだ時期ではない、と犀星は拒んでいた。  涼景は部屋の中に目を凝らした。  厚手の褥を重ねた牀の上から、かすかに息遣いが聞こえる。 「また泣いてるのか」  遠慮なく、涼景は牀に近づくと、腰掛けた。 「また来たのか」  褥の中から、くぐもった声が答えた。 「こんな夜中に、うまく忍び込む。おまえ、盗人にでもなった方がいいんじゃないか」 
「考えておこう。宮中暮らしは好きじゃない」  泣き声を押し殺して、それでも涙に腫れた顔は見せまいと、犀星は背中を向けた。欄間から差し込む満月の光は、室内深くまでその光芒を伸ばしている。 「宮中が嫌なら、なぜ将軍にまでなった?」 「まぁ、いろいろ、だ」  涼景は努めて軽く言った。家のため、友のため、愛する妹のため。自分の身を権力者にひさいでも、守りたいものがある。 「星は、都が嫌いか?」 「よく知らない。ただ、宮中は嫌いだ」 「なぜ?」 「みんな、そこにいるようで、そこにいないから」 「不思議なことを言うな」  涼景には、犀星の表情は見えなかったが、それでも、素直な気持ちを吐露してくれていることだけはわかった。本来の犀星は、真っ直ぐで純粋な言葉を紡ぐ少年なのだろう。 「おまえの感覚、わからないでもない」  涼景は、犀星にならって正直に答えた。 「全てが作り物で、中身が見えない。おまえより長くここにいるが、それでも、真実を見抜くことは難しい」 「何が真実かを決めるのは、自分自身だ」  犀星は不意に、大人びたことを言った。  涼景は、はっとした。以前、同じことを別の人物に言われたことがあった。 「それは……犀侶香様の教えか?」 「……ああ」  涼景はなぜか心が浮き立った。 「星、一緒に見つけてみないか?」 「うん?」 「真実」  犀星は苦しい息を整えた。流れる涙は隠せないにしても、せめて、意地は張りたかった。 「おまえと俺の真実が、同じとは限らない」 「それでもいいさ。人はそれぞれだ」  犀星はそれ以上、返さなかった。涼景にこれほど甘えてしまうのは、人を虜にするその甘い声と、飾らない素朴な人柄だ。これは犀星に対してだけ見せる顔ではなかった。涼景は誰に対しても等しく、懐に入り込む。それは瞬く間にこちらの警戒を解いてしまう。  その生まれ持った性質のため、涼景を慕う者は多い。私兵として集った暁隊が、その際たるものだった。  だが、この性質は同時に危険視もされた。  宮中の権力者に、涼景が忌避される理由ともなっている。  同じ歌仙の出身だが、幼い頃から都入りしていた涼景と自分とでは、周りが見る目も違ってくるのだろう。十二歳で指揮官として初陣し、各地で数々の戦功をあげ、五年前の歌仙の乱の際に、正式に正規軍を任される幕環将軍についた。異例の出世は、並大抵の努力で成し遂げられるものではない。

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