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皇家の宴(2)
自分の苦労を語る涼景ではない。顔には出さず、常に飄々としている。三歳年上の涼景は、犀星にははるかに大人に見える。それが羨ましくもあり、悔しくもある。それが余計に犀星には響く。どうしてここまで違うのか、腹立たしくさえあった。
犀星は、自身の弱さを苦く噛み締めながら、
「出世するのは、そんなに楽しいか?」
寂しさからか、珍しく皮肉を口にした。犀星の震える肩を、褥の上から涼景の手が支えた。
「守りたいものがあるだけだ」
涼景の声は優しい。思わず、犀星は黙った。月明かりの中で、赤く腫れた目もとだけ褥から覗かせ、涼景の顔を見る。
涼景は、唇に笑みを浮かべた。
「おまえと同じだよ」
犀星は目を見開いた。全てを見透かされている恥ずかしさと同時に、涼景の存在の近さが嬉しかった。
涼景はそっと力を緩め、背中を丸めた。
「全てを捨てて、逃げようと言ってくれる親友がいる。だが、俺には選べない」
「俺だって」
犀星は強気に言った。
「父にはそう、教えられてきた。俺もそのように生きたい」
言いながらも、自分の力のなさが犀星を追い詰める。
「星、すべてを負うな」
必死さがうかがえる犀星に対し、涼景の声は穏やかだった。
犀星は唇を噛んだ。
涼景の笑みが、また一段、優しくなる。
「宮中では誰も信じられない。だが、信じる者がいなければ、生き続けることはできない」
「俺の友は……一人だけだ」
犀星は、故郷の人を思った。
涼景は笑った。
「一人も二人も同じだ。俺も加えろ」
満天の星明かりが二人の視線を重ね合わせた。
まっすぐな犀星の眼差しは願いであり、穏やかな涼景の微笑みが答えだった。
長く、流星が空を横切り、その軌跡が冬空に吸い込まれていく。
二人の間から過去が消え、未来が始まる。
犀星は体を起こし、丁寧に目をこすった。その仕草を、涼景は黙って見守った。不意に、犀遠もこんな気持ちで犀星を見ていたのではないか、という気がした。胸の中に初めて味わう暖かさが生まれる。
「星、どうせ、眠れないんだろう? せっかくの星夜だ。散歩に行かないか?」
唐突な涼景の誘いに、犀星は思わずほうけた顔を見せた。
「近衛なしで、俺は出歩けない」
「俺は近衛なんだが?」
「……盗人かと思った」
「そいつは副業だ」
涼景はニッと笑った。犀星がつられて頬を緩めるほどの、悪戯な表情を浮かべる。
寒さに慣れていない犀星のために、涼景は厚手の長袍を羽織らせ、首にも長布を巻いてやった。
こっそりと足音を忍ばせ、門を出る。
夜の都は静かだった。まだ雪はないが、昨日は初霜が降りた。靴底に感じる土が、固く締まっている。
並んで歩く涼景に遅れまいと、犀星は歩幅を早めた。
息が白く煙り、それが余計に命の熱を知らせているようだ。
「見せたいと思っていた場所がある。きっと、おまえも気に入るはずだ」
犀星は行き先も聞かず、無言で涼景の横に寄った。
まるで野良猫だな。
親王に対するものとは思われない感想を抱き、涼景は満足そうに唇を緩める。直感的信頼は、何より心強く、心地よい。
「おまえの気が向いたら、宮中を案内してやる。住む場所は変えない方がいいが、どこかに政所はおかないとな。おまえなら、いい政治家になる」
「政治家?」
「あくまで、俺の希望だが」
涼景は白く息を吐いて、
「俺にまつりごとの才はない。蓮章ならば宰相も叶うだろうが、奴にはその気がない」
「俺だって、どうなるかわからない」
「少なくとも、武力では俺に勝てないぞ」
まるで挑発するように、涼景は笑った。
「おまえには、人の上に立つ資質がある。今はまだ芽も出ないが、俺が保証する」
「当てになるのか?」
「信用しろ」
人気のない通りを歩きながら、国の展望を語る二人の後を、少し離れたところから、暁隊が付いてくる。彼らはいつも犀星を見守りながら、気にならない距離をあけてくれた。
すべて、涼景の指示である。何も言わず、自分の気性を察してくれる涼景に、犀星は無条件の信頼を覚えた。
誰も信じるな、と繰り返す本人を、信じさせられてしまう。これは巧妙な罠なのか、信じるに価する事実なのか、犀星にはまだ、判断がつかなかった。だが、同時に、遠くない将来、自分は涼景を迷いなく信じるという予感はあった。
出会った時から、涼景は犀星に期待めいた信頼を寄せてくる。何気なく重ねる会話を通して、確実に心の距離が縮まっていく。気づけば、こんな非常識に付き合うほどに、心を許す関係となってしまった。
友、か。
犀星は冷え切った道に目を向けた。
歩調を合わせながら、さりげなく導いて歩く涼景の隣は安心できた。
一人も二人も……いや、俺には……
同じではない。
犀星は頭一つ背の高い涼景を、横目で見上げた。
俺にとっては、同じじゃない。あいつは、友なんかじゃない……
「どうした? 寒いか?」
涼景の視線が絡むように降ってくる。犀星は首を横に振った。
「涼景」
まるで話題を逸らすように、犀星は呟いた。
「東雨のことなんだが」
「ああ、あの侍童か。何か問題でも?」
「問題というか……賢いから、だいぶ助かってはいるのだが……もしかしたら……」
涼景はちらっと犀星を見た。透き通るように整った目元を、気遣わしげに歪めていた。
東雨が宝順帝の間者であろうことは、涼景にも想像が付いていた。
犀星への悪意ではなく、宝順自身の情報における利益のためだ。互いにそうやって間者を偲ばせるのは、宮中ではよくあることである。
しかし、それを暴き出すとなると、これは危険でもあった。
宝順が差し向けた東雨を疑うことはすなわち、宝順を疑うことになる。犀星の場合、それは親王として兄・皇帝への謀反すら疑われる。
だからと言って、放置するのもこちらに不利である。たいていの場合、重要な情報から遠ざけ、役目を果たさせない婉曲的手段が取られるのが常だった。
さすがに理解したか。
涼景は、犀星に安堵した。
「おまえのことだから、ただの子どもだと油断しているかと案じていた」
素直に、涼景は言った。
「判断はおまえに任せる。もし、対処に困ったら俺に言え。その時は引き受ける」
「いいのか?」
「俺はおまえの近衛だぞ?」
「……近衛とは、そんなことまでするのか?」
「そんなこと?」
「俺に代わって人を抱く」
一瞬、涼景の返答が遅れた。目が彷徨う。
「……おまえ、何を言ってるんだ?」
「おまえこそ?」
歩きながら、二人は首を傾げた。
「星、おまえが言った『もしかしたら』とは?」
「もしかしたら、俺は東雨を抱かなければならないのかと……」
「……はぁ?」
「本人が、そう、言うから」
「……はぁ?」
「だから、東雨が、俺に……」
「ああ!」
ようやく合点がいって、涼景は笑った。
「星、東雨がどうしておまえのところに寄越されたのか、わかってないのか?」
「身の回りの世話をするように、と」
「その身の回りの世話、ってのには、夜伽の相手も含まれる」
「なぜ?」
本当にわからない、と犀星は肩をすくめた。
「おまえは親王だ。下手に女を相手にして、子でも成したら厄介だろうが」
何でもない、という調子で軽く言う涼景に、犀星は唸ってしまった。
「俺は、そんなに信用がないということか」
「いや、おまえがどうの、というんじゃない。そういうのが通例だってだけだ。東雨もわきまえているから、おまえに説明したんだろう」
「俺が東雨を抱かないと、あいつは咎めを受けるのか?」
したくない、という感情がありありとこもった声で、犀星が言う。涼景は首を振った。
「咎めなどない。おまえがあいつを気に入らない、と陛下に訴えれば別だが」
「気に入るも何にも、甲斐甲斐しくやってくれている。別に不満はない」
「だったら、無理に抱く必要はない」
「ずっと、しなくてもいいか?」
「おまえなぁ」
涼景は、すっかり犀星の世間知らず、ならぬ、宮中知らずに、驚かされてばかりだ。
「その年齢で、興味がないのか?」
「ないわけでは……」
「だったら、試してみればいい」
「それは、嫌だ……」
「……決めた相手がいる、か?」
「え?」
明らかに動揺して、犀星は声を上げた。涼景は表情を緩めた。
「『陽』だっけ? 玲家の。おまえが文を書き続けている……」
勘のいい涼景には、とっくに見抜かれている。そうとわかれば、言い訳をする犀星ではなかった。
「大切な人だ。歌仙に残してきた。生涯、共に生きたいと願う人だ。だが、連れてくることはできなかった」
「賢明だ。今のおまえの立場は危うすぎる。巻き込まれて命を落とすことは目に見えている」
「それでも……寂しいんだ」
犀星は首の布を引き寄せて、口元を隠しながら、少し声を抑えた。
珍しく、犀星が素直になったのは、芽生え始めた涼景への信頼ゆえか。
「なぁ、星」
涼景の呼びかけは、まるで長年の友のように耳に馴染む。
「俺は感情を自覚するより前に、都に連れてこられた。だから、おまえの気持ちを理解することは難しいだろう」
「…………」
「だが、自分より大切な人を守りたいという思いはわかるつもりだ。それだけは、信じてほしい」
「宮中の者を信じるな、と言ったのはおまえだ」
「確かに。だが、俺はおまえを信じる」
「おまえが俺を信じようと、俺がおまえを信じる理由にはならない」
「手厳しいな」
涼景は苦笑いしたが、それでもどこか満足そうだった。
星の瞬く深夜、玲親王と、二人で都を歩いている。
犀星が思いもしない昔から、ずっと涼景は犀星を待ち続けていた。
五年、彼は待った。
いずれ、親王として犀星が都に上がった時には、自分がその身を守ると誓って、腕を磨き、位を得て、力を蓄えた。その裏で涼景が受けた苦しみと覚悟の大きさを、犀星は知らない。
角を曲がると、行くてに、篝火に照らされた朱雀門が見えた。石階段の脇にいた数名の門番に、涼景は話を通した。小さなくぐり戸を抜けて朱市へ入る。
内側の見張りが二人を見て、驚くより先に呆れた顔をした。歌仙親王の変人ぶりは、すでに美貌と並行して、皆に知れ渡っている。
二人並んで、静まり返った朱市を歩く。昼間は屋台や敷物が並んで人と荷物が行き交う市も、今は寒々とした石畳が広がるのみである。時折動くのは、宮中警備の禁軍の列だけだ。
犀星は、ふと、初めて涼景と出会った時のことを思い出した。
いきなり斬りつけられた。
ほんの少し前のことが、はるか遠くに思われる。
「おまえと初めて会ったとき……」
涼景も、同じことを思い出していた様子で、懐かしそうに言った。
「俺は決めたんだ。必ず、おまえを守ると」
「その前に、殺そうとしただろう?」
「あれでやられるようなら、俺が守る価値はない」
「…………」
「本気で殺す気で放った、一撃だった」
「……おい」
今になって、犀星の額に風圧が蘇る。本当に髪一筋の差で、避けた太刀。
それが、自分の命運を決めたのだ。
「もし、本当に俺を殺していたら、どうするつもりだった?」
「その時は、逃げた」
涼景は笑った。
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