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西相の曲(1)

 これは、本人すら気づかなかった、二つの恋の物語である。  宮中との取引のために、都の商人には南区への出入りが許されていた。  南区は宮中でも最南の、朱雀門に隣接した区域であった。  門を抜けると整えられた土の広場が続いていた。区画が小さな杭で示され、振り売りや敷物、屋台が並ぶための十分な空間が確保されていた。  商人たちは、入口付近の管理官に前もって申請し、日ごとに入場許可を受けた。商品の種類、数量、値段など、事細かに伝え、そのたびにあれこれと荷物をのぞかれては軽口の相手をさせられていた。  官吏の機嫌を損ねれば、出入りを禁止されるばかりか、割り当ての市場の枠に差をつけられた。顔色を伺いつつ、懐をさぐりつつ、の攻防が、取り繕った笑顔の下で繰り広げられていた。  商人も言われるままでは済まさず、そこは持前の商魂たくましく、何かと理由をつけては三日に一度は財布の紐をほどかせた。  騙しあい、からかいあい、どこか殺伐としながらも、どちらも一歩も引かない活気ある景色が日々繰り返されるのが、この朱市の見ものだった。  検札所の様子を眺めては、その日の掘り出し物は何か、物色するのが東雨の楽しみの一つにもなっていた。  取引には、上質な絹布や染料、香料、陶磁器、玉、宝石、香木などが多かった。調味料や珍しい食材も交じり、取引には硬貨の代わりに宮中専用の帳簿や先払い制など、通常の市とは仕組みが違っていた。  朱市の客のほとんどは役人や使用人で、少しでも主人によい成果を渡そうと、あれこれ知恵をめぐらせた。予算をおさえて有能と褒められるのも、浮かせた代金を懐にいれるのも、それぞれの判断であった。  東雨が意図して視界に入れないように逃げているのが、警備兵の駐屯房だった。宮中をつかさどる禁軍のうち、南区に配置されるのは、副長の中でも格下の男だった。  東雨はこの男を軽んじていた。少年が評価を下げるにはそれだけの理由があった。朱市警護の任を任されるこの男は、なかなかに頭の働きがのんびりとしていた。人付き合いはよく、いつもにこにこと気立てもよいのだが、東雨から見てさえ安全の面で不安があった。  盗難防止のため、広場の端には常に禁軍兵が巡回していた。市場内での騒動、口論、違反行為に即座に対応するための備えなのだが、兵を統括する副隊長はのらりくらりと逃げていた。兵たちの士気も自然と落ち、市はとっくに、我が物顔で活力あふれる商人たちの天地だった。  馴染みの顔ぶれ同士が挨拶をかわし、あちこちで呼び込みの声が上がった。  東雨のもうひとつの楽しみは、いつもは権威を振りかざしている兵たちが、商人たちの豪気の前におとなしく下を向いている姿を眺めることだった。  とはいえ、治安の維持は必要だった。その役の一端は、あろうことか、まったく別の隊の肩に預けられた。  これは近衛の仕事ではない、と不満を漏らす蓮章を説き伏せ、涼景は右近衛隊の一部を、朱市の警備に回した。表向きは五亨庵周辺の警備だが、そのほとんどは、朱市でのもめごとの監視役である。  本来なら、管轄外の近衛の介入に抵抗を示してもおかしくない禁軍の兵たちは、むしろ、それを歓迎した。中には、自分たちの主人である禁軍副将より、暁将軍への信頼を厚くする者まで現れる始末であった。  涼景が目立つことを嫌う蓮章の心配をよそに、朱市には独特の秩序が生まれていた。  涼景の後ろ盾であり、朱市に関わる人々の誇りともいうべきものが、五亨庵であった。  賑わいから脇にそれ、少し奥まった所に、ほかに例を見ない美しい庵が、木々に守られて厳かに鎮座していた。  並木の向こうに輝く群青の美しい建物は、都と宮中を行き来する商人たちにとって、なじみ深い風景だった。  宮中の奥深くにひそむことの多い貴人たちの中で、犀星だけは人々の暮らしの片隅に、ひっそりと、しかし溶け込んでいた。  自然と、皆の関心も信頼も、この変わり者の親王へと寄せられた。  東雨は、それが誇らしかった。  まるで、朱市は五亨庵の門前町だ。  涼景が守り、商人が官吏を凌駕し、犀星を慕う。  この頃から、東雨は堂々と、名乗りをするようになった。  行く先々で、身分を尋ねられるたび『五亨庵の東雨です』と、胸を張って顔を上げた。  幼いながらに、犀星や慈圓といった名だたる為政者の傍らにいることが、嬉しくてたまらなかった。  東雨がそんな幸せの渦中にいる頃のことである。  ちょうど犀星が二十歳を迎えた。  その頃、朱市に東雨と同年代の少女がよく、行商にきていた。  周囲には|明《みん》と呼ばれる、小柄で目立たない娘だった。都で饅頭屋を営んでいる家の長女で、背負い籠にいっぱいに饅頭や蒸餅、月餅などを詰めて、頻繁に宮中を売り歩いた。  彼女の客は、貴人たちではなかった。  店をならべる商人相手の商売である。  明の饅頭は評判が良く、大きな商談がまとまると、みな、祝儀だと言って買い求めてくれた。働き者で丁寧な明は、誰からも好かれた。  その彼女は、ときどき、五亨庵にも立ち寄ることがあった。商売のためではなく、避難してきたという方が正しかった。突然の雨風や、人々のもめごとで場が荒れたとき、収まるまでのあいだの避難所として、明は自然と五亨庵を頼った。  五亨庵には、食べ盛りの東雨と、舌の超えた緑権が詰めていたが、犀星の質素倹約の精神のため、余計な買い物はしないのが常であった。そのため、明が来ても、売上にはつながらなかった。それでも、彼女はよく、雨宿りを兼ねてここを訪れた。  本当なら、もっと売れ行きのいい邸宅がいくらでもあっただろうが、そういう所は長居をさせてくれなかった。売り買いが済めば、当然追い出される訳で、雨宿りの意味がないのだ。  五亨庵ならば、饅頭は売れなくとも、追い払われる心配はない。ただ、そっとしておかれるのが常だった。  犀星は人付き合いを好まず、黙々と仕事をしているだけだった。東雨もあれこれと忙しく働いていて、自分に構っている余裕はなかった。  緑権は自分も娘がいるせいか、明には親切で腹が膨れるほど、茶を出してくれた。  明も、商売どきには声を上げて元気な笑顔で売るのだが、本来はそのような性分ではないらしく、大人しく椅子に座って商品を確認したり、売上を記録したり、と黙って過ごしていた。それでも時間が余ると、慈圓が文字の手習いや、簡単な詩歌の竹簡を読ませてやることもあった。  五亨庵は都に近く、明は売りものを補充するため、籠を預けて店に戻ることさえあった。  特に美しい訳ではないが、愛嬌のあるいかにも町娘の風態の明が親王殿にいるさまは、傍目には不釣り合いだった。だが、五亨庵にそれを言う者はなく、商人たちも、歌仙様のすることだから、と、気に留めることをしなかった。  明は恩も感謝も抱く娘で、いくらかの余裕があるときは、お礼がわりに、と菓子を置いていったりした。  明の行動は周囲の者も知っていて、時には犀星宛てに献上品と称して料理が届けられることがしばしばあった。  犀星が、他の貴人たちとは違い、上等の布や宝飾品を受け取らないことを、彼らはちゃんと心得ていた。また、便宜を図ってもらおう、などの裏の意味はなく、単純に犀星の治世を評価し、感謝している証だった。  高価でも珍しくもない庶民の家庭料理を犀星は受け取り、代わりに貴重品の墨や筆、自らが書き写した書などを礼に返した。  毒味もせず、警戒心を抱くこともなく、粗末な包みの料理を口にする犀星に、東雨たちは驚かされた。初めはさんざん苦言を呈し、まずは自分が、と言い出した東雨だったが、どうやら、それが逆に犀星には気に入らなかったらしい。|枇杷《びわ》の薄切りに砂糖をまぶして油で揚げた菓子を、毒見と称した東雨にすべて食われて以来、五亨庵の毒見役は犀星、と定められた。  今ではすっかりそれが板につき、誰も、犀星の箸を止めることはなくなった。歌仙親王を毒殺することは、何よりも容易だった。皮肉にも、五亨庵でのこの慣習はあまりに常軌を逸しており、犀星を狙う者たちが信じることはなかった。  冬も近づき、ひんやりと陽光も熱を失する日が増えてきた頃、足繁く五亨庵を訪ねる者がもう一人あった。  こちらはあらゆる面で、明とは正反対の娘であった。権勢をほこる左相・|趙教《ちょうきょう》の息女、齢十六になる趙姫だった。  父の姓をとって、|趙姫《ちょうき》と呼ばれる、衆目を集める美しい娘である。父の趙教は左派の重鎮で、犀星が親王に即位した頃から、その頭角を現し、短期間に財をなした男だった。趙姫の他にもあまたの娘や息子がいたが、誰よりも父は彼女を愛護した。  趙教のやり方は気高く穏やかに慈愛に満ちた姫となるには、真逆の教育方針であった。  少女の頃の可憐さと、年を重ねるごとに増す妖艶な美しさ、奏でる上等の笛のような声色、長く艶やかな黒く豊かな髪、ほっそりとした手足と指。  生まれ持ったその肢体を、左相の娘という財力がこれ以上なく飾り立てた。  趙教は彼女を、宝順の後宮へと望んだが、権力の助長を快く思わない宝順は取り合わなかった。  次に趙教が目を付けたのは、夕泉親王であった。しかしこれもまた、失敗に終わった。人を遠ざけ、静寂を好む夕泉の性質に、無邪気で明るくわがままなこの姫は、どう考えても受け入れられるものではなかった。  そうやって次第と位を下げ、趙教は仕方がなく次の標的を定めた。それが、五亨庵で実力を示しつつあった、歌仙親王であった。  犀星の評判など、最初の頃は最悪で、田舎者の礼儀知らずの小汚い子どもがくる、というものだった。しかし、犀遠の教えを受けた犀星は、決して、都育ちの貴人たちに劣るところはなかった。劣るどころか、一目見れば誰もがその美しさの虜となった。  見慣れぬ紺碧の髪と、瑠璃のごとき瞳。少年らしい伸びやかな体と、母親譲りの端正な顔立ち。単に容姿が整った者ならば宮中にはあまたいるが、犀星はそれに加え、剣術にも学問にも秀でていた。  更に、決して周囲になびかず、軽々しい態度を見せなかったことも、魅力の一つであった。怯えることもなければ、遠慮することもない。また、媚びることも尊大ぶることもなかった。  始めは物静かな少年の雰囲気が強かった犀星だが、年を追うごとに更にその魅力に深みが増し、押しも押されもせぬ宮中一の才色兼備の逸材として、目を引く存在となっていた。  澄んだ氷のように冴えた眼差しと、どこか寂しげな表情とで、女を始め、男たちからの声かけも多かった。誰に言い寄られても、犀星が応じることは一切なく、その冷淡さが返って人々を夢中にさせた。  誰が歌仙親王を堕とすか、という話題で、宮中は常に持ちきりだった。  人々が集まると、決まって犀星の話題が出た。  だが、誰一人として、犀星に触れられた者はいない。また、犀星自身が誰かを気に入ったという話も聞かない。  孤独な麗人として、犀星の存在はいつしか語り継がれ、そばにいる東雨や親しい涼景にまで、探りが入ることも頻繁だった。東雨はその度に誇らしい気持ちになり、涼景は勘弁してくれ、と愚痴を言った。  噂の本人は人々の騒ぎには無関心で、都に来てから五年、態度が変わることはなかった。  風変わりで極端な倹約家であり、ほとんど誰とも口をきかない様子は、近寄りがたく真意が読めず、皆が腹を探るのに必死になる厄介者であることに変わりはなかった。  趙教としては落としに落とした条件だったが、当の趙姫にとっては、望みここに叶えり、という意気込みで、喜びに打ち震えた。  犀星が都に来てから五年。その間、多くの娘がその色香をふりまいて、犀星の目に止まろうと必死になった。  若い親王には、正室はおろか側室の候補は数知れなかった。妾ともなれば、後宮に劣らぬ御殿が必要になるのは誰の目にも明らかだった。

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