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西相の曲(5)

 犀星を押さえ込んでいる男の向こうから、野太い声が飛んできた。男たちの中でも、とりわけ体格の良い人物だった。袖を落とした着物から、犀星の倍ほどもある太い腕が見えた。 「客でもねぇようだし、何を嗅ぎまわってやがる?」 「さぁな」  犀星は挑発するように男を見た。どうやら、この男が顔役らしい。 「答えろ!」  犀星を掴んでいる手が、乱暴に顔を押し上げた。首が捻れて、酷く痛んだ。それでも、犀星は黙って様子を見ていた。  何を答えたところで、まともに話を聞いてくれるようには思えなかった。 「こいつ……馬鹿にしてるのか!」  さらに力を込められて、犀星の美しい顔が、一瞬、苦痛に歪んだ。その様子に、その場の空気が熱っぽく変わった。 「いいだろう」  顔役の男が、口を斜めにして、 「そんなに言いたくなきゃ、調べるまでだ。剥いてやんな」  男の声で、傍観していた二人も、犀星の手足を鷲掴んだ。最初の男が、着物に手をかけ、力任せに引き下ろした。  犀星の白い肌が薄暗い路地の光の下で、艶かしく際立った。 「こりゃ、いい体じゃねぇか。身売り先なら紹介するぜ?」  誰かの言葉に、他の男たちが笑い声を上げた。  大人しくされるに任せていた犀星が、突然、笑みを浮かべた。凍りつくように冷たく、鋭く、同時に美しかった。  犀星の凄みに、思わず、三人は一歩離れた。 「何だ、おまえ……」  最初の男が、怯えた声を出した。 「おまえたちは、この辺りの派閥の者か?」  姿勢を正し、流れるような動きで襟を直すと、犀星は顔役の男に直接向いた。 「話がある」  犀星の気迫は、腕っぷしの強い荒事を生業とする男たちさえ、息を呑むほどだった。明らかに自分より若く、線の細い犀星を相手に気圧された。 「話だと?」  顔役の男が、先頭に出た。 「正体もわからねぇやつの話なんか、信用できるかよ」  派閥を牛耳るだけのことはあるようで、男もまた、腹が据わっていた。犀星は、普段の冴えた瞳で男を見据えた。どんな時、どんな相手でも、犀星が臆することはなかった。  慈圓は腰をさすりながら、立ち上がった。 「伯華様!」 「心配ない」 「ですが……」  慈圓は苦虫を噛み潰し、男たちを見た。じろりと、顔役の視線が犀星をねめ回した。 「伯華……?」  慈圓の呼んだ名を捉えて、繰り返した。 「どこかで……」  言いながら、男は犀星の髪と瞳をじっと見た。 「その色……あんた、歌仙か?」  呼び捨てられても、犀星は顔色一つ変えなかった。 「こりゃ驚いたな。親王様とは恐れ入ったぜ」  男は面白そうに犀星に一歩近づいた。 「噂ってやつは、とかく誇張されがちだが、あんたの評判に嘘はないようだな」 「どんな噂か知らないが、鵜呑みにするのは愚かだ」  犀星は堂々と男を見返し、視線で射抜いた。 「自分の目で見たことだけが真実だ」 「なるほど、それがあんたのやり方か」 「そうだ。だから、俺が直接、ここに来ている」 「何をする気だ?」  顔役は、いつしか犀星の調子に乗せられていることを薄々感じながら、それでも逃れきれなかった。 「おとなしく宮中に引っ込んでろ。ここにあんたの居場所はねぇ。世の中の底辺しかいねぇ。人間の欲望を食って生きる、汚ねぇ連中の吹き溜まりよ」 「そうは思わない」  犀星は本心から、そう答えた。 「ここで生きる者が汚いと言うなら、それを金で買いにくる奴らは、もっと最低だな」 「……なんなんだ、おまえ……?」  男は、犀星のおびえることを知らない態度に、いつしか興味をそそられたようだった。 「察しの通り、歌仙だ。田舎育ちの変人で通っている」  犀星の自己紹介に、思わず慈圓は納得してしまった。 「おまえ、名は?」  顔役の男は、一瞬迷ってから、 「……|洲《しゅう》」  低く、だが、嘘ではない声で答えた。犀星は眉ひとつ動かさず、淡々と続けた。 「では、洲。尋ねるが、このあたりのことには詳しいのか?」 「詳しいのか、だと?」  洲は口元を歪めて笑った。 「生意気なことを聞くじゃないか。この一帯は俺たちの縄張りだ」 「この一帯というのは……」  犀星が慈圓を見た。慈圓は意図を察して、抱えていた包みから、花街の地形を描いた地図を取り出し、犀星へ差し出した。犀星はそれを広げて、 「具体的には?」 「はぁ?」  明らかに面食らって、洲は声を上げた。 「おい、俺たちは……」 「答えられないのは、はったりだからか?」 「てめぇ……」  洲は地図を奪うと、おおよそのあたりをつけて折りたたんだ。 「この範囲だ」  表になった地域を確認して、犀星は頷いた。 「いいだろう」  地図を手にしたまま、犀星は踵を返した。うろたえる男たちが弾かれたように一斉に道を開けた。 「おい! まだ見逃してなんかいねぇぞ!」  犀星は背後から飛んでくる洲の怒声など気にも止めず、表通りに出ると、地図と実際の街並みとを見比べた。  洲の部下たちは、あまりにも物怖じしない犀星の態度に困惑し、顔を見合わせた。慈圓が横目で見ながら首を振った。 「悪いことは言わん。伯華様の話を聞け」 「なんだ、偉そうに……」  若い男が突っかかっていくのを、洲が制した。 「どういうことだ」  慈圓は血気盛んというよりは、無知と無学で暴走する男たちに肩をすくめ、犀星の方を目で示した。 「伯華様はおまえたちにもわかるように話してくださる。とにかく、聞いて損はない」  男たちは互いに相手の出方を見て、膠着した。その中から、洲が真っ先に犀星のそばへ歩み寄った。乱暴な足取りだが、危害を加える様子はなかった。  犀星は隣に立った洲をちらりと見た。 「このあたりは、花街でも一番北寄りだな。主に遊郭より、居住区がある」 「ああ。それがどうした?」 「結論から言う。この街の治水工事を計画している。手を貸して欲しい」 「な、何だって?」  わけがわからない、という顔で、洲は上ずった笑いを交えて、 「治水工事? 手を貸せ、だと?」 「そうだ」  大真面目に、犀星は地図をたどりながら、 「この北の川から、直接、街の中へ水を引きたい」 「川から、水?」 「用水路を掘って、豊富な水を引き入れる」 「あんた、本気か?」 「冗談に見えるか?」  犀星は真顔のまま、 「ここで生きているなら知っているだろう。花街の水は最悪だ。地下水脈が都を先に通ってくるから、井戸水も出づらい。都から水を買ってどうにか凌いでいるだろう?」 「それは、そうだが……」  洲は的確な指摘にうろたえた。犀星は続けた。 「慢性的な水不足と、水代の負担。しかも、衛生面でも酷い環境だ」  犀星は地図を示して、 「この道に沿って、用水路を作る。水路の脇には柳を植えて地盤を固める」  引き込まれるように地図を見ながら、洲は目を丸くした。 「街の中心に川を通すってのか?」 「そうだ。その方が、街中での水の管理もしやすい上、今後、水路を拡張するにも便利だ。水路で区画を分ければ、火事の際の延焼防止にもなる。貯水池を整備すれば、そのまま消火にも生活用水にも使える」 「…………」  後ろから話を聞いていた男たちは、何のことか、と首をかしげながら、とにかく、水で困らなくなるらしい、ということだけは理解した。 「問題は、人手が必要だ、と言うことだ」  犀星はようやく地図から目を上げて、洲を見た。 「頼めるか?」 「え?」  犀星は改めて背を伸ばし、洲に体を向けた。じっと表情を見つめ、ゆっくりと、落ち着いた声で話した。 「今回の工事に、宮中の貴人も官吏も興味がない。もっと言えば、協力する気がない。それでいて、こちらの邪魔をするのに余念がない」  聞きながら、慈圓はやれやれという顔に成った。犀星が語る真実は、愚痴とも必要な情報とも思われた。犀星は、つけいる隙のない、まっすぐな目をしてた。 「だから、工事に関わる人員は現地調達する、という条件で、無理にこの計画を通した。もちろん、雇い賃は出す。金額は交渉に応じる。問題は金ではなく、それだけの人数を確保できるか、ってことだ。おまえ、顔がきくんだろう? どうなんだ?」  犀星の説明に圧倒されていた洲は、思わず、部下の男たちを振り返った。彼らも困った顔を突き合わせ、突然の話に言葉もない。犀星はさらに続けた。 「これがうまくいけば、花街全体の利益になる。工事に関わる人間にも金が入るし、その結果作られる水路も、この街のものだ。使用に応じて誰かに搾取される心配もない。それは、俺が保証する」 「あんたが……?」  洲は信じがたい、という表情を見せた。貴人や官吏などは、大した仕事はしないくせに、資金徴収と称して金を巻き上げ、生活を脅かすものだと思っていた。  犀星はたたみかけた。 「これでも親王だ。約束は守る。恩恵は街に暮らす全ての人々にもたらされる。もちろん、税など取らない。どうだ? おまえたちにとって、損なことは何もないと思うが?」 「つ、つまり……」  理解に手こずっていた若い男が、恐る恐る、 「金はあんたが全部出す。完成してからそれを返す必要もない。俺たちは一文も出さずに、仕事と水を手に入れられるってことか?」 「詐欺だろう」  他の誰かが言った。 「そんな美味い話があるわけがない」 「詭弁だ。どうせ、あとから理由をつけて、勝手なことを言い出すに決まっている」 「騙そうったってそうはいかないぞ」  すっかり、犀星を疑ってかかる部下たちを尻目に、洲は腕を組んで、犀星を見下ろした。 「なぁ、歌仙さんよ、訊いてもいいか?」 「無論」 「どうして、こんなことをしようとする? あんたには何の得もないだろ? それを信じろなんて、無理な話だ」 「これは犠牲的奉仕じゃない。俺にも、利益がある」  洲の問いかけに、犀星は静かに答えた。 「ここでの工事がうまくいけば、次の仕事を通しやすくなる。そしてそれは連鎖し、やがて、紅蘭の水は劇的に変わる。確かに、金は全く稼げない。だが、幸い、俺の目的は金じゃない。成果だ」 「成果……」 「そうだ」  犀星は頷いた。 「今の俺にとって、実績は金以上に価値がある」  洲はさらに深く唸った。 「何と言われても、簡単に信用なんかできねぇぞ」 「ならば、質草を出そう」  唐突に、犀星は言い出した。 「もし、俺が約束を違えたら、俺の身を、好きに売っていい。娼館でもなんでも、おまえに任せる」 「あんた、正気か?」  洲は愕然として、犀星を見た。 「無論」  顔色一つかえずに、犀星は頷いた。  慈圓は、ハッとした。  最初から、犀星はこの危ない賭けに出るつもりで、涼景たち近衛を遠ざけたのだ。  全く、怖いもの知らずと言おうか、ただの酔狂か。  洲以上に、慈圓の方が深いため息を漏らした。  値踏みするように犀星を見ていた洲が、やがて、諦めて首を振った。 「理屈はわかった。だが、どうしてその最初が、花街なんだ?」 「ここが、都にとって、大切な場所だからだ」 「は?」  これはまた、洲の想像から外れた返答だった。 「あんた、聞いてなかったのか? ここは都の中でも掃き溜めだ。真っ当に生きられない連中の巣窟だぞ。そんな所を整備しようなんざ、どうかしてるぜ? もっと、善人が真面目に暮らしてる辺りにしておけ」 「洲、おまえ、この街の人間なんだろう?」  犀星は、逆に問い返した。 「それなのに、ここの価値が全くわかっていないな」 「価値だと?」 「そうだ」  犀星はきっぱりと言った。 「おまえが言うように、ここは欲の街だろう。だが、それを恥じる必要はない。この街は人を癒やす。生まれも立場も関係なく。人の温もりは、生きるために欠くべからざるもの、まさに、水と同じだ。たとえ一夜の夢だろうと、一夜の命を繋ぐのだ」 「……そんな話、今まで誰もしなかった」 「しなかっただけで、皆が思わなかったわけではないはずだ。少なくとも俺は、友人から、この街の真価を諭された」 「友人?」 「梨花」  洲は黙った。花街で蓮章の名を知らぬ者はいなかった。とうとうと語る犀星の言葉に、男たちも完全に引き込まれていた。知ってか知らずか、犀星は声を優しくした。

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