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第5話
リビングの隅で借りてきた本を読んでいると、暖簾を揺らしながら父親が顔をだした。
「紺、明日父さんのかわりに挨拶回り行けるか?」
「行けるけど…」
「じゃあ、頼む。
予防注射あるの忘れてたんだよ」
予防注射って…
めんどくせぇ…
渋い顔を隠すこともなく、そのままガシガシと頭を掻いた。
そして、塗り立てのジェルネイルに視線を落とす。
ピアスやその他の装飾は外したり隠したり出来ても、爪は取りかえられない。
塗り立てツヤツヤのピカピカだ。
こういう時は上からカバーするに限る。
ジェルネイルに慣れるとポリッシュは乾くのを待つのがめんどくさい。
もっと早く言ってくれていれば、もう少し上手く時間を使えたのに。
溜め息を吐き出しながら、重い腰をあげた。
「おい、藍華。
薬局行くけど、なんか欲しいのあるか?」
リビングのソファの上でスマホをいじる妹に声をかける。
コンビニに行くなら、もう少し歩いて薬局に行けばポイントも貯まる。
ついでに妹への賄賂も。
この賄賂のお陰で、たまに事務作業を代わってもらい、その時間でタトゥースタジオに行ける。
持つべきものは理解のある妹だ。
立ってるなら親だって使うけどな。
「アイス!
苺味の買って来てー!」
返ってきたのは予想通りの軽い返事だった。
誰かが甘やかしたから、この図々しさだ。
ま、妹っつぅのは、こういう方が可愛いか。
「アイスか。
ダイエットしてんじゃねぇの?」
「うっざぁ…。
お兄が聞いてきたんじゃん」
「痩せなくても可愛いって意味だろ。
母さん、薬局行くけどなんか買うもんある?」
妹の頭をぐちゃぐちゃに撫でながら母親にも声をかける。
だが、特に買い物もないらしい。
エコバッグは使わなくても大丈夫そうだ。
タンクトップの上にシャツを羽織る為にそれを掴む。
「ねぇ、まだ隠すの?
別に隠さなくたって良いじゃん。
お兄らしいじゃん、この爪も刺青も格好良いよ。
藍華がおじいちゃん達に言おうか?」
「明日、父さんのかわりに挨拶回り行くから爪だけ隠すんだよ」
「あー、ね」
藍華はニッと悪戯っぽく笑い、俺の右腕に指が伸びる。
捲り上げた袖の下、腕に刻まれたツバメの刺青に、わざとらしいほど無邪気に指を押し付けた。
「藍華、これが1番好きぃ」
くすぐったいような、むず痒いような感覚に、俺は顔を顰めた。
「……うっせぇ。
これはは仕事に対する最低限の礼儀だっつぅの」
「お客さんに、こわがられない為じゃないの?」
それは流石に失礼じゃないか?と妹の顔を見るがらニコニコするばかり。
甘やかした記憶しかないから、仕方がないのか。
藍華は俺の味方だ。
俺の個性を理解し、肯定してくれる。
けれど、世間は違う。
特に、この藍染めの昔ながらの世界では。
古く狭い世界だ。
俺の評価は、家の評価になる。
だからこそ、隠す選択をした。
ピアスも、刺青も、俺自身なのに。
いや、俺自身だから隠すのか。
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