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皇家の宴(4)
東雨が恐る恐る、犀星に伝える。犀星の表情がさらに険しくなる。
「いくら皇帝だろうと、人の名を変えるなど……」
「残念ながら、それが現実だ」
「……それで、俺は兄上をなんと呼べばいいんだ?」
東雨は茶を啜って、
「長雀兄上、ってところでしょうか。官位が下の者が名を呼ぶのは無礼なので、号でお呼びするのが無難です。若様も、歌仙様、って呼ばれているじゃないですか?」
「だが、兄上だ。兄弟でも、名は呼べないと?」
「星」
涼景が、すまなそうに笑った。
「おまえが物足りなく思うのはわかるが、そういうものだと割り切ってくれ。余計な面倒ごとは嫌だろう?」
それに、と涼景は腹の中で思った。
長雀はおそらく、犀星をよく思っていない。
会ったことさえない兄に疎まれているかもしれないなどと、本人に伝える気にはなれない涼景であった。
「兄上は、皇位を奪いかねないと言ったな?」
犀星が表情を変えずに問うた。
「陛下と兄上は仲が良くないのか?」
「おまえの兄たちを悪く言うのは気がひけるが」
涼景は前置きをしてから、
「二人とも、決して友好的な性格ではない」
東雨は頷いた。
「それに、血筋の問題もあるんです」
言いながら、木札の名前を犀星に示しながら、
「長雀様は、先帝様の第一子ですが、お母上が側室でした。ですから、皇位は正室の御子である宝順陛下がお継ぎになられたのです。長雀様は、それが納得できず、先帝が亡くなられてから、あからさまに陛下と対峙なさるようになり、それで余計にややこしくなっちゃいました」
「宝順帝としては、目障りだったということか」
ぽつり、と犀星が呟いた。露骨な言葉に、東雨はびくりとする。
「そ、そんなこと、外でおっしゃらないで下さいよ。若様まで、睨まれてしまいますから!」
「だが、事実だ」
涼景が、犀星同様、何でもない、というように言ってのける。
「仙水様、あなたのお立場で、そのような発言は……」
「東雨、おまえは警戒しすぎだ」
涼景はやれやれ、と首を振って、
「おまえの年齢から、相手の顔色ばかりうかがっていては、心を病むぞ。星だって、馬鹿じゃない。俺たちが相手だから言えるんだ。分別くらいある」
「そうでしょうか……」
思わず、東雨は疑わしげに犀星を見た。偏屈な主人は、帝を前にしてさえ、平気で何でも言いそうで、東雨は想像しただけで冷や汗が止まらない。
「若様……怖いもの知らずですから、俺の方が恐ろしくて……」
涼景は鼻で笑った。
「そういうおまえも、星に対して遠慮ない口をきくじゃないか」
「そ、そんなことは……」
「あるだろ」
我が身を振り返って、東雨は言い返せなかった。
確かに、涼景が言う通り、東雨はいつしか、犀星に気をつかわなくなっていた。始めこそ、丁寧な対応を心がけていたが、どう接したところで、犀星は気にした様子もない。
堅苦しいことを、元々好まない犀星である。こちらが気にしても疲れるだけ損だ、と、東雨も次第と無遠慮になっていた。思った通り、東雨が勝手な口をきいても、犀星の態度は変わらなかった。
「若様は……格式ばったことは気にしませんから。本音で話さないと、聞いてくれません。特別です」
「ほう?」
涼景が面白そうに笑う。
「東雨、おまえ、俺と同じ部類だな」
「同じ?」
「将来が楽しみだ」
「……褒めていませんね」
東雨は横目で涼景を睨んだ。涼景は弟にでもするかのように、東雨の頭を乱暴に撫でた。
「期待してるぞ」
「なにをですか……」
「さぁな」
馴れ合う二人をじっと見ていた犀星が、頃合をはかって口を開いた。
「なぁ。俺の、もう一人の兄って、この人だろ?」
犀星は指先で、木札を叩いた。
「名前が変わっていると思うのだが?」
涼景が頷いて、
「夕泉様だ。以前の号は、詩仙だが、おまえが歌仙の号を受けたからな。それで、名前を変えた」
「……申し訳ないな」
「気にすることはない。名前の変更など、よくあることだ。夕泉様の名は覚えているか?
「確か、夕|姜《きょう》とだったと」
夕泉の名が出たことに、東雨がどこか、ほっとしたような顔をした。犀星はそれを見逃さなかった。
「東雨は、夕泉兄上を知っているのか?」
「はい」
東雨は言葉に迷いつつ、
「なんと言いますか……無害です」
涼景はニヤリとし、犀星は不思議そうに首を傾げた。
「無害、とは?」
「ですから、毒にも薬にもならないというか……」
言いながら、助けを求めるように東雨は涼景を見た。
「人を陥れることはないが、役に立つこともしない」
涼景はきっぱりと言い切った。
「宝順と軋轢を生まずに接することができる、希少な人物だな。長雀と真逆とも言える」
犀星は、じっと木札の文字を見ていたが、不意に、涼景に視線を移した。
「会ってみたい」
「ええっ!」
東雨が、大声を出す。
犀星が、誰かに会いたいと言い出すなど、初めてのことだった。最近まで、涼景が訪ねて来ることさえ、面倒がっていたほどである。
「涼景、取り次いでもらえるか?」
すでに犀星は帝への目通りを済ませている。他の誰と会おうと自由でだった。涼景は頷いた。
「まかせろ。夕泉様も、おまえに興味があるらしい。おまえが人見知りだとお伝えしたら、無理強いはしなくていいと言われていたが」
「そうか」
犀星は難しい顔をやめて真顔に戻った。これが、犀星の機嫌がいい時の表情だ、と東雨は思うことにしている。
東雨は犀星の顔が好きだった。顔立ちばかりか、稀有な髪色と瑠璃の瞳も美しい。そんな犀星は、真顔でいるだけで周囲を魅了する。逆に、少しでも険しい顔をされると、常人の倍は迫力がある。東雨としては、笑顔でなくてもいいから、せめてしかめっ面だけはしないで欲しい、と常々思っていた。必要以上に怖いのだ。
「兄、か……」
犀星は宝順帝の姿を思い出し、目線を下げた。戴冠式での息苦しさと、心の底が抜けるような闇が蘇る。
東雨が声を和らげて、
「きっと大丈夫ですよ。夕泉様は、他の貴人なんかよりずっと、優しい方です、たぶん」
東雨の思いやりに、犀星はかすかに微笑んだ。それだけで、東雨はぱっと笑顔を見せた。
涼景は、一つ唸って腕を組んだ。
面白くなってきた。
犀星が、腹違いの兄と、どんな顔で、どんな会話をするのか、涼景としても興味があった。
「早速、手配しよう。おまえの作法の実践の仕上げにもなるからな」
「よろしく、伝えてくれ」
珍しく、犀星は一言、付け加えた。
夕泉親王は、先帝の第三子にあたる。犀星のすぐ上の兄であり、年齢は八つ離れていた。長雀同様に側室の庶子で、現在、第二皇位継承権を持つ。犀星に自覚は無いが、こちらも第三位の権利者である。国の二位と三位の初顔合わせが、犀星の気まぐれで突然決まった。
帝に続く権力者が揃うのだ。そこでどんな話が出るのか、それは国のいく末を占うことにもつながる。長雀と宝順の関係が悪化している今、夕泉と歌仙の動向は皆の関心を集める一大事だった。
涼景は夕泉を担う左近衛隊長・英仁に知らせを送り、日程と警備の段取りを周到に整え、万全を喫した。
会見の場として、夕泉の住まいである奏鳴宮が選ばれた。宮中の中央区に位置する広大な屋敷は、常に左近衛によって厳重な警備が敷かれている。敷地内は慣れた左近衛に任せ、涼景は犀星の往路に右近衛を展開した。
当日、犀星は東雨の手を借りて慣れない礼服をまとい、いつもの氷の面持ちで屋敷を出た。朱雀門までは蓮章の指揮で暁隊が同行し、門前で涼景率いる右近衛に警備を引き継ぐ。珍しく正装鎧に身を固めた涼景は、やはり見慣れない式服の犀星と顔を見合わせ、小さく笑った。
親王が出歩く時は決まって、輿や帳車と決まっている。しかし犀星に用意されていたのは、そのどちらでもなかった。
邸宅から乗ってきた犀星の乗馬の首に、涼景はそっと飾り縄をかけた。最低限の礼節である。都を歩くのと変わらず、犀星の少し前に立ち、周囲を右近衛で固めながら、朱雀門を抜ける。
南区と中央区の境にある八穣園は、晩秋と初冬の境で、どこか裏寂しい気配が漂っていた。常緑樹と色づいた葉が入り乱れ、池の水はまるで薄氷を浮かべたかのように波がない。
風は止み、ただ空だけはやたらと高く色薄く澄んでいた。
右近衛に戻られ、自ら手綱を取る若き親王の姿は、貴人たちの関心と期待を集めるのに充分であった。
戴冠式での犀星の様子は、既に過剰な噂へと進化を遂げ、人の耳に届いている。
宝順帝を相手に一歩も引かなかった若き玲親王、それは次の時代を予感させる輝く星のようである。
先に立つ涼景は、自然と胸を張った。
犀星を守るため、犀星に尽くすためここまで彼が踏み越えてきた痛みは計り知れない。
ようやくそれが報われるようで、涼景の胸に静かな誇りが芽生えていた。それは主従を越え、犀星という一人の人間のそばにいることへの誇りでもあった。
八穣園の中を抜け、中央区へと踏み入る。
貴人の邸宅や役所が並ぶ中、大通りを選んで、西へと向かう。
各所に右近衛の小隊が控え、人の流れを整え、犀星たちの道を開いていた。
宮中とは言え、どこで誰が狙っているかわからない。涼景の目は鋭く、それは戦場と変わりはなかった。
輿などならば流れ矢を避けることもできるが、今の犀星は馬上の人である。
防備が甘いと言わざるをえない。それでも逃げ隠れせず堂々と歩みたいという犀星の思いを涼景は優先した。
万全の体制で右近衛を配置し、自らも犀星の盾となるべく、そばを離れない。
既に葉を落とした木々は、空の青に鋭く枝を突き立て、その梢に小鳥たちが高く鳴く。
犀星は、枝を見上げた。碧の瞳に、まるで鳥さえ魅入られたように、じっとこちらを見下ろしていた。あどけなささえ残るその姿を、涼景は視界の隅に捉えた。
そうしながら、同時に先の進路の安全も確保する。ぬかりなく、粛々と犀星を連れた右近衛の列が進む。
やがて、白木に蔦の緑が美しい、奏鳴宮の門が見えてきた。
奏鳴宮を囲うに沿って、控えめに橘の植え込みが見えた。橙に色づいた実の輝きに、思わず犀星の目が惹きつけられた。懐かしい、歌仙の屋敷の庭が脳裏に蘇り、犀星はそっと喉の奥に力を込めた。
正門に、英仁の姿があった。金縁をあしらった左近衛の黒染めの鎧に、近衛らしからぬ幅のある太刀を履いている。涼景と並ぶ猛者であると、犀星は聞いていた。
涼景の合図で、犀星を取り巻く右近衛が静かに歩みを止めた。涼景は自ら犀星の馬の轡をとると、馬台まで導き、視線をわずかに下げたまま、手を差し伸べた。犀星は素直にその手を頼り、軽やかに馬から降りた。
涼景はふと、戴冠式での出来事を思い出した。あの時の犀星は、自分の導きなど必要ともせず、鞍から飛び降りたものだ。
それが、今は黙って手を取ってくれた。なぜかこそばゆく、胸が早くなる。
涼景にとって、犀星は主人であると同時に友である。このような場面であっても、二人のつながりは揺るがない。それが涼景の頬に静かな自信となって宿っていた。
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